山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

有料記事

ビューティービースト無双の1999年。『FINE BOYS』スナップに見るリアルなモード系ファッション。

ビューティービーストが好きなブランド1位と、モード系が最も支持を集めていた1999年の『FINE BOYS』の全国スナップ特集は、当時のリアルな服装がわかる貴重な内容。 全国各地のセレクトショップ情報も充実。

1998年『POPEYE』の「ゼータク」特集から透けて見えるバブル期ファッションの「貧しさ」。

バブル期真っ只中の1998年『POPEYE』は“もうワンランク上のゼータク”特集。 ロレックスやアルマーニを買う大学生にクレジットカードローン利用を煽るのは、当時の日本経済の状況だからこそできたことでした。

ロックとロックファッションの日本史と、最後のロック系ファッション「お兄系」の最期。

2014年の『men's egg』休刊で終焉した、日本最後のロック系ファッション「お兄系」。 戦後ロックが日本で広がる中で、キャロルや竹の子族など日本ならではのロックファッションが生まれる過程を深堀りしました。

1991年に東京で流行ったアレコレ。スケーターブランドとヨウジヤマモトとジュリアナ東京。

1991年『POPEYE』掲載の人気スケーターブランドを深堀り。 伝説のヨウジ×ギャルソン「6.1 THE MEN」や、まだオープン前だったジュリアナ東京、当時のコンビニ飯など、カルチャーに関する内容も多数紹介。

90年代のマルタン・マルジェラ。「オシャレ」や「革新性」を拒否した創造性の本質。

10代の僕に強烈な衝撃を与えた、90年代のマルタン・マルジェラの「オシャレ」や「革新性」を拒否した創造性の本質。 シュプリームとのコラボは、その創造性を飲み込んだファッションシステムの巨大さの象徴です。

ファッションリーダーは反町隆史と竹野内豊。1997年のセクシー系スタイル「V男」。

1997年の渋谷を席巻した「V男」。 シャツのボタンを2つ3つ外して肌を見せる、セクシーさを強調するスタイル。 反町隆史と竹野内豊がファッションリーダーでした。

【1995年】木村拓哉と90sストリートカルチャーから紐解く「カッコいい」という価値観。

木村拓哉さんが表紙の1995年『ホットドッグ・プレス』。 渋谷のリアルなストリートファッションや、有名私立高校生のカルチャー、日本と西洋の「美」の価値観の変遷から、「カッコいい」とは何かを紐解きます。

【2004年】ちょうど20年前、黎明期のお兄系が格好良くてファッションの参考になりそうです。

2004年『メンズエッグ』の黎明期の「お兄系」は普通に参考にできる格好良いスタイルが結構あって驚きます。 クラブスナップや、真夜中に群馬の駅前に集まる若者の「ワル」なカルチャーレポートは資料価値あり。

【2004年】ギャル男ファッション突然変異体「センターGUY」と、渋谷で革新的なストリートファッションが生まれる理由。

2004年頃登場した、ギャル男ファッションの突然変異体「センターGUY」。 その始祖である渋カジやコギャルなど、革新的なストリートファッションが90〜00年代の渋谷で誕生した理由を探りました。

渋カジの象徴「革ジャン」を2500人の学生に売った、たったひとりの「チーマー」。

「日本初のストリートファッション」と言われるムーブメント、渋カジ。 渋カジを代表するアイテム、革ジャンを流行らせたのは、実はたったひとりのチーマー。 そしてそのチーマーは後に著名起業家になったのです。

昭和のスキーブームへの“道”を造った田中角栄と、ユーミンの“聖地”苗場を開発した堤義明。

政治、経済、カルチャー、ファッションは繋がっている。 70年代を代表する人気スポーツ、スキー。 80年代のカルチャーを象徴する、ユーミン。 それらの礎となったのが、政治家の田中角栄と、実業家の堤義明でした。

「ファッションの街、渋谷」が生まれた理由。パルコを創った実業家、堤清二とパルコ。

「渋カジ」「コギャル」など、90年代にトレンドの発信地となった渋谷。 渋谷をファッションの街に変えたのが、実業家の堤清二が生み出したパルコだった。 パルコはカルチャーの力で、若者を渋谷に呼び寄せた。

【1985年】DCブランドブームの裏の主役。日本人デザイナーの躍進を支えた「丸井の赤いカード」。

80年代のファッション文化発展の裏に、経済の豊かさがありました。 85年『Hot-Dog PRESS』スナップに登場する凝ったファッションの若者。 彼らが高価な服を購入できた理由のひとつが丸井の「赤いカード」です。

【1984年】ファッションの価値観を大きく変えたDCブランドブームに、若者たちが「熱狂できた」経済的な理由。

今見ると新鮮な、80年代のDCブランドブームは、それまでの若者の価値観を180度変える強い影響力がありました。 その理由と、ブームの根源を経済と戦後ファッション史の流れの両面から分析。

00年代「マルイ系」ブランド、PPFMの海外から熱狂的な支持を受けるガラパゴス的超進化デザイン。

『FINE BOYS』2006年に登場している、この時代ならではのロックスタイル。 そしてマルイ系ブランドの中でも、近年海外で再評価されているPPFMの、個性的過ぎるデザインにフォーカスしました。

【1986年】小泉今日子×藤原ヒロシに学ぶ、バブル景気突入前夜の着こなし。

1986年『Hot-Dog PRESS』のコーディネイト特集。 バブル景気に沸いていた当時ならではの刺激的なスタイル。 目玉は藤原ヒロシがスタイリングした、全身セディショナリーズの小泉今日子。

【1990年】渋カジ全盛期にインポートブランドが大人気だった「経済的な」理由。

1990年『POPEYE』の特集は“渋カジ必携インポートFASHIONカタログ”。 日本初のストリートファッション、渋カジ。 この時代に「インポート」が人気だった理由を、経済的な視点から紐解きます。

【1997年】ハイテクスニーカーブームの“始まり”と“終わり”を告げた広末涼子と、「スニーカー秋の時代」だから生まれた名作の数々。【Hot Dog PRESS】

1997年の『Hot Dog PRESS』でヴァンズを持つ広末涼子さんは、「ハイテクスニーカーブームの終焉」を象徴していました。 当時の裏原系のストリートスナップや、ACGなどのレアな90年代スニーカーの画像も満載です。

【1995年】アメリカの90sカルチャーが丸わかり。アメリカの通販カタログを集めた「カタログのカタログ」。

1995年発売のメンズクラブ別冊「カタログのカタログ」は、アメリカの通販カタログのカタログ。 古着でお馴染みLLビーン、REI、ランズエンドをはじめ、自転車、マリン、乗馬など90sアメリカカルチャーが丸わかり。

『AKIRA』が世界のファッションシーンで熱狂的に支持される理由。

『AKIRA』Tシャツが高額で取引される背景には、劇場版公開当時の革新的なビジネスモデルと、日本経済が生み出した革命的な電子機器がありました。

1989年の「世界の一流品」と、1999年の「ボクたち的ステイタス」。バブル崩壊で変わったファッションの価値観。

1989年と1999年、バブル崩壊を挟んでちょうど10年の「POPEYE」を徹底比較。 「一流」を買い漁っていたバブル景気真っ只中の1989年。 本格的な不景気だった1999年に求められていたのは“ボクたちのカリスマ”でした。

【1993年】バブル崩壊後だから生まれた“普通”ファッションと、「裏原系」独自のカルチャーを育んだ「地価の下落」。

1993年「POPEYE」提案の「普通のファッション」は「バブル崩壊」があったからこそ生まれました。 そして「裏原系」が世界を動かすカルチャーになった源泉には「バブル崩壊」による「地価の下落」がありました。

ナンバーナインとお兄系。2006年「FINE BOYS」から振り返る、00年代の日本を席巻したロック系ストリートファッション。

現在アーカイブが高騰する、宮下貴裕によるナンバーナインと、日本中を席巻した渋谷のギャル男ファッション、お兄系。 2006年「FINE BOYS」から見えたのは、この2つの日本独自のストリートファッションでした。

00年代の「カッコイイ」を定義したエディ・スリマンと、その末裔の2006年マルイ系・セレオリから考える「大衆化」と「ダサさ」。

目次 今の感覚から最もかけ離れたファッション 大学生がターゲットでマルイ系、セレオリがメインの「FINE BOYS」 “全身でタイトなシルエットを堪能する” 2006年の人気ブランドの今 “4大上品小物”で“ぐーんと差がつく” 人気ブランド、シェラックの今 “タイド…

大統領も熱狂した1970年代のジョギングブームを駆け抜けたブルックス。

ファッション×歴史の読み物“ファッションアーカイブ”第20弾。 70年代のジョギングブームは、どうやって生まれ、アメリカ全土を席巻し、そして日本で大人気になるまでのムーブメントになったのか。 語られる事の少ないブルックスやスポルディングの歴史も併せ…

1970年代のテニス人気と、スタン・スミスが歴史に残る大ヒットスニーカーになった理由。

1978年「POPEYE」から紐解く、70年代スニーカー。 当時人気だったテニスから生まれた名作スニーカーの数々。 その筆頭、アディダスのスタン・スミスが登場して50年以上経った今も人気を集める理由を探りました。

1978年「POPEYE」から紐解く、70年代にスニーカーが大きな進化を遂げた理由。

1978年「POPEYE」に掲載された、ジョギング・ランニングシューズの数々。 この時代にアシックス、プーマ、ニューバランス、ナイキなどの名作スニーカーが多数生まれた理由を探りました。

イギリスのサッカーカルチャーが生んだストリートムーブメント「カジュアルス」が愛したスニーカー。

80年代にイギリスで生まれたストリートカルチャー「カジュアルス」。 サッカーに熱狂する労働者階級の若者たちは、なぜスニーカーを愛したのか。中でもアディダスはなぜ圧倒的人気を誇ったのかを徹底深掘り。

1977年「POPEYE」で探る、スニーカーがファッションになった瞬間。

1977〜78年の「POPEYE」のスニーカー記事や広告を徹底紹介。 スニーカーがスポーツギアからファッションになる過渡期。 アディダス、プーマ、アシックス、ニューバランス、ヴァンズの歴史も深掘りしています。

「最後のストリートカルチャー」ピストが最高にクールだった2007年の記録。

目次 最後のストリートカルチャー、ピスト 「ブレーキなし。問題なし。」 藤原ヒロシとピスト 無駄の一切ないクールな機能美 大友克洋・寺田克也が描くジロ・デ・イタリア これからの自転車カルチャーとファッション 先週の“ファッションアーカイブ”では、19…