目次
- 1998年『東京ショッピング完全バイブル』でファッション発信地渋谷を再確認
- 亀石三兄弟インタビュー
- 人気デザイナーズブランドがオンリーショップを構える渋谷
- 渋谷のファッションビルに多数のメンズショップ
- 1980年代にファッションの発信地として存在感を強めた渋谷
- 赤字続きの西武を日本一の百貨店に変えた堤清二
- アルマーニ、ラルフローレンの日本法人を設立
- 日本初のファッションビル、パルコの誕生
- 渋谷に進出する西武百貨店とパルコ
- サブカルチャーの力で若者を渋谷に呼び寄せる
- ファッションと文化があふれる若者の街、渋谷
今回の“ファッションアーカイブ”では、「ファッションの街、渋谷」が生まれた理由ついて、深掘ります。
「コギャル」や「渋カジ」など、1990年代の日本を代表するファッションを生み出した街、渋谷。
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最近でこそ「若者が少なくなった」などその発信力の低下が話題になっていますが、1990年代から2000年代にかけての渋谷は世界有数のファッションの発信地でした。
では、渋谷がファッションの発信地となったのはなぜでしょうか。
その理由は意外と知られていないと思います。
実は、渋谷がファッションの街になる種を蒔いたのが、実業家の堤清二です。
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もちろん、堤清二だけの力で渋谷がファッションの街になったわけではありません。
ですが、堤清二がいなければ、渋谷が世界有数のファッションの街になっていなかった可能性は非常に高いのではないかと僕は考えています。
堤清二の功績は、「セゾン 堤清二が見た未来」の冒頭部分が非常にわかりやすいのでそこから引用します。(強調引用者以下同)
無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家——。
いずれも日々の生活でなじみのある企業であり、知名度の高いブランドだ。 これらの企業が、かつて同じグループに属していたことを、知らない世代が増えている。 コンビニエンスストアの中で、なぜファミリーマートだけが無印良品の化粧品やノートを売っているのか。改めて指摘されなければ、普段の生活では不思議に思わない。
これらはいずれも、堤清二という男が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していた。
小売業にとどまらず、クレジットカードや生命保険、損害保険などの金融業、ホテルやレジャー、食品メーカーまで、多様な事業を展開してきた。ラジオ局のJ-WAVEも、いわゆる グループ企関ではなかったが、情報発信を重視する堤の戦略によって、開局から深くセゾンクループが関与した。
ほかにもセゾングループは、映画配給のシネセゾンやパルコ出版などのメディア関連事業、 美術館や劇場といった文化事業を幅広く手がけたところに特色があった。
一時はグループ約200社、売上高4兆円以上のコングロマリットを形成したセゾングルー プ。かつてはスーパーを軸としたダイエーと並んで、二大流通グループとされていた。
今回は、堤清二にフォーカスを当て、渋谷がどのようにしてファッションの街となった理由を深堀りしていきたいと思います。
1998年『東京ショッピング完全バイブル』でファッション発信地渋谷を再確認
が、その前に。
2010年代以降は、渋谷は新しいファッションの発信源としての力を失いつつあります。
ですが、上述の通り1990年代は確実に世界有数のファッションの街としての存在感がありました。
今回は渋谷がファッションの街であったことを再確認するために、こちらのムックをご紹介します。
これまで“ファッションアーカイブ”で何度かご紹介してきたティーンズ向けメンズファッション誌『FINE BOYS』別冊の『東京ショッピング完全バイブル』です。
発売されたのは1998年5月。当時神戸に住んでいた僕は大学に入ったばかりで、それまでの制服&部活着の毎日から、私服で通学するようなり、それによってファッションへの興味が非常に強くなり、ファッション誌も熱心に読むようになっていました。
目次。街別のショップガイドの筆頭は渋谷です。
亀石三兄弟インタビュー
目次の次のページに唐突に登場するのは、当時大人気だったセレクトショップ、パイドパイパーのスタッフインタビュー。
当時のカリスマ、亀石三兄弟。今となっては非常に貴重なインタビューなので読めて嬉しいのですが、なぜこのムックに掲載されているのかは謎です。『FINE BOYS』本誌の特集とかで良かったと思うんですが…
人気デザイナーズブランドがオンリーショップを構える渋谷
で、次のページからはショッピングバイブルの本題に入ります。まずは“テイスト別賢いショッピングルート大公開”。1つ目は“やっぱり最初は超大人気ブランドのオンリーショップを押さえる”。
筆頭が、個性的な作品に2024年の今も世界的な人気を誇る大阪発のデザイナーズブランド、ビューティービースト。そのセカンドラインであるオルソビューティービーストの渋谷パルコ店です。
90年代に爆発的な人気を集めたデザイナーズブランド、ビューティービーストについては以下の記事で詳しくご紹介しています。
マサキマツシマも、1990年代のデザイナーズ人気を代表するブランドです。で、ビューティービースト、マサキマツシマ、そしてアニエスベーにポール・スミスと、当時の人気デザイナーズブランドが揃ってオンリーショップを構えていたのが渋谷だったのです。
次ページは“先端モード系セレクトショップで最新おすすめブランドを総見”。当時は「デザイナーズ」という言葉はほとんど使われておらず、「モード系」という言葉が一般的でした。
この頃のミハラヤスヒロはシューズのみの展開だったはず。僕も神戸のモード系ショップ、ボードレーでミハラヤスヒロの靴をよく見ていました。オールレザーのコンバースオールスタータイプとか、当時は新鮮だったんですよねぇ。
スペースは大阪発のセレクトショップ。
このページに掲載されているアドヴァンストチキューやザ・マンアクアガールラブドなんかは、雑誌でしか見られない憧れのショップでした。
お次は“カリスマブランドの聖地「原宿」でストリートの今に触れる”。1990年代の原宿と言えば、やはり裏原系。ネイバーフッドやヘクティクなどの裏原系ショップが掲載されていますが、ア・ベイシング・エイプやアンダーカバーを扱うノーウェアをはじめ、多くの裏原系のショップはこういった雑誌の企画には登場しないというスタンスでした。
次は“期待の若手デザイナーの隠れ家的ショップで新しい才能に触れる”。
一番大きく扱われているのが、ナンバーナイン。
ナンバーナインについてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。
次は“セレクトショップの大御所が作り出すオリジナルの魅力に迫る!”。今はビームス、ユナイテッドアローズなどの大手セレクトショップの品揃えのほとんどをオリジナルアイテムが占めるようになっており、適度にトレンドを取り入れた中庸なデザインが主流になっていますが、1990年代は大手セレクトショップのオリジナルアイテムはまだ少数で、しかも「こんなのが欲しい!」というスタッフの思いが強く反映されたラインナップだったので、良品も多数ありました。古き良き時代です。
“雑誌などでお馴染みのあの人から着こなしを伝授してもらう”。
上掲の亀石三兄弟が手掛けるアニューショップや、
1990年代は古着のご意見番的存在だった、半沢和彦さんのマービンズなど。
渋谷のファッションビルに多数のメンズショップ
“人気ショップがぎゅっとあつまった!注目ファッションビル完全解剖”。
当時は数多くのファッションビルがありましたが、筆頭で紹介されているのは渋谷パルコパート1と、渋谷パルコクアトロです。
現在渋谷パルコは1店舗に集約されていますが、90年代は渋谷のパルコにこれだけの数のメンズショップがあったということが驚きではないでしょうか。パート1にはイッセイミヤケ、コムデギャルソンオム、ワイズフォーメンと、御三家が揃い踏み。
マルイも渋谷に2店舗。マルイシティ渋谷と丸井渋谷ヤング館。ジョゼ・レヴィなど、個人的に非常に懐かしいデザイナーズブランドが。
MR99年4月号。ジョゼレヴィ。好きだったんですけどね。今なにしてはるんでしょう。 pic.twitter.com/iYxwlrNH9b
— 山田耕史 ファッションアーカイブ研究 (@yamada0221) 2018年4月5日
マルイについてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。
そして、渋谷ショップガイドの始まりです。
まずはマップ。
そして、それぞれのショップ詳細。まずはビームスやユナイテッドアローズなど。
右ページ、今はビッグサイズのお店という印象が強いゼンモール。
次ページには、グッドイナフなどの裏原系ブランドを扱っていたELTやメイドインワールドなどの当時の人気セレクトショップが。右ページは、名古屋発のモード系セレクトショップ、ミッドウエスト。
今もアーカイブアイテムとして人気のダーク・ビッケンバーグのワイヤーブーツにキャンバス素材があったとは知りませんでした。
次の右ページは最初にインタビューページをご紹介した、パイドパイパー。
こちらの右ページのS.T.Sというショップは初見。
“オンリーショップ”。海外ブランドが中心。
右ページダブルショックというお店は、インディーズブランドを取り扱っていたとのこと。面白そう。
もちろん当時は新品ですが、今からすると90sヴィンテージのステューシーやボルコム。
左ページは古着屋さん。昨年惜しまれつつ閉店したサンタモニカ渋谷店。
グッズ系。
右ページはマルイ系のトルネードマート。
左ページ、マルイ系のイネドオムが路面店を構えていたのは知りませんでした。
サイバー系のフェトウスや、玄人好みのヒピハパなどもオンリーショップを構えていた時代。
右ページ、ABCマートは革靴が安いですね。イタリアの老舗、サントーニが6万円。
ということで、今号の渋谷ショップ紹介は以上。
1980年代にファッションの発信地として存在感を強めた渋谷
この後、原宿や青山、代官山などの各街のショップ紹介のページが続きますが、掲載されているショップの数は渋谷が最多です。
これまでの“ファッションアーカイヴ”でもご紹介してきたように、1970年代は原宿が若者による新しいファッションの発信地でした。
1980年代以降も原宿は新しいファッションの発信地としての役割を存分に果たしていきますが、1980年代から徐々に新しいファッションの発信地として存在感を増し始めたのが渋谷です。
赤字続きの西武を日本一の百貨店に変えた堤清二
そして、冒頭でご紹介したように、「ファッションの街、渋谷」というイメージが生まれることに大きな影響を与えたのが、堤清二です。
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