目次
- ジャパニーズカルチャーの基礎が固まった1980年代
- 一気に多様化した1980年代のメンズファッション
- 1980年代のメンズファッションのベースは“アメトラ”
- 1970年代〜DCブランドブームに至るまでのストーリー
- デザイナー自身が語るDCブランドとアメカジとの親和性
- アメトラ・アメカジ×デザイナーズコーディネート
- 「ミスマッチ」を楽しむミックスコーディネート提案
- 1984年の人気デザイナーズブランド12
- “無敵の個性派ファッション人間完成だ”
- イタカジにあわせるジーンズは501がベスト
- “トランスの震源地はこのショップ、ビームス”
- 「みゆき族」から「フーテン族」へ
- 若者が地面に座るのが当たり前だった70年代
- 1980年代の若者が地面に座らなくなった理由
- 日本にDCブランドブームが到来した理由
- 80年代の若者は“洋服で自分を表現”できる経済的な余裕があった
- おまけその1:石津謙介のスーパークッキング
- おまけその2:デザイナーズから古着まで網羅したスタジャンカタログ
- おまけその3:女の子のトランスカジュアル
今回ご紹介するのは、『Checkmate』1984年11月号です。
ジャパニーズカルチャーの基礎が固まった1980年代
僕が作成した「日本の政治経済とメンズファッションの歴史」を見てみると、戦後、神武景気、岩戸景気、いざなぎ景気という景気の急拡大が続いたのちに迎えた1980年代の前半は、安定成長の時代でした。
1982年にはヨウジヤマモト、コムデギャルソンの「黒の衝撃」が世界のファッションに大きなショックを与え、1983年にはファミコンが発売されるなど、戦後アメリカに追いつけ追い越せを目標としていた日本が独自のカルチャーを生み出し、それが1990年代以降世界を席巻する基礎固めとなったのが、1980年代と言えるでしょう。
その前提の上、誌面を見ていきます。
右ページ。DCブランドの一角、パッゾの広告。
表紙にも登場していた、時任三郎さんのグラビアページ。
グリーンのコンバースオールスター着用。クレジットは月星化成。今のムーンスターです。
右ページはDCブランド、アバハウスの広告。
“不可思議でかわいい男達に。”というキャッチコピー。1980年代はこういった広告のキャッチコピーの注目度が非常に高かった時代でした。
一気に多様化した1980年代のメンズファッション
今号の特集は“総集版 トランスカジュアルハンドブック50”。
“チェックメイトの愛読者には、もうすっかりおなじみの、トランス・カジュアル。そろそろトラッドは卒業して自分のオシャレがしたいと思い始めた若い人たちの間で、静かなというより、いまは熱っぽいブームとなってきた”
トランスカジュアルは、当時『Checkmate』が提唱していたスタイルのようで、1980年代中盤の『Checkmate』の表紙の多くには「トランスカジュアル」の文字が大書されています。
https://fashion.aucfan.com/yahoo/o1057313276/
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/1098506762
では、トランスカジュアルとはどういったスタイルだったのでしょうか。“色でわかる トランスカジュアル組合せ表”と題されたこのページにその答えがあります。
“トランス・カジュアルの定義は難しい。ルールにしばられないで楽しむファッションだから、言葉で説明しても仕方がないのだ”としつつも、
“ファッションが多様化してきた。ジャンル別にしただけでアメリカン・トラッド、ヘビーデューティ、サープラス、古着、ブリティッシュ、イタカジ、 デザイナーズ・ブランド等が共存共栄していてそれぞれに人気がある。トランス・カジュアルとはそれぞれのジャンルのアイテムをピックアップして自由に楽しく着こなそうというファッション。
(強調引用者以下同)
と、同じページであっさりと言葉で説明してくれています。
“それぞれのジャンルのアイテムをピックアップして自由に楽しく着こなそうというファッション”は、ミックスカジュアルと言い換えられるでしょう。
そして、そのミックスカジュアルが台頭してきた最大の理由が“ファッションの多様化”。
つまり、1980年代に入って日本のメンズファッションの多様化が一気に進み、ファッション文化が成熟してきたことがわかります。
1980年代のメンズファッションのベースは“アメトラ”
当時のメンズファッションを構成していたのが、以下の5つのスタイル。
それぞれ、現代風に表記し直すとこんな感じでしょうか。(ほぼそのまんまのもありますが)
“イタリアン・カジュアル”→イタリアン
“ヘビーデューティー”→ワーク&アウトドア
“サープラス・アンティック”→ミリタリー
“ブリティッシュ・トラッド”→ブリティッシュ
“デザイナーズ・ブランド”→デザイナーズ
“アメリカン・トラッド”→アメトラ
それぞれの説明がこちら。
イタカジではCPやボール、アルマーニ・ブランドに人気がある。
ヘビーデューティではバッファロー・プレイド やワーク・ブーツ、ウエスタン物等が 含まれる。
サープラスや古着はアメリカの50年代のものが多い。
デザイナーズ・ブランドではビギ、メルローズ、 グラス、パッゾ、ブレインズ等が人気。
ブリティッシュは今年になって急に注目されはじめた、タータン・チェック やペイズリー柄のシャツやネクタイが本命。
それらをアメリカン・トラッド をベースにして着こなす。君ならどのタイプを選ぶかな?
“それらをアメリカン・トラッド をベースにして着こなす”という文言から、1984年当時のメンズファッションの軸にはアメトラがあった、ということがわかります。
そして、上掲の5スタイルの背景の色が、イラストのコーディネートアイテムと連動しています。
こちらは、コートが“デザイナーズ・ブランド”、シャツが“アメリカン・トラッド”、そしてリーバイスではなく“《リーバイ》501”は“ヘビーデューティー”。
どのコーディネートも、それぞれのスタイルのアイテムをミックスして着用しています。
とはいえ、こうやってイラストになると特にそれぞれのスタイルの違いがわかりにくくなりますし、そもそも今の感覚からすると、どのコーディネートもベースとなっていたアメトラのちょっとしたアレンジバージョン、くらいにしか見えません。
それだけ、当時はメンズファッションにおけるアメトラの比重が大きかったということでしょう。
1970年代〜DCブランドブームに至るまでのストーリー
ここで少し、特集“総集版 トランスカジュアルハンドブック50”から離れ、1980年代のDCブランドブームに至るまでのストーリーついて整理しておきます。
1970年代の原宿では、荒牧太郎のマドモアゼルノンノン、菊池武夫、稲葉賀恵のビギ、大川ひとみのミルク、松田光弘のニコルなど、「マンションメーカー」と呼ばれる、新興ファッションブランドが生まれ始め、若者達による新しいファッションが発信されるようになりました。
その後、デザイナーたちが同時期にファッションショーを開催することで、バイヤーやメディアの利便性を高め、東京のファッションを国内外に発信することを目的に、ピンクハウスの金子功やコシノジュンコなど当時の人気若手デザイナーたちにより、1974年に「TD6」が組織されます。
その「TD6」が母体となり、1981年には東京コレクション事務局が組織され、会員デザイナー32名が参加します。
また、1970年代には森英恵や高田賢三、三宅一生らがパリやニューヨークなど、世界の舞台へ躍り出るようになります。
さらに、1970年代はイタリアのジョルジオ・アルマーニなど、海外のデザイナーズブランドの人気も高まっていました。
https://www.pinterest.jp/pin/831336412477454276/
このように、デザイナーズブランドが認知を飛躍的に高めていたのが、1980年代前半でした。
そして、ヨウジヤマモトとコムデギャルソンがパリコレクションで「黒の衝撃」として脚光を浴びるのが、1981年。
その影響を受け、1982年にはカラス族というムーブメントが生まれます。
https://www.pinterest.jp/pin/2674081022661955/
そして、1983年頃にはDCブランドブームが到来。
DCブランドブームの息は長く、これまでの“ファッションアーカイブ”でもご紹介したように、その人気は1980年代終盤まで続きました。
そして、1980年代終盤のDCブランドブーム衰退期に産声をあげたのが、渋カジです。
デザイナー自身が語るDCブランドとアメカジとの親和性
誌面に戻りますが、続いてご紹介したいのが、今号の最後に掲載されている“トップ・デザイナーズ・ブランド秋冬コレクション ボクの服こう着てほしい。”というページ。
“本誌読者アンケートで必ずトップテンに入るデザイナーズ・ブランド”のデザイナーが自身のコレクションについて解説しています。
メンズ・ビギのデザイナー、今西祐次さんは“無理してトータルでビギのものを全部揃える必要なないから、何か一点、僕の服を着てみて欲しい。コーディネートはアメリカン・カジュアルのものだと大抵組み合わせることが出来るから自分のワードローブを活用すること。古着とのトランスも面白いと思う”と、メンズ・ビギのスタイルがアメカジとの親和性が高い、つまりアメトラと近しいスタイルであることを語っています。
続いての、メンズメルローズは“’50年代のアメリカのカジュアル・ウエア、特にワーク・ウエアやアウトドアウエアが感覚的な素材になっている作品が多い”と、メンズ・ビギと同じようにアメカジとの関係性が明記されています。
グラス・メンズのデザイナー、斎藤淳さんは“僕が10代の頃、友達がみんなアイビーを着ていたので当時最も新しかったロンドンのモッズ・ルックをしていた”と、イギリス推しの模様。
アバハウスのデザイナー、原清浩さんは“アメリカン・カジュアル、ワーウ・ウエアなどとトランス出来るから自分で工夫して着て欲しい”と、やはりアメカジの影響を語っています。
パッゾのデザイナー、正木則幸さんは“僕自身でいえば若い頃に着たアイビーやトラッドがいまでもベースになっているし、大好き。だから僕の洋服はヨーロッパっぽい色や味付けはしてあるけど、昨日迄アイビーを着ていた人達でも素直に着こなせると思う。ベースがアメリカン・カジュアルだからね。したがってアメリカものとは自然にトランスしやすいし、特にリーバイスやリーのジーンズなんかとは最高に相性がいいはず”と、具体的なブランドまで挙げてアメカジとの親和性を強調しています。
ブレンズのデザイナー、宮崎隆博さんも、“例えばデニムのワーク・シャツにタイドアップでカラフルなニット・ベストをポイントにしてストレートなジーンズなんて着こなしが若々しくて良いよねぇ”と、アメカジアイテムを挙げています。
“イタリアン・カジュアルのカテゴリーを越えたニューテイストに仕上がっている”と評される、ボネヴィルのコーディネーター山田容弘さんは“ベースが軍服をアレンジしたものが多いから当然アメリカのサープラスものやウエスタン、ワーク・ウエアとトランス出来るはず”と発言。
DCブランドはジャケットやシャツ、スラックスなどのフォーマルなアイテムが中心ですが、その根底にあるのはアメトラとアメカジがあった、ということを頭に入れておくと、今号の特集が読みやすいのではないかと思います。
アメトラ・アメカジ×デザイナーズコーディネート
さて、特集“総集版 トランスカジュアルハンドブック50”に戻りましょう。
“トラッド・ワードローブ着こなしマイウェイ”。
“まずはだれもが持っているツイード・ジャケット”。このように、アメトラ・アメカジアイテムを軸に、デザイナーズやイタリアンなど様々なアイテムとのコーディネートが提案されています。
右のキメてるポーズはインナーがDCブランドのアバハウスとイサム・メンのもの。左は古着のカレッジTシャツに、ハリウッドランチマーケットのダンガリーシャツ。
お次はアメトラの代名詞的アイテム、ネイビーブレザー。
今も定番アイテムとして愛されるイギリスの老舗、バラクータのスウィングトップ。
オーセンティックなワークアイテム、フィルソンのマッキーノクルーザー。
最後のステンカラーコートは、日本ブランドのグレンオーバーのもの。
「ミスマッチ」を楽しむミックスコーディネート提案
続いての特集は、“ミスマッチコーディネートIN AND OUT”。
“かつては、やりすぎと思われていた着こなしが、いまファッションの主流に躍り出た!何がIN(イマ風)で何がOUT(時代オクレ)かを判断するのはキミのファッション感覚にかかっている”という、いわばそれまでのセオリーを無視したミックスコーディネート提案です。
↑の右ページは“トラッドファッションのマストアイテム”ネイビーブレザーを“トランスカジュアル的な着こなしで”イタリアンアイテムとコーディネート。
左ページは“最もオーソドックスなスーツであるグレーフランネル”を“東京デザイナーズ風の着こなし”に。
こういった、スタイルの垣根を越えたミックスコーディネートは、当時まだまだ新鮮だったことが伺えます。
特集のタイトルにもありますが、“ステンカラーコートをドレスダウンするミスマッチ”や“カジュアルアップで着る“ダーク・オン・ビビッド”のミスマッチ”など、「ミスマッチ」を楽しむという、ある種の「一周回った」楽しみ方をしているのがポイント。
このような楽しみ方ができるのも、消費者がある程度ワードローブに服を揃えていて、ファッションリテラシーも育っていたから可能になったからなのでしょう。
1984年の人気デザイナーズブランド12
次は、“トランサブル・デザイナーズ・ブランド12”。人気のデザイナーズブランドを古着などのアメカジアイテムと「トランス」コーディネートする特集です。
筆頭はメンズ・ビギ。
パッゾ。合わせているブルゾンは、後に渋カジムーブメントで重要な存在となる渋谷のバックドロップ。
ブレインズ。ここまでは上掲の特集にも登場した、人気ブランド。とはいえ、僕はブレインズは今号を見るまで知りませんでした。
こちらのバリーズ・ユウも同様。
次ページ。
パチーノも知らなかったブランドです。
DCブランドのDCはデザイナーズのDと、キャラクターのCを合わせた言葉で、このパーソンズはキャラクターブランドを代表する存在ですが、当時の『Checkmate』ではまだDCブランドという名称は使われておらず、デザイナーズもキャラクターもあわせてデザイナーズブランドと呼称していたようです。
アルバタックス。
バルー。
次ページ。
アバハウスは迷彩柄のオーバーオールとコーディネート。
フランドル。
アトリエサブ。後にアトリエサブフォーメンというマルイ系ブランドを展開していましたが、今はもうないようです。
イサム・メン。
“無敵の個性派ファッション人間完成だ”
次は“ファッショナブル・エリートにおすすめサープラス利用術”。ミリタリーアイテムのコーディネート提案です。
“個性アップを狙う諸君。世界のデザイナーがモチーフにする憧れのサープラス。これをトランスできれば、無敵の個性派ファッション人間完成だ”ということです。
今の感覚だと、まぁこんなのもあるかな、ぐらいです。当時の感覚でこのコーディネートを見たら、どう思ったのかは気になります。
イタカジにあわせるジーンズは501がベスト
“海外ブランドVS国産ブランド イタカジ・トレンド合戦”。
上述したように、この頃はジョルジオ・アルマーニや、デザインジーンズを提案したボールをはじめとしたイタリアンブランドが人気でした。
“アーミー風をオシャレに仕立てたブルゾン”はボールのもの。
“ジーンズはリーバイスの501タイプがベスト”と、ここでは、イタカジとジーンズをあわせるコーディネートを提案しています。
“ヨーロッパに多いリーバイスもどき”。もどきって笑。
次ページは“国産ブランド”が中心。
やはり合わせるのはジーンズ。
Pの文字が目を引くパーソンズのブルゾン。
こういう雰囲気は、2024年の今でも街で見かけそうです。
“トランスの震源地はこのショップ、ビームス”
“全国6大都市人気トランス・ショップ店内まるごとキミ向き商品”。
ショップ案内ページです。筆頭は札幌のサニー・サイド・アップというお店。
渋谷のファソナブル。
銀座のゲーブルと、今はなきお店が並んでいます。
次ページ。
“トランスの震源地はこのショップ、ビームス”。ということで、日本のセレクトショップの草分けのひとつ、ビームスがようやく登場。
名古屋のガルボはボールのブルゾンを提案。
京都のロフトマンは、今は大阪や東京にもお店を構えるセレクトショップ。
左ページは“トランスカジュアル用語集AtoZ”。
イラストは綿谷寛御大です。
「みゆき族」から「フーテン族」へ
さて、ここでひとまず誌面の紹介はひとやすみして、1984年当時のファッションの流れを再確認してみます。
当記事でご紹介しているように、1984年当時はアメトラがメンズファッションの軸でした。
改めて上掲の年表を見てみましょう。
1960年代の「みゆき族」や『TAKE IVY』が日本でのアメトラファッションの先導役でした。
そのなかでも重要な役割を果たしたのが、石津謙介が率いた日本のメンズファッションブランド、VANです。VANは日本のメンズファッションの歴史を語るうえで欠かせない存在なので、いずれ“ファッションアーカイブ”でもご紹介するつもりです。
https://www.pinterest.jp/pin/109212359708457889/
1960年代終盤にはヒッピーカルチャーが日本にも到来しました。とは言っても、反体制運動から生まれ、自然回帰など精神的な要素も多分にあったアメリカのヒッピーは、日本でブームになることはありませんでした。日本版の「ヒッピー的な」スタイルとして、1967年頃に「フーテン族」が登場します。
https://www.pinterest.jp/pin/841328774141014336/
1970年代には、『POPEYE』創刊に代表されるように、アメリカの西海岸のカジュアルウェアが、カルチャーと共に紹介されるようになります。
アメリカのカジュアルウェアの代表格と言えば、やはりジーンズ。以前から若者文化の象徴的存在だったジーンズは、さらに市民権を得るようになりました。
https://www.pinterest.jp/pin/1116963145064688847/
若者が地面に座るのが当たり前だった70年代
1970年代から80年代の若者文化のマインドについて、劇作家の宮沢章夫さんの、東京大学での講義をまとめた書籍「東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版」から引用します。(強調引用者以下同)
「東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版」(Amazon)
宮沢章夫さんのよると、1970年代の若者はジーンズを穿いて地面に座るのが当たり前だったそうです。
70年代に、たとえば僕たちはジーンズをはいて地べたに座るのは、あたりまえだったんだよ。それが80年代にピタッと消えた。 それはひとつには、70年代の若者は、ほとんど100パーセント汚い格好をしてた。地べたに座るのが普通だったし。
上掲の1967年の「フーテン族」の画像は地面に座るどころか寝転んでいる始末。
こちらは1980年代初頭と思われる、原宿の歩行者天国、通称ホコ天の風景。女性も男性も地面に座っています。
https://www.pinterest.jp/pin/467952217548309436/
1980年代の若者が地面に座らなくなった理由
ですが、1980年代に入ると、若者の価値観に大きな変化が訪れます。
宮沢章夫さんによると、1980年代に入ると若者は地面に座らなくなったのです。
その理由はファッションにありました。