山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

ファッションアーカイブ

【1995年】木村拓哉と90sストリートカルチャーから紐解く「カッコいい」という価値観。

木村拓哉さんが表紙の1995年『ホットドッグ・プレス』。 渋谷のリアルなストリートファッションや、有名私立高校生のカルチャー、日本と西洋の「美」の価値観の変遷から、「カッコいい」とは何かを紐解きます。

【2004年】ちょうど20年前、黎明期のお兄系が格好良くてファッションの参考になりそうです。

2004年『メンズエッグ』の黎明期の「お兄系」は普通に参考にできる格好良いスタイルが結構あって驚きます。 クラブスナップや、真夜中に群馬の駅前に集まる若者の「ワル」なカルチャーレポートは資料価値あり。

【2004年】ギャル男ファッション突然変異体「センターGUY」と、渋谷で革新的なストリートファッションが生まれる理由。

2004年頃登場した、ギャル男ファッションの突然変異体「センターGUY」。 その始祖である渋カジやコギャルなど、革新的なストリートファッションが90〜00年代の渋谷で誕生した理由を探りました。

2011年『メンズナックル』に見る「お兄系」進化の最終形態。

2011年『メンズナックル』に見る「お兄系」進化の最終形態。

渋カジの象徴「革ジャン」を2500人の学生に売った、たったひとりの「チーマー」。

「日本初のストリートファッション」と言われるムーブメント、渋カジ。 渋カジを代表するアイテム、革ジャンを流行らせたのは、実はたったひとりのチーマー。 そしてそのチーマーは後に著名起業家になったのです。

昭和のスキーブームへの“道”を造った田中角栄と、ユーミンの“聖地”苗場を開発した堤義明。

政治、経済、カルチャー、ファッションは繋がっている。 70年代を代表する人気スポーツ、スキー。 80年代のカルチャーを象徴する、ユーミン。 それらの礎となったのが、政治家の田中角栄と、実業家の堤義明でした。

「ファッションの街、渋谷」が生まれた理由。パルコを創った実業家、堤清二とパルコ。

「渋カジ」「コギャル」など、90年代にトレンドの発信地となった渋谷。 渋谷をファッションの街に変えたのが、実業家の堤清二が生み出したパルコだった。 パルコはカルチャーの力で、若者を渋谷に呼び寄せた。

【1993年】川久保玲の貴重なメンズインタビューを完全ノーカットでお届け!【コムデギャルソンオムプリュス】

川久保玲の、非常に貴重なメンズについての1993年のインタビューを、完全ノーカットで書き起こし。 プリュスを始めた理由、メンズのデザインの方法論、素材の加工、黒という色についてなど、読み応えたっぷりです。

【1985年】DCブランドブームの裏の主役。日本人デザイナーの躍進を支えた「丸井の赤いカード」。

80年代のファッション文化発展の裏に、経済の豊かさがありました。 85年『Hot-Dog PRESS』スナップに登場する凝ったファッションの若者。 彼らが高価な服を購入できた理由のひとつが丸井の「赤いカード」です。

【1984年】ファッションの価値観を大きく変えたDCブランドブームに、若者たちが「熱狂できた」経済的な理由。

今見ると新鮮な、80年代のDCブランドブームは、それまでの若者の価値観を180度変える強い影響力がありました。 その理由と、ブームの根源を経済と戦後ファッション史の流れの両面から分析。

00年代「マルイ系」ブランド、PPFMの海外から熱狂的な支持を受けるガラパゴス的超進化デザイン。

『FINE BOYS』2006年に登場している、この時代ならではのロックスタイル。 そしてマルイ系ブランドの中でも、近年海外で再評価されているPPFMの、個性的過ぎるデザインにフォーカスしました。

【1986年】小泉今日子×藤原ヒロシに学ぶ、バブル景気突入前夜の着こなし。

1986年『Hot-Dog PRESS』のコーディネイト特集。 バブル景気に沸いていた当時ならではの刺激的なスタイル。 目玉は藤原ヒロシがスタイリングした、全身セディショナリーズの小泉今日子。

【1990年】渋カジ全盛期にインポートブランドが大人気だった「経済的な」理由。

1990年『POPEYE』の特集は“渋カジ必携インポートFASHIONカタログ”。 日本初のストリートファッション、渋カジ。 この時代に「インポート」が人気だった理由を、経済的な視点から紐解きます。

【1997年】ハイテクスニーカーブームの“始まり”と“終わり”を告げた広末涼子と、「スニーカー秋の時代」だから生まれた名作の数々。【Hot Dog PRESS】

1997年の『Hot Dog PRESS』でヴァンズを持つ広末涼子さんは、「ハイテクスニーカーブームの終焉」を象徴していました。 当時の裏原系のストリートスナップや、ACGなどのレアな90年代スニーカーの画像も満載です。

【2013年】10年前の『smart』から分析する「タンスの肥やし」になってしまう服の特徴。

10年前のファッション誌『smart』から、「古さ」を感じるファッションとはどういうものかを分析してみると、3つの要素が浮かび上がりました。 ・足し算デザイン ・派手な色 ・変化球的コーディネート

【1995年】アメリカの90sカルチャーが丸わかり。アメリカの通販カタログを集めた「カタログのカタログ」。

1995年発売のメンズクラブ別冊「カタログのカタログ」は、アメリカの通販カタログのカタログ。 古着でお馴染みLLビーン、REI、ランズエンドをはじめ、自転車、マリン、乗馬など90sアメリカカルチャーが丸わかり。

『AKIRA』が世界のファッションシーンで熱狂的に支持される理由。

『AKIRA』Tシャツが高額で取引される背景には、劇場版公開当時の革新的なビジネスモデルと、日本経済が生み出した革命的な電子機器がありました。

意外な関連性多数。日本の「政治経済」と「メンズファッション」の歴史。

「日本の政治経済とメンズファッションの歴史」に掲載した各年代がどういった時代だったのかを、参考となる当ブログの過去記事と共にご紹介いきます。

1989年の「世界の一流品」と、1999年の「ボクたち的ステイタス」。バブル崩壊で変わったファッションの価値観。

1989年と1999年、バブル崩壊を挟んでちょうど10年の「POPEYE」を徹底比較。 「一流」を買い漁っていたバブル景気真っ只中の1989年。 本格的な不景気だった1999年に求められていたのは“ボクたちのカリスマ”でした。

【1993年】バブル崩壊後だから生まれた“普通”ファッションと、「裏原系」独自のカルチャーを育んだ「地価の下落」。

1993年「POPEYE」提案の「普通のファッション」は「バブル崩壊」があったからこそ生まれました。 そして「裏原系」が世界を動かすカルチャーになった源泉には「バブル崩壊」による「地価の下落」がありました。

ナンバーナインとお兄系。2006年「FINE BOYS」から振り返る、00年代の日本を席巻したロック系ストリートファッション。

現在アーカイブが高騰する、宮下貴裕によるナンバーナインと、日本中を席巻した渋谷のギャル男ファッション、お兄系。 2006年「FINE BOYS」から見えたのは、この2つの日本独自のストリートファッションでした。

00年代の「カッコイイ」を定義したエディ・スリマンと、その末裔の2006年マルイ系・セレオリから考える「大衆化」と「ダサさ」。

目次 今の感覚から最もかけ離れたファッション 大学生がターゲットでマルイ系、セレオリがメインの「FINE BOYS」 “全身でタイトなシルエットを堪能する” 2006年の人気ブランドの今 “4大上品小物”で“ぐーんと差がつく” 人気ブランド、シェラックの今 “タイド…

大統領も熱狂した1970年代のジョギングブームを駆け抜けたブルックス。

ファッション×歴史の読み物“ファッションアーカイブ”第20弾。 70年代のジョギングブームは、どうやって生まれ、アメリカ全土を席巻し、そして日本で大人気になるまでのムーブメントになったのか。 語られる事の少ないブルックスやスポルディングの歴史も併せ…

1970年代のテニス人気と、スタン・スミスが歴史に残る大ヒットスニーカーになった理由。

1978年「POPEYE」から紐解く、70年代スニーカー。 当時人気だったテニスから生まれた名作スニーカーの数々。 その筆頭、アディダスのスタン・スミスが登場して50年以上経った今も人気を集める理由を探りました。

1978年「POPEYE」から紐解く、70年代にスニーカーが大きな進化を遂げた理由。

1978年「POPEYE」に掲載された、ジョギング・ランニングシューズの数々。 この時代にアシックス、プーマ、ニューバランス、ナイキなどの名作スニーカーが多数生まれた理由を探りました。

イギリスのサッカーカルチャーが生んだストリートムーブメント「カジュアルス」が愛したスニーカー。

80年代にイギリスで生まれたストリートカルチャー「カジュアルス」。 サッカーに熱狂する労働者階級の若者たちは、なぜスニーカーを愛したのか。中でもアディダスはなぜ圧倒的人気を誇ったのかを徹底深掘り。

1977年「POPEYE」で探る、スニーカーがファッションになった瞬間。

1977〜78年の「POPEYE」のスニーカー記事や広告を徹底紹介。 スニーカーがスポーツギアからファッションになる過渡期。 アディダス、プーマ、アシックス、ニューバランス、ヴァンズの歴史も深掘りしています。

「最後のストリートカルチャー」ピストが最高にクールだった2007年の記録。

目次 最後のストリートカルチャー、ピスト 「ブレーキなし。問題なし。」 藤原ヒロシとピスト 無駄の一切ないクールな機能美 大友克洋・寺田克也が描くジロ・デ・イタリア これからの自転車カルチャーとファッション 先週の“ファッションアーカイブ”では、19…

1981年のロサンゼルス自転車カルチャーと「POPEYE」が提案する自転車ライフスタイル&ファッション。

自転車特集の1981年「POPEYE」。 ロサンゼルスに新たに登場した自転車カルチャーを、多数の写真と共にレポート。 80年代ならではの軽井沢ツーリングの提案や、今の感覚でも新しいサイクルウェア×カジュアルファッションが見ものです。

ラルフ・ローレン“徹底解剖”第二章 カルチャー編。トミー・ヒルフィガーとの激闘の末に訪れたヒップホップとの邂逅。

ラルフは何故ヒップホップやスケート等のカルチャーを愛する人達から熱烈に支持されるのか? その理由を探ると浮かび上がったのはビジネスのライバル、トミー・ヒルフィガーの存在でした