山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

ファッションアーカイブ

アメリカ消費文化の歴史がまるわかり。超貴重な1940年〜2017年のシアーズのカタログアーカイブサイトを発見!

1940年から2017年まで77年間のシアーズのカタログを掲載しているウェブサイト。古着をはじめとした様々な分野の時代考証や暇潰しまで、幅広く楽しめるアーカイブです。

1982年にギャルソン、ワイズ、イッセイが打ち出していた「中古感覚」。

世界一多様性がある日本のファッションアーカイブの素晴らしさをもっと多くの人に知ってもらうために、先日新たにnoteでファッションアーカイブコンテンツの発信を始めました。

【4/2まで】ヘアデザイナー加茂克也さんの展覧会はジュンヤワタナベ、アンダーカバー、シャネルを飾った前衛的な作品が一挙集結で感動の美しさです。

ヘアデザイナー、加茂克也さんの展覧会が原宿の表参道ヒルズで開催されています。 numero.jp 入場無料。 会期は4月2日までと短めです。 // 加茂克也さんと言えばジュンヤワタナベ 僕的に、加茂克也さんと言えばジュンヤワタナベのコレクションのヘアを長年手…

戦後〜80年代の日本経済の驚異的な成長と、世界に進出する日本人デザイナーたち。

先日の記事でご紹介した、「山田耕史のファッションノート」。 www.yamadakoji.com その第一弾記事が、「戦後経済と「ジャパニーズ・デザイナー・アズ・ナンバーワン」。1982年にコムデギャルソンとヨウジヤマモトが起こした「中古感覚革命」。」です。 note…

【ファッション×歴史】を知的に深く楽しめるサブスク「山田耕史のファッションノート」をはじめました。

昔のファッション誌を集めて初めて認識しましたが、FRUiTS以外にも魅力的な日本のファッションアーカイブは無数に存在しています。 ですが、そのほとんどは今後も日の目を見ることなく、忘れ去られてしまうでしょう。 なので、僕は微力ながらも、「山田耕史…

川久保、田中、チャラヤン、ヴィヴィアン、ラフ、ラング…2022年ファッションデザイナー記事まとめ。

川久保玲よりもレアなヘルムート・ラングのロングインタビューや、ヘルムート・ラング自身が関わった企画が多数掲載された1992年の雑誌を神保町でディグりました。 他ではなかなか読めない内容だと思います。

両足がない少年が、パンクファッションを身にまとった理由。

単なる道具として暑さ寒さから身を守るだけでなく、ファッションには音楽や映画と同じように、人の心を動かす力があり、ジーン・クレールが語っているように、甲本ヒロトが歌っているように、パンクには若者に生きる力を与える存在なのです。

パンクの女王ヴィヴィアン・ウエストウッドが語る「おしゃれ」と「センス」。

「ファッションでインパクトを与えるためにまずすべきことは、美しさを演出すること。美しい女性を目指す。似合う服を着る。おしゃれとは本来そういうことよ。」

なぜ、安全ピンはパンクの象徴となったのか?

安全ピンをパンクと結びつけたのは誰だったのか。 ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンがパートナーとして活動を始めた頃に訪れたニューヨークでの衝撃的な出会いに、その答えがありました。

SM趣味をファッションにしたパンクの父、マルコム・マクラーレン。

ヴィヴィアン・ウエストウッドがパンクの母だとすると、マルコム・マクラーレンはパンクの父。次々と前衛的な発想を生み出すマルコム・マクラーレンを父に、そして英国の伝統を愛するヴィヴィアン・ウエストウッドを母にして、生まれたのがパンクだったので…

セックス・ピストルズはなぜユニオンジャックやタータンチェックを身にまとったのか?

ヴィヴィアン・ウエストウッドが英国の伝統を象徴するモチーフをデザインに取り入れていたのには、彼女の原体験であるエリザベス女王の戴冠式の影響がありました。

パンクファッションが格好良いのは「必然性」があるから。

ヴィヴィアン・ウエストウッドは、パンクファッションの生みの親として広く知られています。そのクリエイションのルーツは、彼女の生い立ちにありました。

ラフ・シモンズのクリエイションのルーツは、東京の男子高校生だった。

1990年代、初期のラフ・シモンズのクリエイションのルーツに、東京の高校生たちの服装があったことを知り、僕は非常に驚きました。

川久保玲が語る「男のおしゃれ」「かっこいい男」。

「男子専科」1993年2月号。「コム・デ・ギャルソンオム物語」という特集で川久保玲が珍しくメンズファッションについて語っています。

今なら絶対バズる!フセイン・チャラヤンの「服になる家具」。

フセイン・チャラヤンの2000年秋冬のテーマは難民。貴重な財産を隠したりカモフラージュしたり、あるいはそれらを持ち運ぶというアイデアが服を通して表現されています。

今の気分にぴったりの1992年の木村拓哉と、3年後に流行るかもしれない1995年の木村拓哉。

今から3年後の2025年には、1995年の木村拓哉さんのようなセクシーファッションが台頭している可能性も、十分あると思います。

「ダメージジーンズにゴツいベルトが鉄則」。2004年メンノンのストリートスナップに学ぶ、ポストY2Kファッション。

2004年のストリートスナップを見ていると、特に多いのがダメージジーンズ。そして、それにゴツいデザインのベルトを合わせてるコーディネートが目立ちます。

令和のオシャレ、「Tシャツタックイン」は44年前もオシャレだった。【1978年 POPEYE】

今や若者の間ではスタンダードになった、Tシャツのタックイン。44年前の1978年のPOPEYEでは、今の若者の服装とそっくりとバランスの、タックインスタイルが主流でした。

【1996年POPEYE】90年代のcKカルバン・クラインとDKNYが格好良くて古着をディグりたい。

”再び注目を浴び始めているニューヨークのデザイナーたち。その代表ブランドが<cKカルバン・クライン>と<DKNY>だ”

【1996年POPEYE】ストリートファッションは背景にカルチャーがあるから格好良い。

やっぱりその人のカルチャーやライフスタイルにマッチしている服装ってめちゃくちゃ格好良いと思います。 服装に必然性、説得力がありますから。

【ギャルソン】1995年のTOKIOが着る、モード系人気ブランド。【アンダーカバー】

POPEYE1995年5月10日号巻頭特集は”TOKIO人気ブランドを着る”。当時はどんなデザイナーズブランドのどういったポイントが人気を集めていたのかがよくわかるようになっています。

昔の服は高かった?1996年POPEYEの「安い服」特集を検証してわかった、90年代の価値観。

”賢く、安くオシャレする。”という特集の1996年9月10日号のPOPEYEで、昔の服が高かったのかどうか検証してみました。

【Boon 1995年】下北沢の古着スタイルはサーフ&スケーター。

前回に続いて、以前、【ファッションアーカイブ】でご紹介した、Boon 1995年6月号の特集、”’70s末「異素材」古着をGETせよ!”というをピックアップしてご紹介します。 www.yamadakoji.com 今号一冊全部を駆け足でご紹介した記事はこちら。今回はこの記事から…

【Boon 1995年】サーフ、BMX、モトクロス。70s古着の魅力を徹底解剖。

Boon 1995年6月号の特集”’70s末「異素材」古着をGETせよ!”のご紹介です。

【グーグルマップ付き】ヘルムート・ラング本人がウィーンの行きつけスポットを案内!【1992年】

ウィーンを愛するヘルムート・ラング本人が案内するウィーン観光ガイド。

【1992年】ヘルムート・ラングと川久保玲と山本耀司。”シンプル”の背景にあるもの。【流行通信】

90年代初頭、”シンプル”は2022年の今で言うSDGsのような、軽薄なトレンドワードになっていたようです。ですが、ヘルムート・ラングの”シンプル”はそんな”似非シンプル”とは一線を画していました。

【1992年】ヘルムート・ラングが確立したファッションの新様式。【インタビュー】

ヘルムート・ラングと同じく、ジル・サンダーもミウッチャ・プラダも80年代に人気だったファッションデザイナーとは全く違った価値観を持っていることが充分に想像できます。

【1992年】ヘルムート・ラングが愛する街、ウィーンを形作った建築家オットー・ワーグナー。【インタビュー】

オットー・ワーグナーをはじめとした建築家たちが、19世紀末から20世紀初めに美しいウィーンの街を形作りました。20世紀の終わりに登場したファッションデザイナー、ヘルムート・ラングはそのウィーンの街から強くインスパイアを受け、ウィーンを拠点に世界…

【1992年】ヘルムート・ラングが語る、人々が不安なときに求める特別なデザイン。【インタビュー】

ヘルムート・ラング、ミウッチャ・プラダ、ジル・サンダー。ミニマルなデザインを得意とするこの3人のデザイナーが世界的な人気を集めた理由は単なるファッショントレンドだけでなく、世紀末という特別な時代を生きる人々がそういったデザインを求めていたか…

【1992年】ヘルムート・ラングとアドルフ・ロース。「単なるシンプル」ではない、創造の視点にあるもの。【インタビュー】

建築家、アドルフ・ロースの作品や精神を踏まえた上で、彼をリスペクトするヘルムート・ラングの服を改めて見てみると、感じ方が違ってくるのではないでしょうか?