
目次:
- 28歳の新鋭、ラフ・シモンズ
- ガチのファッションリーダーだった浜田雅功
- 男前な発言連発の木村拓哉インタビュー
- 裸に学ラン坊主頭でパンクをやってた永瀬正敏
- 1995年のリアルな渋谷ストリートファッション
- 木村拓哉を抑えて“カッコいい男”に選ばれた2人のモデル
- 今、いちばんカッコいい「有名私立高校生」
- DJとサーファーがカッコいい高校生の2大スタイル
- 戦後日本のナイスガイの系譜
- 「美」とはどういった価値観なのか
- 美とはプロポーションによって生まれる調和である
- 美は見つめる心のなかにのみ存在する
- カントが説いた美の自律性「美しいものは美しい」
- 江戸の「いき」と上方の「すい」
- 江戸の遊廓に育てられた「いき」の美意識
- 日本と西洋の「美」の価値観の違い
- 発売後2ヶ月で人気となったエアマックス95
- ブームで埋もれてしまった良デザインのスニーカー
- “好きなバッグのブランド”1位はグレゴリー
- “ミラノではD&Gが超人気だゾ!”
- “スタイリスト2GOを崇拝”
今回ご紹介するのは『Hot-Dog PRESS』1995年9月10日号です。
表紙は木村拓哉さん。

資生堂のヘアスタイリング剤の広告は藤井フミヤさん。着用しているシャツはアンダーカバーだと思うんですが…調べてみても決定的な証拠が見つかりませんでした。

28歳の新鋭、ラフ・シモンズ
ミニニュースのページの冒頭。
“アントワープの次世代デザイナー、ラフ・シモンズ”には触れずにはおれません。

“ドリスもマルジェラも、ビジネスベースの型にはめられてしまって、最近刺激の薄くなったデザイナーたち”と、アントワープの大物デザイナーたちへのディスから始まる文章笑。そして“そこに新風をふき込んだのが、28歳の新鋭、ラフ・シモンズだ。テッズ、スクールボーイ、マフィアギャング、またパトロールユニフォームなどからインスパイアをしたという独自の服づくりを今シーズンよりスタート”。

で、“←ラフ・シモンズ”と、明らかにデザイナー近影っぽく紹介されているこちらの写真。

実はこれはラフ・シモンズではなく、1996年春夏のインビテーションカードに掲載されていた、俳優のデヴィッド・ヘミングスです。
これ、ちょうど昨日ラフシモンズ調べてたら出てたんで、シェアします。https://t.co/RAwY1Q0n7M
— 666たかし (@qsXylrl53hI3CjE) 2024年3月7日
ラフの自画像じゃないっていう😂
リーバイスのコーデュロイジーンズの広告。良い色です。

ガチのファッションリーダーだった浜田雅功
ここから、“ボクたちも「カッコいい男」が好きだ!”という今号の特集が始まります。

“カッコいいと思う有名人はだれ?”というランキング、1位は木村拓哉さん。福山雅治さん、武田真治さん、いしだ壱成さん、浜田雅功さんが続きます。

そして、“ファッションを真似てみたいのは”というランキングは1位武田真治さん、2位木村拓哉さん、そしていしだ壱成さんと浜田雅功さんが同数で3位。

当時の浜田雅功さんはガチでそのファッションリーダーだったことが、このランキングからもわかるでしょう。

https://www.pinterest.jp/pin/612982199308258395/

https://www.pinterest.jp/pin/187180928257478760/

https://www.pinterest.jp/pin/741405157425814744/

https://www.pinterest.jp/pin/18999629669151590/

https://www.pinterest.jp/pin/21462535711159522/
男前な発言連発の木村拓哉インタビュー
とはいえ、やはり圧倒的人気を集めていたのが、木村拓哉さん。
“ジーンズの着こなしなんて何も考えないよ、普通。乾燥機の中から適当に取ってさ。馴染んだものが似合うもの、なんじゃないの”

“俺の顔がキレイ?そう思われているなら「ザマアミロ」って感じだね。興味ないよ”

“俺にとって“負けず嫌い”は、パワーの源、エネルギー。本当っぽい小理屈より、俺はこれを信じていきたい”と、ドラマのセリフのようななんとも男前なフレーズの連発。これ、普通にインタビューで木村拓哉さんが語った言葉なんでしょうか。

裸に学ラン坊主頭でパンクをやってた永瀬正敏
次は永瀬正敏さん。“学生の頃は、基本的にはモテなかったですよ。だから、女のコに「もてたい」と思ってバンドを組んだんです。裸に学ラン、坊主頭でRCとかピストルズとかクラsh酢のカバーをやってました。ニューミュージック全盛の中でPUNKやってたから、全然もてなかったです(笑)”という、ほっこりするエピソードを語っています。

お笑い芸人代表はヒロミさん。

1995年のリアルな渋谷ストリートファッション
ここからは“渋谷のKOOL GUYたちに聞く「カッコよさって何?」”という企画ですが、1995年のリアルな渋谷のストリートファッションの記録としてとても貴重な資料なので、じっくりご紹介してみます。

最初に登場しているのが、当時人気が出始めた頃だったリーボックポンプフューリーを取り入れたスタイル。今見ると、Tシャツのシルエットがかなりコンパクトです。

上掲の木村拓哉さんぽい雰囲気もある、ドゥエボットーニのシャツの第4ボタンまでガバっと開けた印象的な着こなしもインパクト大。

右下の彼が着用しているブーツはダーク・ビッケンバーグのものではないでしょうか。

ダーク・ビッケンバーグはドイツ出身の同名デザイナーによるブランド。

https://www.pinterest.jp/pin/375417318947818406/
マスキュリンな作風が特徴です。

https://www.pinterest.jp/pin/551902129352627073/
ダーク・ビッケンバーグを代表するアイテムであるワイヤーブーツは今も高値で取り引きされています。

https://www.pinterest.jp/pin/551902129352627073/
木村拓哉を抑えて“カッコいい男”に選ばれた2人のモデル
左端のナイキのTシャツの彼は16歳のダンサー。ティンバーランドのイエローブーツがクールです。

“カッコいい男が選ぶカッコいい有名人ベスト5”は、木村拓哉さんを抑えてモデルの松岡俊介さんと村上淳さんがワンツー。スケートボードやDJといったストリートカルチャーとも縁の深い2人に対して、“センスの良さがポイントみたい”というコメント。

こうやって俯瞰してみると、1990年代を象徴するファッションアイテムであるハイテクスニーカーを着用している人が全然いないことがわかります。後述しますが、この頃はまだハイテクスニーカーブームは本格化していませんでした。

“カッコいい男の御用達ショップ5”のトップは、グッドイナフをはじめとした裏原系ブランドを扱っていたメイド・イン・ワールド。2位のビームスの他は、ネペンテス、ONE DAY、パイドパイパーと、個店のセレクトショップが人気だったようです。

“タイプ別・美少女が開設する“カッコいい男のコ”の条件”。

今改めて見ると、なかなか趣深い面々です。

今、いちばんカッコいい「有名私立高校生」
次は、“今、いちばんカッコいいと噂の男子高校生“男前”選手権”。慶應義塾高校や青山学院高等部、そして明大中野高校などの「有名私立高校」の生徒たち。

これまでの“ファッションアーカイブ”の記事で触れていましたが、1990年前後に生まれた渋カジ以降、彼らのような高校生たちが、渋谷のストリートファッションに大きな影響を与えるようになっていました。
DJとサーファーがカッコいい高校生の2大スタイル
そんな“カッコいい高校生の2大スタイルを徹底検証”。

“DJ系”と“サーファー系”。“DJ系”は“ナイキゴルフのアウターでいいのがあったら買うつもり”、“サーファー系”は“70'sノスタルジックなプリントTのやサーフブランドTが人気”など、当時のリアルなファッション観が垣間見えます。

高校によって“DJ・ダンサー系”と“ストリートスポーツサーファー系”が分かれていた模様。

“マジに世界を目指し突っ走るコスモポリタンがカッコいい”。野茂英雄投手がメジャーリーグに移籍したことで、海外で活躍する日本人が注目を集めていた時代でした。そんな野茂投手をはじめ、イチロー選手がキャップを被ったことで脚光を浴びたdj hondaや、ビューティービーストのデザイナー山下隆生さんらがピックアップされています。

ビューティービーストについてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。
戦後日本のナイスガイの系譜
“時代を彩ったナイス・ガイ これがカッコいい男の系譜だ”。見開き2ページで非常によくまとまった内容。

系譜が非常にわかりやすいです。50sは映画。60sはドラマと歌謡曲。

70sからロックが入ってきます。80sはヤンキー、そして90sになるとフェミニンな印象のいしだ壱成さんや武田真治さんも登場し、ナイスガイの価値観がかなり多様化しているのがわかります。
で、1995年の時点でのナイスガイの最終進化系が木村拓哉さん。



「美」とはどういった価値観なのか
というように、当記事ではかなり端折りましたが、これまででご紹介してきたページ以外でも、様々な視点から「カッコいい男」とはどんな男かということについて色々深堀りされています。
当記事では「カッコいい」について、さらに深堀りをしてみてます。
まず、「カッコいい」と非常に似た価値観である「美」について、書籍「近代美学入門」を参考に、「美」とはどういった価値観なのかを紐解いてみます。(強調引用者以下同)
「美」に関する
古代ギリシャ語で「美しい」は「カロス」と言い、「カロス」から派生した「カッロス」が「美」を表す言葉として使われていました。
「カロス」には「美しい」だけではなく、「うまく作られた」「立派な」「優れた」「道徳的によい」「高潔な」という意味がありました。
美をプロポーションで捉える理論を創始したのは、古代ギリシャのピュタゴラスとされます。
ピュタゴラスの基本思想は「万物は数である」というものです。まず前提として、宇宙 は混沌としたものではなく、調和のとれたものだとされます。調和とはあらゆるものが秩序づけられていることです。秩序はプロポーションによって成り立っています。プロポーションは数によって表すことができます。よって宇宙の原理は数によって示すことができる、というのが彼の立場です。
美とはプロポーションによって生まれる調和である
そのピュタゴラスの思想を継承したのが、西洋思想の源流と言われる古代ギリシャの哲学者プラトンでした。
プラトンは、神は世界を創造するときに数学(とくに幾何学)を使ったと考えました。彼は「神は永遠に幾何学する」と言ったとも伝えられています。
神は宇宙を幾何学に従って創造したのであり、この世界は美しく秩序づけられたもので ある。こうしたピュタゴラスとプラトンによる思想は、古代から初期近代にかけての美学 の土台になりました(宇宙に関する個々の見解については、当然ながら異論もありましたが)。 そこから、美とはプロポーションによって生まれる調和である、という考えが普及しました。この立場では、美の原理は幾何学的に示すことができると考えられます。
現在では「シンメトリー」と言うと、線対称や点対称の関係にあることを意味す るのが一般的です。しかし古代では、シンメトリー(ギリシャ語で「シュムメトリア」)は、 やはりもっと広い意味でした。あるものが釣り合いのとれた比率にあることや、その比率のことです。つまりプロポーションとほとんど同じです(中世以降でも、古代のプロポーション理論を受け継いだ美学思想ではこの意味で用いられます)。
訳語としては、シンメトリーもプロポーションも、均整、均斉、均衡、釣合、比例、比 率、割合などが様々に当てられます。
シンメトリーやプロポーションは、釣り合いのとれた比率から生まれる美しい状態のことも指しました。つまり「調和(ハーモニー)」や「秩序(オーダー)」とも言い換えられ ることがあります(他にも同じような用語はありますが、省略します)。
よって、美についての古典的な理論は「美とはプロポーション=シンメトリー=ハーモ ニー=オーダーである」という立場だとまとめることができます。
古代ギリシャの人々は身体の鍛錬を重視しました。よく知られているように、近代オリ ンピックの起源であるオリンピア競技祭は、全ギリシャを挙げて開催されました。各都市 には公共の体育館があり、そこで青年は日々練習に励みました。いずれも競技や訓練は基本的に全裸で行われたと言われています。
鍛えあげられた身体をもつアスリートは、彫刻家にとって格好のモデルになりました。アスリートだけでなく、人間の姿をした神々も、多くのギリシャ彫刻ではほとんど衣服を纏っていません。彫刻家の意識は身体表現に向けられていることが見てとれます。
古代ギリシャ語で「カッロス(美)」はとくに人体の美しさのことを指しました。古代ギリシャ人にとって身の回りにある美しいものとは、まずもって人間の身体だったようです。
そのことを示す一端として、ビュタゴラスののち、美しい人体のプロポーションを定めようとする試みが様々になされました。その理論は彫刻や絵画の制作にも利用されました。
ローマの建築家ウィトルウィウス(前1世紀)は、『建築論』というハンドブックを執筆しました。古典古代の建築史料としても、唯一現存する貴重なものです。
この著作は、建築の三大要素を「強固さ(耐久性・安全性)、有用性、美」と定めたこと でよく知られています。建築学では(理由は分かりませんが、原文から順番を入れ替えて) 「用・美・強」と呼ばれます。
このうち美は、建物の外観が好ましく、部分同士がシンメトリーな(釣り合いのとれた) 比率にあることで獲得される、と説明されます。つまりシンメトリーが建築に必須のものとされています(ウィトルウィウスはシンメトリーをプロポーションとも言い換えますが、基 本的にシンメトリーという語を使っています)。
ウィトルウィウスは神殿に関する章のなかで、シンメトリーを主題にとりあげました。 建築にもっとも重要なものはシンメトリーであり、よい形をした人体のように部分同士の釣り合った関係がなければならない、と述べます。それに続けて、建築書であるにもかかわらず、人体のプロポーションについて細かく記載しています。
この記述を後世の人々は図に起こそうと試みてきました。そうした図は「ウィトルウィウス的人体図」と呼ばれます。なかでも有名なのが、レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿に残されていたドローイングです

https://www.pinterest.jp/pin/730216527107687662/
レオナルドの名言として知られているものに、「私の芸術を真に理解できるのは数学者だけである」というフレーズがあります。これも手稿に残された言葉で、原文では「数学者でない人は誰も私の作品の要素・原理を読みとらない」となっています。彼の卓越した作品は実は数学的に構築されているということです。その要素のひとつがこうしたプロポ ーション理論でした。私たちがその原理を垣間見ることができるのは、没後に手稿が編纂されたおかげです。
レオナルドは私的な手稿に書きとめましたが、20歳ほど年下の画家アルブレヒト・デューラーは、自身の考察結果を書籍にまとめて公表しました。それが『人体比例論四書』 (1528)です。彼が生涯かけて探究した人体のプロポーションが、豊富な木版画とともに記されています。印刷されたのは没後半年のときでした。
この著作は、ヨーロッパの人体比例論の集大成と言われています。デューラーは成人男 女の全身のプロポーションだけでなく、頭部、手、足などのプロポーションを個 別に詳述しました。それを基準にさらに幼児、太った人や痩せた人、特徴のある顔、動きのある姿勢でのプロポーションなども算出しています。
美は見つめる心のなかにのみ存在する
プロポーション理論に代表されるような、美を客観的なものと捉える見解に対しては、 古代から反対意見はありました。しかし決定打となるような反論がなされたのは、18世紀のことでした。
どうして18世紀だったのでしょうか。
根本的な変化は、前の世紀に始まっています。17世紀はいわゆる科学革命の世紀です。 天文学が著しく発達し、次のような事実が観測によって確証されました。太陽が地球の周りを回っているのではなく、その逆であること。宇宙空間は無限であること。惑星の軌道 は正円ではなく楕円であること、などです。
これはつまり、地球を中心にした球体としてイメージされていた宇宙観が 無効になったということです。もはや「幾何学者としての神」という考え方は成り立ちません。科学革命によって、前提となる世界観が崩れ去ったのです。
さらに17~18世紀は、経験論と呼ばれる哲学がイギリスで興りました。イ ギリス経験論とは、理性ではなく経験を知の源泉とみなす思想です。
この立場からすると、美の古典理論は受け入れがたいものです。経験論の考え方に立つ人々は、美とは数や図形のような頭で理解するものではなく、 美しいと感じるその感覚や感情こそが重要だと考えました。イギリスの思想がヨーロッパ大陸へ波及していくにともなって、美についての主観主義的な見解も広まっていきました。
美の主観主義を表明した人物として知られるのが、エドマンド・バークです。
彼の見解をまとめると次のようになります。
美はプロポーションにあると言われているが、本当にそうだろうか。プロポーションは 対象を数学的に分析することで発見され、定められる。だが美を感じるために、長い時間その対象を注意して考察する必要はない。火に熱さを感じるのと同じように、美はあれこれ考えなくても瞬時に感じられる。新種の動物が発見されたとして、その動物のプロポーションが理論にされるのを待たなくとも、それが美しいかどうか私たちは判断できる。したがって美は計算や幾何学と関係がなく、プロポーションは美の根拠ではない。
パークはさらに様々な反例を挙げて、プロポーション理論の穴を指摘していきます。そ の一部を紹介しましょう。
薔薇の花の形には、たしかに規則的な要素もある。しかし斜めから眺めると規則性は崩 れて見えるにもかかわらず、それでも薔薇は美しい。
白鳥は首が長く、尾が短い。孔雀は逆である。だが白鳥も孔雀も美しい鳥である。
美しい色をした花や鳥は、単色であったり、様々な色が混ざっていたりする。よって動 植物の色彩にもプロポーションは見いだせない。 プロポーションを備えた人が美しいとは限らない。同じようなプロポーションを持った人でも、ある人は美しくある人は醜いという場合がある。画家はプロポーションの数値を遵守した醜い人物も、数値から大きく逸脱した美しい人物も描くことができる。古代彫刻の名作もそれぞれ異なったプロポーションをしている。人間が手を真横に伸ばした図(ウィトルウィウス的人体図)のような、無理な姿勢で人が見られることは滅多にない。
こうしたバークの反論には、納得させられる部分が少なくないのではないでしょうか。
バークの他に主観主義を表明したのが、哲学者のデイヴィッド・ヒュームです。
ヒュームが美学的なテーマを扱った文書はあまり多くありません。代表作は、バークの 著作と同年に発表された「趣味の基準について」(1757)という短いエッセイです。
しかしこれが美学史を画するものになりました。
このエッセイにある次のくだりは、美学が客観主義から主観主義へ転換する決定的なきっかけになったとされています。
美はそのもののなかにある性質ではない。ただものを見つめる心のなかにのみ存在する
私たちの普段の経験を顧みれば、美の感じ方には人それぞれ違いがあることは明らかで す。他方で、多くの人が時代や地域を超えて美しいと感じるものがあるとも私たちは考えています。美は主観的でも客観的でもあるように思われます。
この矛盾する状況をどう説明することができるのか。何が美しく何が美しくないのか決定するための、基準となる規則(趣味の基準)はどのようにして見つけることができるのか。これがヒュームの問題意識でした。
カントが説いた美の自律性「美しいものは美しい」
美学史におけるヒュームの功績は、美の主観主義の立場を要約して示したことにもあります。しかし何よりも、美の主観主義と客観主義はどのようにして調停されることができるのか、という問題提起をしたことに意義があります。 美の主観主義と客観主義の調停という課題は、ドイツの哲学者イマヌエル・カントへと受け継がれていきます。
カントを理解するポイントになるので、ヒュームがまとめた主観主義美学の見解を先に見ておきましょう。ヒュームの要約をさらに簡単にまとめると、次のようになります。
美とはものがもつ性質ではなく、見る人が美しいと感じるその感情のことである。人が ものごとに対してどのように感じようが、感情はすべて正しい。ある人が美しいと感じる ものに対して別の人は醜いと感じたとしても、どちらかが間違っているということはない。 よって、美の基準などありえない。それぞれの人は他人の感じ方に口出しせず、自分がどう感じるかに従うべきである。
これは具体的には、イギリスの道徳感覚学派の立場です。道徳感覚学派とは、経験論に影響を受けて、道徳は理性ではなく感覚や感情に基づいているとみなす人々を指します。
道徳感覚学派の人々は、人間には善悪を直感的に見分ける能力があると考えました。た とえば目の前で困っている人がいて、別の誰かがとっさにその人を助けたとしたら、私た ちはその行為を「立派だ」と感じます。それは頭で考えた末に判断することではなく、感覚的に分かることだ、という立場です。 道徳的に正しいことを「美徳」や「美しい行い」などと言ったりするように、道徳的によいことは美と結びつけられます。そのため善悪を見分ける能力は、美醜を見分ける能力 であるとも考えられました。
道徳感覚学派では、この道徳的または美的なよしあしを直感的に見分ける能力のことを 「趣味」と呼びます。英語で「テイスト」です。
英語の辞書で taste を引くと、味、味覚、嗜好、審美眼、というおもに4つの意味が記載されています。テイストという英語は本来、味や、味を識別する能力のことを意味します。バニラ・テイストとはバニラ風味のことで、テイスティングとはワインの味を見て品評する ことです。
それが17世紀になると、 それぞれの人の好みや、その嗜好に合うものを識別する能力のことも指すようになりました。道徳感覚学派で言われる趣味もこの意味です。「いい趣味をしている」といった言い方をするときがそうです。この意味でのテイストは「センス」と言い換えることもできます。
嗜好や審美眼を指すときのテイストが道徳にも関わることは、「趣味が悪い」という用例を想定するとよいでしょう。この場合、嗜好が美的に洗練されていないことだけでなく、人倫に反するものを好むことも意味します。
ある行為が道徳的によいものかどうかは、それが何であるか、何のために役立つかとい う点から見分けられます。カントにとって、道徳は感情ではなく理性によって、概念や目的に基づいて判断されるものです(そのため「趣味」の概念も、カントにおいては善悪ではなくもっぱら美醜を見分ける能力とされます)。
道徳が理性によって判断されるのは、ある行為が道徳的によいものか、それぞれの人の感じ方によって変動するものではないからです。道徳は個々人の感じ方を超えたところに ある、客観的なものです。ある人が人助けをしたことを立派だと思うのは、誰かひとりではなくあらゆる人に当てはまる、つまり普遍的なものです。
感覚に関してはそうはいきません。ただしここで問題になるのは、感覚から生じる心地 よい感情です。感覚そのものについては、たとえばあるワインの味が甘いか辛いか、ある 服の色が紫か緑か、おおかたの意見は一致するでしょう。しかし、そのワインの味を美味しいと思うか、不味いと思うか。その紫色を落ち着いていて素敵だと思うか、生気がなくて好ましくないと思うか。それはまったく人によります。蓼食う虫も好き好きで、自分と感じ方が異なる人と議論しようとしても無駄なことです。
「このワインは美味しい」と感じることは、完全に私だけのもの、主観的なものです。あらゆる人に当てはまることではなく、普遍的ではありません。正確を期するなら「このワインは私にとって美味しい」と言わねばなりません。
ところが、美の場合は事情がまったく異なる、とカントは言います。彼によれば、私たちは何かに美を感じるとき、他のすべての人もそれを美しいと感じることを期待するものです。「この音楽は美しい」と感じるとき、「この音楽はきっと誰にとっても美しいはずだ」と思っている、ということです。だからわざわざ「この音楽は私にとって美しい」と言う必要はありません。ただし、自分の趣味が風変わりだと思っていない人であれば、という留保は付きますが。
もちろん実際には、同じものに対して美しいと感じる人もいれば、美しくないと感じる 人もいます。しかしそれでも私たちはつい、他の人も美しいと感じるはずだと想定する、 他の人も同意してくれると期待する、というのがカントの主張です。美はものの側にない以上、普遍的ではありえません。そうはいっても美は完全に人それぞれというわけではなく、味覚との違いが鍵になる、とカントは考えたのです。美については他者とつながる余地が残されています。 ちなみにこの事態をカントの用語で言えば、「純粋な趣味判断(美的判断)は主観的普遍妥当性を要求する」となります。平たく言えば、「心から(純粋な) 何かを美しいと思うこと(趣味判断または美的判断)は、概念に基づいておらず客観的ではないにもかかわらず(主観的)、いつでもどこでも誰にでも(普通)当てはまる(妥当)こと(性)を要求す る」と言い換えることができます。普遍性を実際にもつわけではないけれど、普遍性を要求する、というのが美の特徴です。
カントの主観主義美学の功績はなによりも、美を道徳から切り離したことにあります。 これによって、道徳的によいものが美しくそうでないものは醜い、という美が善に従属する関係が否定されました。
カントは道徳だけでなく、美の条件とされることが多かった機能性や有用性からも解放し、美の自律性を強調しました。
カントによれば、美は概念や目的に基づかないのでした。よって「何々であれば美しい」「何々として欠けるところがなければ美しい」「何々に役立つものであれば美しい」といったことは成り立ちません。
たとえば時計は、部品に不備がなく正確に時刻を示すものであれば、ある いは時刻を知るのに役立つものであれば美しい、ということにはなりません。 実際、壊れた時計に美を感じることもありえます。同じように、廃墟となっ た教会はもはや教会として使用することはできませんが、カントの立場にたてば、廃墟の美を論じる可能性が開かれます。
美が自律的であるなら、何にでも美を見いだしてよいことになります。廃墟のようにそ のものとしては不完全なもの、道徳や宗教や社会に反するようなもの、倒錯的なもの、醜と言えるようなものでも、その人が美しいと感じさえすれば美しいものになります(カント自身は、他人の意見に流されず自分の感じ方に従うという意味で、趣味に対して「自律」という言葉を使っています)。
江戸の「いき」と上方の「すい」
ということで、非常に長くなってしまいましたが、ざっくりと要約すると以下が西洋思想における「美」の2大要素になる、ということでしょう。
・プロポーションが取れていること
・自分が美しいと感じること
さて、ではこの西洋の思想に対し、日本においての「美」の要素とはどういったものでしょうか。書籍「いきと風流」を参考に、紐解いてみます。
タイトルにもあるように、日本の「美」の要素として重要になるのが「いき」です。
「いきと風流」の中の“「いき」と「すい」”という章から引用します。
江戸時代を三期に分ければ、だいたい17世紀が前期、18世紀が中期、19世紀が後期となる。 前期は京坂(上方)が文化の中心であり、江戸はこれを模倣しながら独自の文化を育てていく時代である。中期は江戸が独自の文化を作りあげ、それが京坂とは異なることに江戸市民が自覚と誇り をもつようになった時代で、「江戸っ子」という呼称もこの時期に始まる。後期は江戸文化が成熟 していった時代で、現代の私たちが知っている「いき」の美学はこの時期に完成する。
流行の発信源として町人階級に最も影響力があったのは歌舞伎であろう。だがもてる男のイメージが江戸と京坂の歌舞伎ではまったく違う。江戸歌舞伎の色男の代表は助六であろう。喧嘩っ早く、 口が悪く、とにかく強気で誰に対しても一歩もひかない。男を立てる気風から「男だて」といわれ るキャラクターである。これに対し上方歌舞伎の色男の代表として今日なお上演されているのは 『廓文章』(1808初演)の伊左衛門であろう。柔和で軟弱、いわゆる「男っぽさ」がまるでない。肩を突いただけで転びそうなので、こういうキャラクターを「つっころばし」と呼ぶ。たいがい大きな商家の若旦那か、故あって身分を隠している若殿様で、苦労なく育ったせいか人はいいのだが、わがままで頼りない。甲斐性もなければ根性もない。だがこれが京坂ではもてる二枚目なのである。
井原西鶴の小説に「男達」と「風流男」と両方出てくる小説がある (「泪のたねは紙見せ」『男色大鑑』第五)。
物語の主人公は藤村初太夫といい、誰もが一目で心を奪われる「すぐれてうつくし」い十代の歌舞伎役者である。彼に花見の場で「男だて」が無理難題を言いかけ、ひと悶着を起こす。このときその場をまるく収めるのが「物やわらかにうつくしげなる男」なのだが、こっちは「風流男」とされている。おそらく西鶴は江戸の町奴が男だ を気取っていたのは知っていたが、その美学に共感はしていないのだ。といって、この「やさ男」 は「つっころばし」のような頼りない色男でもない。それどころか粗暴な男たちを硬軟交えた対応でうまくあしらって解決する大人の智慧と力とを備えている。
これが上方における男の魅力をそなえた「やさ男」であった。若くて美しいけれども頼りない「つっころばし」とは異なり、大人の魅力をもつ「やさ男」の特徴が「すい」である。
上方の「すい」に対し、江戸でもてる男の条件が「意気」であった。江戸中期に遊廓の風俗を描いた洒落本は、遊びのガイドブックとして読まれたが、同時にそれは「いき」と「野暮」とを教え る教科書でもあった。その一つ『辰巳の園』に「通言」という章があり、深川の遊里で使われる言葉を紹介している。「いきな男」という語は「男にかぎらず好いたということ」だとある。男であ れ女であれ、「あなたはいきだね」と言われたら、それは「あなたが好きだ」という意味だよと教えているのだ。
「いき」と「すい」の反対語はどちらも「野暮」になるのだが、「野暮」の反対語としてはもう一つ「通」がある。
「通」はもっぱら遊廓における客 の人物評価に用いられ、「すい」と「いき」とは客と遊女の両方に用いられ、やがて遊廓の外の人々にまで適用範囲が広がった。そして「すい」は「粋」と書かれて主に京・大坂で使わ れ、「 いき」は「意気」と表記されて主に江戸で使われた。さらに江戸後期になると「いき」は人物 だけでなく、衣裳・小物など物品の美的評価にも使われるようになった。 要するに「いき」も「すい」も遊廓での「通」という概念がもとになっている。
「通」あるいは「 通人」の条件として上方では「すい」が、江戸では「いき」が語られたのである。それらはもと もと「優美」と並んで遊廓で求められる価値を表す言葉だったのだ。
江戸の遊廓に育てられた「いき」の美意識
「いき」の美意識は、江戸の遊廓に育てられたと言ってもよい。それは初め「意気」と表記され、 よく合わせて「意気張り」とも言われた。
ほとんど「張り」と同じ意味だった。だから 遊廓における「意気」と「張り」とをさかのぼると、吉原ではなく丹前風呂という非公認遊廓に行き着く。いま「丹前」という言葉はふつう綿入れの着物を指す。別名は「どてら」。なんだかもっさりとした印象だ。けれども、かつて「丹前」という言葉は一つの美学を指していた。それはファッションの面では人目をひく派手さを、生き方の面では社会秩序よりも個人的意気地を重んずるものだった。
江戸時代には遊廓についての案内書が多く出版された。需要が大いにあったからだ。それを見ると、読者の最大の関心事は「どうすれば遊女にもてるか」であったことがわかる。「もてる」とは振られないということである。遊廓での遊びはグループで行くことが多かったから、翌朝誰がもてたか、振られたかが話題になる。振られるのは、男として恥である(しかも振られても客は金を払わねばならない)。だからなんとしてももてたい。だが初心者はどうしていいのかわからない。金さえあればもてるというものでもない。ここに武芸や遊芸と同じく修行を積んで経験値を高めれば 能力が上がるという考えが生まれる。いわば遊びのマスターになるわけである。そのマスターは 「巧者」とか「通人」と呼ばれた。やがて「通人」は略されて「通」となる。遊廓においてはまず「通」が客の評価語として一般化し、次にそれを踏まえて「いき」と「すい」とが遊廓での評価語として確立していったと考えられる。
江戸の遊女は金を取りながら自分の気にいらなければ客を振る。ビジネスとしては不当である。 しかし振った遊女は非難されるどころか「張り」があるとして称賛される。江戸で遊廓へ行くとは、 そういう個人の意気地を優先する価値観を受け入れるということである。けれども上方では規範が違う。京坂の「すい」の規範の背後にあるのは、伝統的な「雅俗」の分類法である。「雅俗」は都人の洗練と田舎者の粗野との対比の意味もある。遊廓ではこれに当たるのが洗練され た「通」と田舎者である。当時田舎者のことを「山出し」と言った。しかし遊廓では「あの人は山出しだ」などという露骨な言い方はしない。山から出るものといえば「月」だろうというわけで、 無知で粗野な客をしゃれて「月」(がち)と呼んだ。では「月」であった客が遊びの経験を積んで 巧みに遊べるようになったら何と呼ぶか。天空に実在する月の正反対のものといえば、水面に映る実体のない月影である。仏教は、悟りを開いた者が見る世界の実相の譬えに「水月」(水に映った 月影)を使う。俗人の目に実体と見えるものは、実は水に映った影にすぎないというわけである。 この「水月」という高尚な譬えを利用して、「月」の反対を「水」(すい)と呼んだようだ。卑俗な ものをわざと高雅な言葉を使って表すのは江戸時代のよくあるしゃれである。やがて「がち」は「瓦知、「すい」は「粋」と表記されるようになる。
『色道大鏡』は、初心者の「瓦知」がいかなる修行過程を経て「枠」になってゆくかを教える教科書でもある。「枠」とは色道の経験を積んだ達人、つまり「巧者」であり、「わけしり」であり、 「心の秋れた」人であり、「通」のことであるとされる。本書の中核をなす章は「色道大鏡廿八品」 であるが、これは子どものような「無性品」(異性に目覚める前の段階)から修行を積んで「粋」 となり、さらに色道を極めて「大極品」に至る過程を28段階に分けて記述している。「瓦知」の 初心者が遊扉で大金を費やして修行し、まず「巧者」となる。これは人の心がわかり、かつ人の心 を動かすためのテクニックを身につけた人のことである。だから遊女にもてるなどは簡単だし、遊郭での他人のトラブルを解決してやったりもできる。この段階に至ると人は自分が「粋」になったと勘違いしがちだが、まだそうではない。「真の枠というのは、色道のあらゆるわざを身につけながら、知っていることを隠し、自分の欲望にうち克って物を争うことをせず、他人を妬まず、人々から破愛されて人々を救う。かつ知・仁・勇の三徳を兼ね備え、義を知り敬を忘れず、配慮が深く行動が落ち着いている」という。そんな男じっさいにいるのかと思うほどの難しい要求だが、これが『色道大鏡』が理想とする「枠」である。丹前の「男だて」が好むヤンキーの突っ張りのような 意気地ではない。そんなものは子どもじみた振舞いであって、 大人の成熟を得ていないからだ。そしてこのような「枠」の根底にあるのが心の清さだとされている。つまり心の清さとは、子どものような無邪気さではなく、成熟の末に行き着く清浄なのである。『色道大鏡』は成熟の果てを「 しゃれたる」と形容する。それは「さまざまな経験の末、人の心から汚濁がとれた状態を、雨露にき らされてできた骸骨や枯れ木などの姿にたとえた言葉」だという。「しゃれこうべ」が「曝れこうべ」から来ているように、「しゃれた」とはもともと「曝れた、すなわち風雨に「さらされた」という意味なのだ。そのしゃれた骸骨や枯れ木にたとえて、欲望やこだわりといった心の垢や汚れを洗い流し、透明で澄んだ状態の心を「しゃれたる」というのだ。
美意識としての「いき」は幕末の江戸に完成した。今日の私たちが「いき」という言 葉を使うときは、それを継承している。それは「風流」と同様、人間の生き方・ふるまい方であり、また身なりや身の回りの品々にあらわれる美意識である。つまり生活文化の美的規範である。
日本と西洋の「美」の価値観の違い
ということで、長くなってしまいましたが、日本で育まれた「美」の価値観は「生活文化における美意識」と言えるでしょう。
先述したように、西洋における「美」の価値基準が、「プロポーションが取れていること」と「自分が美しいと感じること」だったことと比べると、かなりその規範が違うことがわかります。
今の日本では、日本と西洋、両方の「美」の価値観がごちゃまぜになった状態で「美」を判断している人が多いと思われます。
自分の服装に迷ったときは、自分がどういった価値観でファッションを見ているのかを因数分解してみると、新しい道が拓けるかもしれません。
発売後2ヶ月で人気となったエアマックス95
さて、ここで再び『Hot-Dog PRESS』1995年9月10日号の誌面に戻りましょう。
“超注目シューズバッグを速攻チェック!”という特集。

“ストリートで人気のシューズを調査!”では、“人気タイプのベスト5”の1位に“ハイテクデザインのスニーカー”、“これから買いたいシューズベスト5”は、エアマックス95とポンプフューリー、ハイテクバッシュと、ハイテクスニーカーブームが目前まで到来していることがわかります。

本格的なハイテクスニーカーブームがいつ始まったかは、こちらの過去記事に詳しく書きました。
エアマックス95のファーストカラー、通称イエローグラデが発売されたのが1995年6月。この『Hot-Dog PRESS』1995年9月10日号が制作されるまでの約2ヶ月で渋谷のストリートでは一躍人気モデルになっていたことがわかります。

https://www.pinterest.jp/pin/1039416788984217494/
“シューズのトレンドは、いつも彼らから始まる!”と紹介されているのが、ビースティ・ボーイズを筆頭とするミュージシャン。

エアマックス95と並んでハイテクスニーカーブームを象徴するモデルであるリーボックポンプフューリー。ビョークが“フューリーの火付け役か!?”と紹介されています。

“今、絶対旬なスニーカー・3タイプの履きこなし&セレクトガイド55”。

“未来的なデザインで、一番人気のタイプがコレ”という、ハイテクデザイン。

ですが、ピックアップされているのは割と地味めなモデルが中心。

ブームで埋もれてしまった良デザインのスニーカー
次ページで登場のエアマックス95。

なんと、価格は1万5千円。後に数十万円までプレミア化するエアマックス95ですが、1995年9月当時では、まだ普通に買える価格でした。

プーマのディスクシステムや、リーボックのバッシュ、アディダスのサンダルなど、ハイテクスニーカーブームで埋もれてしまった良デザインのスニーカーが多数。

ハイテクの次は“シンプルデザイン”。このページも、僕は初見のモデルが多数。


“復刻&別注を徹底研究!売れ筋モデル完璧ガイド”。ニューバランス1300とナイキのコルテッツのディティールを紹介しています。

アディダスのハンドボールスペシャルやタバコなど、渋いモデルをピックアップ。

別注モデルはフットロッカーやフットアクションなどの、米国大手流通モノが中心。

“新着中心!スニーカーからブーツまで厳選ブランド別シューズカタログ92”。まずはスニーカー。

レザーシューズ。

“好きなバッグのブランド”1位はグレゴリー
お次はバッグ。“街で見つけた!この秋一番気になるバッグはコレだ!”。

“好きなバッグのブランド”は、グレゴリー、エルエルビーン、ノースフェイスとアウトドアブランドが人気。5位にアニエスベーが入っているのは90年代ならでは。

“DJタイプ”のバッグとか、ありましたねぇ。丸に「e」が印象的なエイトボールのロゴも、当時はよく見かけましたが、ニューヨークのハウス系のレコードレーベルだったことは知りませんでした。右下の“ベストとバッグが一体になったバッグ”も気になります。

“ミラノではD&Gが超人気だゾ!”
“支持率No.1のリュックは、この3タイプから選べ!”。

“ミラノではD&Gが超人気だゾ!”。

D&Gが相当流行っていたことは、当時の僕も体感していました。
↓のスナップと同じ1996年頃、僕が通っていた神戸の外れにある高校でも、背面にD&Gのロゴがでっかく刺繍されたブルゾンが大流行していました。ほぼ全てパチモンだったと思いますけどね笑 https://t.co/pAv1szQYgU pic.twitter.com/oZcTTNifJS
— 山田耕史 ファッションアーカイブ研究 (@yamada0221) 2024年3月7日
“人気のタイプ別で選ぶ!この秋絶対欲しいバッグ・カタログ55”。ここでもかなりの数のDJバッグがピックアップされています。

デザイナーのバッグでピックアップされているのが、ヨウジヤマモト系列のイザック。ライセンスブランドなのでこなれた価格ながら、良いデザインのアイテムが沢山あったブランドでした。

“最新&格安モノが必ず見つかる!信頼度バツグンのショップガイド”。A NEW SHOPやネペンテスなどのセレクトショップやスニーカーショップなど。

“スタイリスト2GOを崇拝”
最後は“ストリート・アイ”。場所は盛岡。事前に告知された撮影に読者が集まる企画なので、参加者は「撮られる」ために、目一杯のオシャレをして来ていると思われます。

右端のア・ベイシング・エイプのTシャツを着た彼は“スタイリスト2GOを崇拝”。当時のNIGOさんはまだスタイリストという認識が強かったということでしょうか。

エアジョーダン着用者はいるものの、いわゆるハイテクスニーカー着用者はゼロ。多いのはアメカジですが、中央の大きく掲載されている彼のようにフレンチやモードな服装もちらほら。

裏表紙はケンウッドのMDプレイヤー。当時、僕も持っていましたねー。6万8千円。高かったんですねぇ。



