山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

1988年『POPEYE』の「ゼータク」特集から透けて見えるバブル期ファッションの「貧しさ」。

目次:

 

経済が右肩上がりだった時代のファッション観

“ファッションアーカイブ”では、これまで何度もバブル景気に関係する記事をお届けしてきました。

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この4記事以外にもバブル景気が登場する記事は多数あります。

それだけ僕がバブル期に惹かれているということですが、その理由は2024年の今と価値観が全く違うから。

1980年生まれの僕は一応バブル期は経験しているものの、当時小学生だったので、おぼろげな肌感しか残っていません。

これまで数多くの昔のファッション誌を見てきましたが、日本経済が右肩上がりを続けていた時期の価値観、ファッション観には非常に興味深いものがあります。

今回ご紹介するのは『POPEYE』1988年10月5日号です。

 

バブル経済の始まりと終わり

誌面のご紹介に入る前に、そもそも日本における「バブル経済の期間」はいつに始まったのかについて、触れておきましょう。

これまで日本史や経済の専門書を数多く読んできましたが、バブル経済の時期を明確にせず「1980年代後半」といったような、ふわっとした表現が少なくありません。

書籍「平成バブルの研究 上 形成編」では、新聞記事に登場したバブル関連のキーワードを手掛かりに、バブルが始まった時期を明確化しています。(強調引用者以下同)

日本のバブルがいつからはじまったかについては、時間を経るにつれバブル始期を1987年以降とするものが通説になりつつあるように見受けられる。

しかし「流動性の過大な供給」などの経済データ (表面的マネー・サプライだけでなく)とマスメディアの眼を通じた財テクの浸透振りからみて、87年以降は「全員参加のバブル狂乱期」と見るべきであり、バブル始期は84年頃ないし、遅くとも85年秋~86年からと見るべきではないか、ということである。

その根拠となる新聞記事のキーワードがこちらです。

1) 1981~83年段階で、すでにバブル・マインドを表す土地や財テク関連のキ ーワードが急増している(例えば、「土地」「地価」「民活」「株」「ゴルフ会員権」など)。

2)1984~86年は「財テク」 「カネ余り」「特定金銭信託」「ファンド・トラス ト」など、やや専門的キーワードが件数急増の新顔として登場する。

3) 1987年以降の新顔キーワードは、「地上げ」 (87年から急増)、「エクイティ」(同88年から)などにとどまっている(「ゆとり」「経済大国」の2つは、81~ 83年に件数が急増したあと増勢が一服、この時期に再度急増した)。

「ゴルフ会員権」「財テク」「カネ余り」「地上げ」など、久しく目にしていない言葉は、この時代を象徴するキーワードでした。

こういったバブル期ならではの言葉を頻繁に新聞などでこういったバブル期ならではの言葉を目にし続けていたことも、バブル経済を膨張させた要因ではないかと指摘されています。

マスメディアがこうしたキーワードを膨大に発信し、人々は継続的にそれをシグナルとして受け取った。その結果、人々はバブル関連事象に次第に慣らされ感覚が麻痺し、バブル的なでき事を普通のこと、身近なことと感じるようになった。 その行き着いた先は、株式投資、土地投資、ワンルームマンション投資、リゾート投資などの膨大なリスクをリスクとして感じ取ることのできない状態であり、 周囲の状況からして早く自分(自社)もゲームに参加しないと乗り遅れてしまう のでは、といった焦りを掻き立てられたのではなかろうか。そこにはマスメディアの意図せざる警告・注意喚起とあおりの両方が混在していた。人々は、そのとき自分にとって都合のよい情報・報道を受け入れたのであろう。

ここで指摘されている“ 周囲の状況からして早く自分もゲームに参加しないと乗り遅れてしまう のでは、といった焦りを掻き立てられた”という感覚は、当時のファッションでも同じだったことが、この後にご紹介する誌面の内容からもわかります。

 

「ゼータク」は当たり前のバブル経済のファッション観

ということで、今回ご紹介する『POPEYE』1988年10月5日号。

表紙の“もうワンランク上のゼータク”というキャッチコピーから、既に「ゼータク」自体は当たり前になっているというバブル経済真っ只中のファッション観が垣間見えます。

特集では「ゼータク」が当たり前状況にあって、“これは無理してもほしい!”というアイテムをピックアップしています。

特集の前に、気になったページや広告を順にピックアップしていきます。

まずはパナソニックのカーオーディオ。“私はストリートフラッシュ”ってなんのことかと思ったら、“モードごとに操作パネルのイルミネーションが変化”するそうです。こういった広告にレーシングカーのF-3が登場するのも、モータースポーツが人気だったバブル期ならでは。

富士フィルムのブランド、アクシアのカセットテープの広告。こういったプロダクトは、フォントやデザインにかなり時代感が反映されます。

ミニニュースページの“POP・EYE”。右ページはセイコーのダイバーズウォッチ広告。金色です。

右ページ、カールスバーグの広告の“カールスバーグは、世界中で有名です。つまり、知らない人は国際的にちょっとコマル”という一文も、上掲した「焦りを掻き立てられる感覚」利用したキャッチコピーでしょう。

面白かったのが、“伝言センターに電話をして、カードの裏に書いてあるナンバーを使って伝言のやりとりをする”、“聞きたい伝言VAN”という、今では考えられない商品。スマートフォンはおろか、携帯電話もなく、プッシュホンの電話もそれほど普及していなかったのが、1988年でした。

左ページ、シンプルながら面白いデザインのレザーシューズはクリスティーヌ・アレンというブランドのもの。

“NEWSPULSE”。カルチャー系のニュースページでしょうか。バスキア死去についての文章では“OLに代表される一般人のアート財テクのウエイブ”という文言から、当時アートへの投資も盛んだったことが伺えます。

右ページは、なんと川崎重工の105万円のモーターボート。こちらを“マリンスポーツの基地にしよう。海での遊びがまた広がるぞ”と、お気軽に紹介しているところにもバブル期の「ゼータク」っぷりを感じます。

 

消費という快感に浸ってたバブル期ファッション

で、ここからが特集“これは無理してもほしい!”

特集のリード文に、バブル期のファッション感が存分に表現されています。

流行を追いかける楽しさが、なんだか薄れてきた今日この頃。

ふと気がつくと、みんながそんなことを言い始めてる。 少し前まで知らなかったブランドや一流品が妙に気にかかる。一生使おうなんて思わないけれど、持ってるだけで生活が変わる。豊かになる。

ような気がするものが、今いちばんほしい。 セーター1枚、食器1個、ちょっと無理して手に入れた日から僕はニュー・リッチ少年。

いちど味わったらやめらんない快感なのだった。

ざっくりまとめると、こんな感じでしょうか。

ファッション性よりも、ステータス性を重視。

ちょっと無理しないと手に入れられない価格だけれど、一生使い続ける気はない。

リッチであるべく、ただただ消費という快感に浸る。

後述しますが、ファッション誌である『POPEYE』にこういった文章が掲載されていることはバブル期のファッションの停滞を象徴しているように思えます。

とはいえ、紹介されているアイテムはの多くは、確かに一流品揃いですが、目玉が飛び出るほど高額、という訳ではありません。

現在は世界一の自転車パーツメーカーであるシマノの最上位コンポーネント、デュラエースは“カンパニョーロが真似るくらいだから、世界最高レベルにあるのだ”と紹介されており、まだその認知度は低かったようです。

スーツは、ジョルジオ・アルマーニジャンニ・ベルサーチと並んで「3G」と称され当時人気だったイタリアのデザイナーズブランド、ジャンフランコ・フェレのもの。

バイクはヤマハとホンダ。

“これ以上スゴいものは当分出ないだろう”とされているのは、NECのゲーム機PCエンジン。当時8歳だった僕は、ファミコンを買ってもらったばかり。友達の家でも、PCエンジンで遊んだ記憶はありません。

PCエンジンのソフトである、PC原人のCMは覚えているのですが。おそらく2年後に発売されたスーパーファミコンに、全部持っていかれてしまったのでしょう。

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“円高のいまのうちに手に入れておくのが利口ってもんだ”

ロロ・ピアーナのカシミアのマフラーは2万8000円

現在のロロ・ピアーナのオンラインストアで販売されているマフラーはシルク×カシミアなので単純に比較はできませんが、126,500円也

jp.loropiana.com

紹介文にある“円高のいまのうちに手に入れておくのが利口ってもんだ”は大正解ですね。

 

J.M.ウエストンのゴルフのゴルフシューズ

ウエストン(J.M.ウエストン)の名作、ゴルフ

の、ゴルフシューズ。スパイク付きです。J.M.ウエストンのゴルフは元々ゴルフシューズだった、ということは知ってはいたんですが、スパイク付きのゴルフシューズも普通に販売されていたことは知りませんでした。

「3G」の一角、ジョルジオ・アルマーニ“ほかのものは高価すぎて手が出ないけどネクタイだったらなんとかなりそうだ”とあり、当時でもやはり高価なアイテムだったことがわかります。

 

オールデンのローファー5万8000円也

“はき捨てられないローファーがあってもいいと思う”と紹介されている、オールデンのコードバンのローファー

こちら、5万8000円也

ため息が出るのを承知で調べましたが、2024年現在は188,100円也。ざっと3倍になっています。

www.lakotahouse.com

“不滅のブランド”、アクアスキュータム。

その紹介文には“最近ちまたのお洒落人間の間では妙なコンサバ志向が流行っている”とあります。この「コンサバ志向」もキーワードです。

ニューバランス1300の紹介文には、“あのラルフ・ローレン自身もこのスニーカーの愛用者”という、今も定番の文言が。

 

オルテガのベストの紹介文が興味深いです。

“日本にオルテガのインディアンベストが登場したのは2、3年前。一部のお洒落人間の間では、ちょっとしたブームだった。ヘインズのTシャツにジーンズ、これにこのベストをプラスした着こなしは、妙にインパクトがあってカッコよかった”

オルテガのベストは、後に渋カジを代表するアイテムになります。

https://www.pinterest.jp/pin/460563499369577437/

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ページ右下、ポールセン・スコーンは“ジョン・ロブやヘンリー・マックスウェルに匹敵するオーダーメイドの名店”だそう。

デンツの手袋やアンダーソン、JMデビッドソンのベルトは今もセレクトショップなどで取り扱われている老舗ブランド。

 

バブル期の一点豪華主義

モノクロページは“新・一点ゴーカ主義男がゆく”。

当時は“一点ゴーカ主義男が今、定着しつつある”ことに対する、風刺的な内容の特集です。

“一点ゴーカ主義”となるファッションアイテムは、カシミヤセーターやバーバリーやアクアスキュータムと思わしきレインコート、高級時計など。

革ジャンの項では“革ジャンを着ている少年などは、あとのワードローブにお金が回らず、一冬、ジーンズとTシャツだけのコーディネートですごす人もいるくらいである。冬になるとよくいるでしょ、こういう少年達が”、“ボクも実はそういう少年だったので、よくわかるのである”という、ちょっとほっこりするようなエピソードが語られています。

 

バブル期のデート向けレストラン

“ちょっと無理しても連れていってあげたいところ。”というデート向けレストランガイド

バブル期だからといって、これぞゴージャス!なお店ばかりではないのは、『POPEYE』らしいところと言えるのでは。

と、思っていたのですが、書籍「バブル文化論」を読んでみると、どうやら今とバブル期以前を比べると食文化の多様性が全く違っていたことがわかります。バブル期以前の日本にはパスタというカテゴリが存在しませんでした。

食品も多様化する。いまではパスタと呼ばれ、ニョッキ、ペンネ、ラビオリなど小学生でも食べているが、「バブル以前」にはスパゲッティしか日本にはなかった。かろうじてマカロニもあった が、パスタなどというカテゴリー自体がなかった。食べ方もナポリタンかミートソース。現在はイタリアン・レストランといえば、あのサバティーニまでもがカジュアル化されるほど高級・本物志向だが、80年代の前半には喫茶飲食店の「イタトマ」や「カプリチョーザ」、「壁の穴」などが人気を得て、パスタやピザの豊富な種類を知るのがやっとだった。

こういうバーは、近年の『POPEYE』にセンスが通ずるように思えます。

 

バブル期のマルイ系

丸井のタイアップページ。1980年代中盤はDCブランドが中心だった丸井でしたが、1988年になるとジョルジオ・アルマーニやフェレなどのイタリアンブランドを打ち出していたようです。

丸井の歴史についてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。

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DCブランドの代表格である、コムサ・デ・モードの広告。ミニマルな雰囲気はこの頃から変わらないようです。

おちらはペイトン・プレイス・フォーメンの広告。

ペイトン・プレイス・フォーメンは後のPPFMです。

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DCブランドについてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。

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ファッション誌がクレジットカードの利用を煽りまくっていた理由

“こうすれば無理も通る。”と題された特集。

コレほしいけど現金がない。そんなときは迷わずクレジット”と、今の感覚からするとなんとも危険に思える文言。

ロレックス、バング&オルフセン、アルマーニなどのブランドものを大学生がクレジットカードで分割払いした場合の手数料が弾き出されています。

“嬉し〜い気分になるには、もはやクレジット&ローンは味方にすべし!!時代を楽しく生きるための基礎知識。君のこれで遅れる心配は無用!”、そしてイラストの男の子はクレジットカードを手にして“はい Clever Boy”とにんまり笑っています。

こちらの記事で詳しくご紹介していますが、1980年代にDCブランドブームが興ったのは、当時の日本が経済的に豊かだったからです。

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そこから数年後、バブル期のファッション誌がこれだけクレジットカードの利用を煽りに煽っていた理由もやはり、当時の日本の経済状況に理由がありました。上掲の「バブル文化論」から引用します。

男子大学生の消費対象として人気があったのが、自動車の購入だった。多くはシビックのような3ドアの乗用車であったが、プレリュードやシルビアの大ブームがあり、学生なのにBMW(バブル以前にはドイツ語風にベー・エム・ヴェー、バブル期にはビー・エムと呼ばれた)やアウディを乗り回す者もいた。女子大・女子高の「格」は下校時の出迎え行列に並ぶ車種で決まると囁かれたし、千葉の某大学にはピンク色のソアラで通学する奴がいるなどという都市伝説も飛び交った。とはいえ学生が乗用車を購入するほどのキャッシュをもっていたわけではない。キャッシュよりも、売 り手・買い手に共有されていた「将来への信」が、購入の根拠つまりクレジットとなるのである。 1988年から92年頃までは雇用に関しては、「あいつはデキが悪いから○○証券にしか行けな い」などといったことが、業界最大手の大企業をねたに笑い話になっていたほどの売り手市場だった。卒業すれば、誰もがそこそこの企業に就職して、まあまあの給料を得る時代だからこそ、「将来への信」が成立した。つまり当時の学生は、ローンで自動車を購入するのだが、仕掛けがひとつある。在学中は月々1万円程度の支払いで、就職年度から3倍、4倍に引き上げる出世払い方式が流行したのだ。海外自動車会社の日本法人ができる前に、メルセデス・ベンツなどの公認ディーラーとして、高級ブランドを保っていたヤナセも、1987年、88年に「STEP」と題して 学生向けにワーゲン・ゴルフ(標準価格188万円)の販売キャンペーンを行っている。「ゴルフはカジュアルでスポーティー。ファッショナブルなタウンを軽快に走ると、カッコいい…」と、出世払い方式のローンで売り出し、87年の半年のキャンペーンで約60人の学生が購入したという。

1970年代までの高度成長は終わり、1980年代は安定成長になってはいましたが、当時は日本経済は右肩上がりが常識でした。

大学を卒業すれば、給料の良い企業に就職できることは当たり前

そして、その給料は日本経済同様右肩上がりで高くなっていくことも当たり前でした。

クレジットカード会社側も、回収し損ねることはないだろうという予測から、こうやって大学生も気軽にクレジットカードでローンを組むことが可能だったのです。

 

 

 

ステータスのための消費

右ページ、オンワード広告はどこのアイドルかと思いきや、ジャンポール・ゴルチエ“オンワードが発見し、育てた、人気・実力とも世界が認めるトップデザイナー”とありますが、確かにゴルチエが人気ブランドになったのは、オンワードの力が大きかったということは他でも読んだ記憶があります。

左ページは“無理しても欲しいもの 女のコ編”という特集ですが、“ちょっと高いけれど、持っていればもちろん尊敬の的になることうけあいだ。優越感に浸るため、おしゃれ人間と自負するためにも是非、手に入れたいものをご紹介!”と、ファッション性がどうこうはではなく、ステータスのための消費であることを誇示しているところに、今の感覚からすると虚しさを感じてしまいます。

右ページ、引き続きオンワード広告は布袋寅泰さん。

左ページ上はミネラルウォーターのヴィッテルを使ったアクアフィットネスクラブの会員証。入会金20万円、保証金40万円、月会費1万5千円のこのアクアフィットネスクラブは当然フランスにあるのですが、これに通うということだったのでしょうか。

“バッグからとり出す小物でさり気なくリッチ”。香水は“これなにの香り?と尋ねられることに優越感を持って”。

小物は“無理のしがい”があるものを。

“パーティでキラリ。これで私もランクアップ”と、ステータス感をアピールするキャッチコピーが目立ちます。

 

バブル期のファッションは貧しかった?

個人的に、「黒の衝撃」からはじまった1980年代はファッションコンシャスな時代だったと思っていました。

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ですが、このバブル期の1988年の『POPEYE』を見ると、バブル期のファッションはその経済の豊かさに反し、非常に貧しかったのではないか?という思うようになってきました。上掲「バブル文化論」では、バブル期のファッションについて項記されています。

若者のファッションへの関心はなにも80年代に始まったことではない。しかし、新世代日本人デザイナーのパリコレでの活躍(東京コレクションの創始)、DCブランドの誕生、インポートの増加による海外ブランドの消費といったように、80年代を通じて、ファッションは話題に事欠かなかった。この時代、おそるおそる新たな衣服等のスタイルに若者は接近していったようである。

1980年代に入り、国内外を問わず新しいファッションが多数登場しました。

ですが、そのインパクトの大きさ故、コピーも容易でした。

このそっとライン上の他者たちを横目で見ながら新たな消費領域を手探りした状況は、ファッションの画一性として現象に表れる。 たとえば、1984、85年頃になり、いわゆるモード系が巷にも広がると、髪型から全身の服装まで「そっくりさん」たちが街を闊歩するようになる。近藤真彦(マッチ)や布川敏和(フッ君)のようにサイドバックの短髪に、千鳥格子かグレンチェックのジャケット、黒のツータック・ パンツ、インナーも黒のタートルネック・セーター、黒のプレーン・トゥまたはローファー、肩掛けベルト付革鞄、小物はペイズリー柄、型にはまったように同じいでたちの若い男がうようよと出てくる。モードの世界で川久保玲や山本耀司の黒ファッションあるいはアルマーニの「グレージュ」のツィードなどが元型となって、DCブランドたちが追従し、さらに疑似セレクトショップで流布される

コピーされ、さらにマス化したファッションは徐々に陳腐化していきます。

文字通りのトリックル・ダウンだが、裾野に下がるにしたがって当然コスト・カットがきつくなってくるので、いつの間にかモデルのないステレオタイプの「そっくりさん」コピー・スタイルになる。それまで暴走族風のいでたちだった者から万年スタジャン(大学名やサークル名が入っている)にジーンズのお兄さんまで、かなり幅広い階層で共有されたスタイルである。コンセプトの上では、誰もが平等との幻想を与える流行現象だが、アルマーニのジャケットは買えなくてもメンズ・バツのもので我慢し、J・M・ ウェストンのローファーは買えなくても、リーガルのもので満足する(それも無理ならハルタ、それがダメなら …、そんな風潮がピンからキリまでコンセプトのみは共有しながら、内実の社会階層的な格差を覆い隠していたともいえる。

ですが、ファッションの発信源である『POPEYE』は、“アルマーニのジャケットは買えなくてもメンズ・バツのもので我慢し、J・M・ ウェストンのローファーは買えなくても、リーガルのもので満足する”ような層とは一線を画したかったのでしょう。

実は、バブル期の『POPEYE』はエフデジェという、上品な山の手フレンチカジュアルを打ち出していました

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ですが、エフデジェはブームになることはありませんでした。

おそらく、この頃の『POPEYE』は新しいファッションを創造することではなく、ステータス性を強調することでマスとの差別化を図っていたのではないでしょうか。

バブルを境に、わたしたちの日常生活が現在と連続性をもつ新たな段階に確実に変化したことが見て取れるだろう。たとえば、「強まるホンモノ志向」や「個性化」の用語で紹介されている外車、香水、洋酒、輸入食材、輸入雑貨、アウトドア・ライフなどがそうである。すでに予想されるよう に、当時メディアで語られた「個性化」は、どれも大量規格品・産業の手によるもので、反語でないのならひどく虚しい。

ファッションについては、リーヴァイスの501や505が《定番》となり、ピカデリー、ヴァレンチノやアルマーニ、シピーやシマロン、リベルト、C-17などのヨーロピアン・ジーンズが流行になる。だが、これに合わせるのは判で押したように、ポロ、ラコステ、フレッド・ベリーのいずれかのポロシャツ、秋にはジョンスメドレーのVネック、冬には米海軍のボア・ジャケット、MA-1(フライト・ジャケット)またはフィールド・ジャケットと決まり切った《定番》が好まれ、エスニックなアクセサリーでせいぜい違いを示すような、些細な違いと創意工夫しかない状況だった。

 

バブル経済があったからこそ生まれた日本のクリエイティビティ

ですが、このバブル期が終わったます。こういったバブル期があり、それがバブルが崩壊したからこそ、1990年代に日本のファッションのクリエイティビティは復活を果たしました。現在も世界のファッションに影響を与え続けている「裏原系」は、バブルが崩壊したからこそ生まれたムーブメントです。そのことに関しては、こちらの記事で詳しくご紹介しています。

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また、20471120やビューティービーストなどのマニアックながら世界的に人気を集めるデザイナーズブランドも、バブル経済が存在したからこそ生まれました。

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バブル期のファッションの「貧しさ」も、その後の快進撃の礎となったのならば、それはそれで価値があったのではないでしょうか。

 

おまけ:重低音がバクチクする

本文は以上ですが、僕的には面白いとは思ったものの、記事の構成上カットしたページを掲載しておきます。