山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

ナンバーナインとお兄系。2006年「FINE BOYS」から振り返る、00年代の日本を席巻したロック系ストリートファッション。

目次

 

前回に引き続き、「FINE BOYS」2006年12月号を軸に、今回は2000年代のロック系メンズファッションの流れをご紹介していきます。

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独自のアレンジが施されたミリタリーアウター

前回の記事でも触れましたが、「FINE BOYS」は大学生を中心としたティーンズがターゲットのメンズファッション誌。

誌面に登場しているのは、マルイ系やセレクトショップオリジナルなど、学生でも比較的手を出しやすい価格帯のブランドが中心です。

まずは誌面の続きから。

“「ミリタリーアウター」着回し★活用術”

ミリタリーアウターというと、アメリカ軍を中心にした軍の放出品や、軍にミリタリーウェアを納入しているメーカーによる民生品、またはレプリカなどの、ゴツい生地にガチなディティールを備えたいわゆる「軍モノ」を想像する人が多いと思いますが、ここで取り上げられているのはミリタリーアウターを元ネタに、トレンドの要素をかなり濃厚盛り込んで、独自のアレンジが加えられたデザインです。

なので、例えばPコートの場合はシルエットは相当細く、丈は短く、ボタンはゴールドという、2006年当時のトレンドが強く反映されたデザインになっています。

M−65とモッズコートはミリタリーアウターの中でも定番的なアイテムですが、2006年当時は特にM−65やモッズコートをアレンジしたアウターが人気を集めていました。

やはりシルエットは細身

丈も短めです。

 

だらしない普段着が世界的なトレンドとなったグランジ

“1着のミリタリーアウターで、テイストに変化をつけるには?”

テイスト変化ということで、“プレッピーMIX”、“上品アメカジ”などのファッションテイストが並んでいますが、ここで注目したいのが“細身グランジ”

グランジは2000年代のメンズファッションを知る上で重要なキーワードです。

グランジはについては、こちらの記事で詳しくご紹介しています。

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重要なポイントをピックアップしてご紹介します。

1989年にデビューしたアメリカのロックバンド、ニルヴァーナのボーカル、リードギターのカート・コバーン。

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カート・コバーンは全く飾り気がないどころか、ごくごく一般的な若者と変わらない、というかむしろだらしなささえ感じられるような普段着でステージに立ち、それがクールだと人気を集めるようになりました

カート・コバーンの服装で特に印象的なアイテムは、赤×黒のボーダー柄ニットぼろぼろのジーンズ

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モヘアカーディガン

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オンブレチェック柄

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コンバースジャック・パーセルやオールスター大ぶりのサングラス

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その後、カート・コバーンの服装はファッション誌などで取り上げられるようになり、その過程でグランジと名付けられ、ニルヴァーナに代表されるオルタナティブロックミュージックもグランジと呼ばれるようになります。ちなみに、グランジ(grunge)は薄汚れた、不潔な、という意味です。

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アメリカのファッションブランド、ペリー・エリスは1993年春夏コレクションでグランジをフューチャーします。

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このとき、ペリー・エリスのデザイナーを務めていたのが、後にルイ・ヴィトンがクリエイティブディレクターとなるマーク・ジェイコブスです。

グランジの流行の波は世界に波及。もちろん日本にも押し寄せました。

40年に渡る日本のストリートファッションがまとめられた書籍「ストリートファッション 1980-2020―定点観測40年の記録」では、1993年に日本でグランジが流行したと記されています。

東京のストリートでも、古着のルーズなニットやチェックのシャツ、破れたデニムなど、ふつうのカジュアルなアイテムを野暮ったく重ねるスタイルが流行。なかでも、ポスト・団塊ジュニア世代の若者たちを中心に、1960年代、1970年代の古着スタイルへと変容していった。ちょうど、 原宿から渋谷を繋ぐ明治通りに女性向 けの古着屋も増え、 リサイクルショップ、 雑貨店なども登場し、自分でリメイクする若者たちも増えたが、それが「グランジ」 として意識的に取り入れている人はわずかだった。

 

ナンバーナインによるグランジ再興

そんな1990年代前半のグランジファッションの人気を2000年代に大復活させたブランドが、ナンバーナインです。

ナンバーナインの2003年秋冬コレクションは通称「カート期」と呼ばれ、そこで提案されているスタイルはカート・コバーンのファッションそのものです。

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ナンバーナインのデザイナー、宮下貴裕さんは渋谷の老舗セレクトショップ、ネペンテス出身

宮下貴裕さんはネペンテスから独立し、1996年にナンバーナインを創業します。

創業当初は苦しい時期があったようですが、その後野口強さんをはじめとした人気スタイリストに認められ、「POPEYE」などのメンズファッション誌で頻繁に登場するようになります。

その後、90年代後半には東京を代表するドメスティックブランドになり、カリスマ的人気を誇るようになります。

 

ナンバーナインと木村拓哉

特に2000年代に入ってからは、野口強さんや祐真朋樹さんなどの影響力の強いスタイリストが、当時ファッションアイコンとして絶大な影響力があった木村拓哉さんにスタイリングすることで、幅広い層に人気は拡大します。

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木村拓哉さんが着用したアイテムのなかでも特にTシャツにはブランド古着屋やヤフーオークションなどの二次流通市場で高いプレミア価格が付くようになります。

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余談ですが、僕が2008年に入社したファッション企画会社はマス層向けの企画がメインでした。そこで先輩に「木村拓哉さんの服装は絶対にチェックしておいたほうがいい」とアドバイスされ、それからはできるだけ「SMAP×SMAP」の歌のコーナーを観るようにしていましたが、そのときも木村拓哉はよくナンバーナインの服を着ていた記憶があります。

木村拓哉さんのファッションは、2001年のドラマ「HERO」で着用して大人気となったA BATHING APEのレザーダウンジャケットに代表されるように、1990年代終盤から2000年代前半が話題になりがちですが、2000年代終盤になってもまだまだ大きな影響力がありました

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その後、ナンバーナインは2004年にコレクションを発表の場を東京からパリに移します。

ですが、2009年秋冬コレクションを最後に、宮下貴裕さんはナンバーナインのデザイナーを退きます

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近年のインタビューで、宮下貴裕さんはナンバーナインについて以下のように語っています。(強調引用者以下同)

NUMBER (N)INEをやっていた当時、僕がいちばん嫌だったのが、すごくNUMBER (N)INEぽいねって言われることだったということ。僕は常に変わりたい。勉強したい。毎回、違う、新しいレンズに変えたい。できれば、同じことを繰り返したくない。

https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/fashion-ja/takahiro-miyashita-writes-wearable-love-letters?lang=ja

前のブランド(ナンバーナイン)のときも今と同じく一人でデザインをやってたんですけど、組織と自分との間で思い描くブランドの存在価値や方向性に相違が生じてきたので、バンドを解散して新しいソロ活動を始めるような感覚でブランドを立ち上げたんです。

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現在、ナンバーナインブランドを保有しているのは、株式会社志風音というアパレル企業。

shiffon.com

現在のナンバーナインは、宮下貴裕さんが全く関わっていない形態で展開されています。

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宮下貴裕さんが手掛けていた頃とはかなり違うブランドイメージになっています。

宮下貴裕さんは翌年の2010年から新ブランド、TAKAHIROMIYASHITA The SoloIst.を始動。独自の世界観は今も熱狂的なファンを魅了しています。

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再評価される宮下貴裕期ナンバーナイン

近年は宮下貴裕さん時代のナンバーナインのアイテムをエイサップ・ロッキーなどの人気ラッパーが着用して人気が再加熱

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こちらはナンバーナインの2005年秋冬コレクション。発売当時も亀梨和也さんや妻夫木聡さんなどの有名芸能人が着用して人気が高かったアイテムですが、デザイナーズアーカイブ人気の高まりから、これまで以上に価格が高騰しています。

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同じコレクションの同シリーズアイテムには、記事執筆時点で18万円の価格が付いています。

NUMBER (N)INE 2005 A/Warchivestore-official-ec.myshopify.com

 

いつまで続く?人気ラッパーが牽引するデザイナーズアーカイブ高騰

このように、これまでは発売後ある程度の年月が経てば価値がかなり落ちていたデザイナーズブランドのアイテムも、近年はアーカイブとして定価以上の価値が付くようになったブランドも少なくありません。

ラフ・シモンズ、ヘルムート・ラング、コムデギャルソン、マルタン・マルジェラなどがその代表ですが、たいていの場合は上掲のエイサップ・ロッキーやトラヴィス・スコットなどの人気ヒップホップミュージシャンが着用することが再評価のきっかけになっています。

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2010年代以降、20年代に入った今もアメリカを中心としたヒップホップが世界の音楽シーンの中心を占めています。

なので、人気ラッパーが発信するファッションに人気が集まっていますが、最近はK-POPなどの新しい音楽の人気も世界的に高まっています。

今のヒップホップの人気が未来永劫続くことは絶対にありえません。

次のファッションアイコンになるのは誰なのか

もちろん、それはミュージシャンに限ったことではないでしょう。

そして、新たなファッションアイコンが生まれたときに、現在高騰が続いているデザイナーズアーカイブ市場はどう変化するのでしょうか

 

ナンバーナインとディオール・オムを繋ぐもの

ナンバーナインは2003年秋冬コレクションのインパクトから、グランジというイメージが強いブランドですが、シーズン毎にコレクションのテーマは異なっています。

とはいえ、宮下貴裕さんのナンバーナインで貫かれているのは、ロック的な要素です。

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モチーフになっているミュージシャンも、ガンズ・アンド・ローゼズのアクセル・ローズジョージ・ハリスンなど。

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そして前回の記事でご紹介したように、2000年代のメンズファッションに最も大きな影響を与えたブランドである、エディ・スリマンのディオール・オムからも、ナンバーナイン同様ロック的な要素が強く感じられます

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ブランド自体は2001年にスタートしたとはいえ、母体はフランスの歴史あるメゾンブランドであるディオール・オム

そして、最終的にはパリでコレクションを発表していたとはいえ、出自は日本のストリートブランドだったナンバーナイン

全く違うアプローチにも関わらず、2000年代の日本のメンズファッションに大きな影響を与えたふたつのブランドが、どちらもロックを重要な要素としていたのは、偶然ではないでしょう。

 

日本を席巻したストリートファッション「お兄系」

そして、ナンバーナインの他にも、2000年代の日本にはロックを非常に重要な要素とする、日本を席巻したストリートファッションがありました。

それが、お兄系です。

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men's egg (メンズエッグ) 2006年 07月号 

お兄系のルーツについては、こちらの2つの記事で詳しく分析しましたが、その内容を編集して掲載します。

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僕はお兄系のルーツは1990年代の渋カジにあると考えています。

渋カジについて詳しく書かれているのが、こちらの書籍。

メンズならネイビーのブレザーにリーバイス501、足元はモカシンシューズ(この画像は違うようですが)というのが渋カジの定番。

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こちらは渋カジブーム後期となる1992年の雑誌です。

後述しますが、この頃の渋カジは細分化して派生スタイルが誕生していましたが、1980年代から続くアメカジ要素の強いオーソドックスな渋カジはこのような雰囲気だったと思われます。

http://michaelsan.livedoor.biz/archives/51866741.html

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渋カジは日本初の日本のストリートファッション

○○が流行れば皆右にならえが当たり前だったそれまでのブームと違い、渋カジはこれらの「渋カジアイテム」をそれぞれが自分で編集し、自分なりのスタイリングを生み出していたという特徴がありました。

大学時代の恩師の著作からの孫引きになってしまいますが、ビームスの創設者である設楽洋さんは「形だけを取り入れるのではなく、自分たちで自分たちのスタイルを加工編集したのが渋カジ」であり、「初めて街が産んだスタイルだった」と語っています。

また、ファッションデザイナーの渡辺真史さんは「渋カジが、わたしを作った。」に掲載されているインタビューでこう語っています。

渡辺さんは「渋カジがなかったら今の日本のストリート・ファッションは違う形になっていた」と断言する。

渋カジは雑誌が主導したムーブメントではなく、ストリートから自然発生的に生まれた正真正銘のストリート・ファッションです。あの時代があったから今の日本のストリートがあるのだと思うし、もしなかったら今とは違う形になっていると思います。初めてアメリカの地を踏んだ時、渋カジが世界のどこにもないドメスティックなファッションだったことに気づき、気恥ずかしくなりました。でも、今思うとそれが良かったと思うんです。自分たちのフィルターを通して生み出したカルチャーなのだから、それを誇りに思っていいし、大事にするべきですよね。様々な国の文化を吸収し、それを編集して新しいものを生み出すのは日本人の強みだと思いますが、 渋カジはまさにそれに該当する事例だと思います。」

渋カジは日本初のストリートファッションだったのです。

 

渋カジから派生したキレカジとハードアメカジ

1989年の段階ではまだ首都圏中心だった渋カジですが、1990年に入ると渋カジの流れを汲んだ派生的な2つのスタイルが登場します。

そのひとつであるキレカジはラルフ・ローレンのネイビーブレザーやボタンダウンシャツ、タータンチェック柄のパンツなどのトラディショナルアイテムをベースにした、上品な印象のスタイルです。

そして、もうひとつがバイカー的要素の強いハードアメカジです。

ハードアメカジについてはあれこれ説明するよりも、当時のファッション誌の画像を見てもらうと一目瞭然でしょう。

http://michaelsan.livedoor.biz/archives/51866741.html

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渋カジとチーマー

「渋カジが、わたしを作った。」によると、ハードアメカジの存在が顕在化したのは1990年の秋頃

1991年の春〜夏には衰退化を始めたキレカジに代わり、最大派閥となります。

上掲のハードアメカジの風貌を見ると「なんかワルそう」というイメージを持つ人も少なくないと思いますが、その理由は渋カジ成立の背景と関係しています。

そもそも渋カジの成立の背景には「チーム」がありました

「チーム」の構成員は後に不良の代名詞的な言葉となる「チーマー」と呼ばれるようになります。

チームのはしりとなったのが、富裕層の子息が多数在籍していた都内の名門校、明大中野高校で結成された「ファンキーズ」。

その後、有名私立高校に通う不良たちの間で数々のチームが結成されるようになりますが、1988年にいくつかのチームが起こした恐喝沙汰が報道されることにより、渋谷のチームの存在が全国的に知られるようになります

1990年頃になると、渋谷には東京近郊や近隣の県の不良たちも集まるようになり、チーム間での激しい抗争も頻繁に起こるようになります。

その結果、チームの存在は週刊誌やテレビなどで取り上げられ、知名度も全国区となりました。

その当時、ハードアメカジはチームの制服的な存在でした。

元々バイカーの影響が強く、コワモテな雰囲気があるハードアメカジでしたが、そういった当時の社会状況で更に「ワル」の印象が強まったのだと思われます。

 

「men's egg」最終号の「ギャル男ファッション14年史」

次にご紹介したいのが、「men's egg」2013年11月号です。

「men's egg」は元々ギャル系のレディスストリートファッション誌「egg」のメンズ版として1999年に創刊されました。

今や死後となってしまった、いわゆる「ギャル男」のファッション誌として人気を集めますが、この2013年11月号を最後に「men's egg」は休刊します。

そして、「men's egg」最終号を飾る企画として掲載されているのが、「ギャル男ファッション14年史」です。

「men's egg」が創刊された1999年から1年毎の、ギャル男ファッションの流れが詳しく紹介されています。

まず、1999年はサーフファッションの影響が強い原色系。

2000年はスポーツアイテムやスタジャンなど、アメカジ色の強いスタイル。

2001年はオールドサーフ。ですが、“ギャル男のファッションも女の子から人気のあるアダルトなキレイめファッションにシフトしていった”とあるように、黒を基調としたマスキュリンなスタイルが徐々にギャル男に拡大していったのも、この頃だったようです。

 

お兄系は完全なるストリートファッションだった

2002年。後のお兄系の元祖に思えるレザーアウターなどを軸としたワイルドなスタイルが読者に人気となったようですが、注目すべきなのはこれが“読モたちの私服”だったということ。つまり、アパレル企業やスタイリストによるお仕着せではなく、読者モデル、ストリートがお兄系のルーツだったということです。つまりお兄系は完全なるストリートファッションだったということです。

次ページは2003年から2006年。

2003年。“読モが自身でブランドを立ち上げる”。1990年代に原宿で生まれた裏原系のように、ストリートの感性が反映されたブランドが誕生します。

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2004年、お兄系誕生

2004年。超ド派でなセンターGUYの影に隠れ、“長らく一定の支持を集めていたアダルト系ファッションが「お兄系」として確立され、そのスタイルは全国を席巻”とあり、2004年がお兄系誕生の年だったことがわかります。

2005年。“伊利&ゆうちゃくのファッションが読者から圧倒的な支持を集める”と、やはりリアルなストリートファッションが人気だったようです。

 

お兄系とエディ・スリマンが交わった2006年

そして2006年。“アメカジやアウトローがジワジワと…”と、“ワルっぽさをウリにした着こなしも根強い人気”であると同時に、“レディースアイテムで着飾るタイト男子が急増”と、エディ・スリマンのディオール・オムが提案した超タイトなシルエットが影響にあると思われるスタイルも人気を集めるようになります。

エディ・スリマンによるディオール・オムは2001年に開始されますが、それから5年経った2006年に日本のストリートファッションであるお兄系と交わったのです。

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そしてこちらが、2006年の「men's egg」の表紙です。

お兄系のルーツであるハードアメカジをベースに、ディオール・オムが提案したモノトーンをベースにしたロックスタイル、タイトなシルエットや浅い股上のジーンズにゴツいベルトなどがミックスされた、独自のファッションが生まれています。

men's egg (メンズエッグ) 2006年 11月号

men's egg (メンズエッグ) 2006年 12月号

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men's egg (メンズエッグ) 2006年 06月号 

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men's egg (メンズエッグ) 2006年 09月号

 

ストリートファッションとしての地位を確立したお兄系

次ページは2007年から2013年。

2007年は“すっかり浸透したお兄系スタイルは、安定した人気を継続”

2008年も“お兄系は変わらず人気”

2009年は“お兄系は安定した支持を継続”。そして、“読モブランドが大フィーバー!モデルの8割がデザイナー”

このように、お兄系は日本のストリートファッションとしての地位を確立したのです。

 

2014年。お兄系、死す。

ですが、翌年の2010年にはお兄系の文字は見当たらず。

2011年。“アメカジ、NEOお兄系、ACID ROCKの3本柱”と、お兄系にも変化が生まれていたことがわかります。

そして、2012年になると流石にお兄系の文字は見られなくなります。

そして、2013年にお兄系の代名詞的雑誌だった「men's egg」は休刊。

そしてその翌年の2014年、お兄系の総本山だった109−2の新店舗紹介のポスターが全くお兄系感ゼロだったことを受け、「2014年。お兄系、死す。」という記事を書きました。

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先述したように、お兄系が誕生した2004年から数えてちょうど10年後のことでした。

 

2006年「FINE BOYS」分析は次回も続きます

ナンバーナインとお兄系

当記事のそもそもの出発点だった、セレクトショップオリジナルやマルイ系がメインの「FINE BOYS」からはかなり話が逸れてしまっているように思われるかもしれませんが、僕は「FINE BOYS」が提案しているファッションは、ナンバーナインとお兄系、そして前回の記事でご紹介したディオール・オムの影響を大きく受けていると考えています。

もちろん、「FINE BOYS」が影響を受けているのは、その3つだけではありません

来週金曜日公開予定の次回の記事では、その他の要素と2006年前後の経済や政治、世相についてご紹介できたらと思っています。