目次
- 「今かけたい」アイウェア、キラーループ
- 1997年は“シューズ戦国時代”
- 圧倒的人気のシンプルスニーカー
- シンプルスニーカー・レザーシューズ人気を先導したのは藤原ヒロシ?
- 本当に好きな人たちだけが残った“ハイテク支持派”
- ハイテクスニーカーブームの反動のシンプルスニーカー人気
- 「どのスニーカーがどこでいくらで買えるか」は重要な情報
- 伝説的な藤原ヒロシとレッドウィングのエピソード
- ハイテクスニーカーブームが終わった時期
- エアマックス95がブレイクした瞬間を特定する
- エアマックス95着用の広末涼子のCM放映開始時期は?
- ハイテクスニーカーブーム終焉の要因
- ソールドアウト続出のジャックパーセル
- JDスポーツ別注ニューバランス576
- プーマのカリフォルニアをブレイクさせたのも広末涼子?
- 裏原宿で火がつきはじめたDC SHOES
- 「スニーカー秋の時代」だったから生まれた名(迷?)作スニーカー
- ナイキACGの1997年秋冬モデルが大集合!
- 超レア!ティンバーランドやダナーのトレッキングシューズ
- これだけ多くのブランドからワラビータイプが出ていたとは!
- グランジでブームを起こしたビルケンシュトック
- セダークレストが“ポストアイリッシュセッター最有力候補”
「今かけたい」アイウェア、キラーループ
今回ご紹介するのは『Hot Dog PRESS』1997年5月10日号です。
表紙は広末涼子さん。彼女が持っているヴァンズのチェッカーフラッグ柄のスリッポンは、今号の内容の象徴になっているのですが、詳しくはまた後ほど。
巻頭の小ネタページ。
キラーループってアイウェアブランド、ありましたよねぇ。当時同じく人気だったアイウェアブランド、ブリコを思わせる、ゴーグルのようなフォルム。メタルがあしらわれたデザインなど、「今かけたい」と感じる雰囲気ですが、調べてみると現在はキラーループのブランドは展開していないようです。
左側の、「ワールド・ワイド・ウェブ」というイタリアのブランドもかなり今気分なデザイン。ですが、こちらももうブランドはなくなっているようで、掲載されているURLには何もありませんでした。
右ページは当時人気だったG-SHOCKの広告。
ミノルタから発売されていた、「エンジェルシリーズ」というカメラ。こちらもいい感じのデザイン。
右ページ、MDソフト広告。当時、MDは使っていましたが、こういうMDソフトは買ったことがありませんでした。やっぱりCDでしたね。
1997年は“シューズ戦国時代”
さて、ここからが本編。
“シューズ戦国時代の本命を探せ!”という特集です。
そしてその特集タイトル下に、1997年当時のスニーカーの状況が簡潔にまとめられています。(強調引用者以下同)
ストリートでシューズ・バトルに大きな変化がおきている。エアマックスをはじめとするハイテクスニーカー人気からシンプルスニーカー、レザーシューズへと流れが変わり、三つ巴の戦いになっているのだ。
1990年代を代表するファッションムーブメントである、ハイテクスニーカーブーム。そして、それを牽引したのが、言わずと知れたナイキのエアマックス95でした。
https://www.pinterest.jp/pin/939070959776176526/
ちなみに、1980年生まれでファッションに興味を持ち始めた高校生だった僕は、周りに特にファッション通の友人はいませんでした。
なので、『Hot Dog PRESS』や『POPEYE』などのファッション誌が当時の僕にとって最も影響力が強い、ファッションの情報源でした。
ハイテクスニーカーブームに乗っかった僕が、地元神戸三ノ宮センター街の靴屋でこのエアマックストライアックスエキストラを買ったのが、おそらく1996年の夏頃だったはずです。
エアマックスブーム当時、僕がプレミア価格で買ったエアマックスがこちらです。この運動靴感は好きなので今でも履きたいですが、100%復刻はありえないでしょうねぇ。 pic.twitter.com/8QqCiV0aEr
— 山田耕史 ファッションアーカイブ研究 (@yamada0221) 2017年12月16日
圧倒的人気のシンプルスニーカー
誌面では“渋谷・原宿・アメ村でキャッチ&スナップしたシューズチャンプ200人を徹底調査!”しています。そして、1997年当時のオシャレさんが履いていたのが、シンプルスニーカーだったのです。その中でもオールスターやジャックパーセルなどの、コンバースが50%と圧倒的な支持を集めています。
そして、シンプルスニーカーの次に着用率が高かったのがレザーシューズです、その三傑はアイリッシュセッター、ワラビー、ビルケンシュトック。レザーシューズの内容については後ほど詳しくご紹介します。
着用率21.5%のハイテクスニーカーの中では、ナイキが圧倒的な人気。
そして、“次に欲しいシューズは?”という質問に51%がシンプルスニーカーを、34%が“レザーシューズ”を挙げています。
シンプルスニーカー・レザーシューズ人気を先導したのは藤原ヒロシ?
では、なぜ1997年のストリートではシンプルスニーカーの人気が高まっていたのでしょうか。ストリートからは“安くて、種類が豊富で合わせやすい”という声に加え、“裏原系に支持されているのは、藤原ヒロシの影響か彼らはトータルな着こなし重視で足元は極力シンプルが鉄則だ”とあります。
そう言えば、藤原ヒロシさんがエアマックス95などのハイテクスニーカーを履いているイメージってありません。
こちらの1996年の写真のように、レッドウィングなどのレザーシューズや、コンバース、プロケッズなどのシンプルスニーカーをよく着用していた印象があります。
https://www.pinterest.jp/pin/1022528290370478364/
1996年から1997年は裏原系の人気がより広く拡大していた頃だったので、藤原ヒロシさんのファッションも影響力が強くなっており、それによりストリートでのシンプルスニーカーの着用率も高まっていたのかもしれません。
本当に好きな人たちだけが残った“ハイテク支持派”
この頃は少数になっていた“ハイテク支持派”は“各ブランドの新作が欲しいコ達とジョーダンシリーズなどヴィンテージ物が欲しいというコ達”に分かれていた、と書かれています。つまり、ハイテクスニーカーブームが終了して、1997年当時ハイテクスニーカーを支持していたのは、本当にハイテクスニーカーが好きな人たちだけが残った、というのが1997年の状況だったのでしょう。
ハイテクスニーカーブームの反動のシンプルスニーカー人気
次ページからは、それぞれのカテゴリにおいて「次に狙っている」シューズのランキング。
“次に欲しいシューズ第1位”のシンプルスニーカーは“オールスターがダントツ!!”。ストリートでは“形はとことんシンプルがいい”と、エアマックス95やポンプフューリーなどの複雑なデザインが人気だったハイテクスニーカーブームからの反動で、シンプルスニーカーを求めていたようです。
とはいえ、スニーカー自体が重要なファッションアイテムであることは継続していたようで、“鮮やかで派手めのもの”が人気だったとのこと。
次に狙っているシンプルスニーカー第2位はコンバースジャックパーセル。
第3位以降はヴァンズのスリッポン、ヴァンズのジャズ、アディダスのスタンスミスが続きます。
「どのスニーカーがどこでいくらで買えるか」は重要な情報
それぞれのシューズ支持者のストリートスナップも掲載されています。向かって左の彼は“今はオールスターに凝っていて、自分のオリジナルを作ったりしています”と、“ヒョウ柄の布を自分でつけたオリジナル”を着用。はっきりとした時期は覚えていないのですが、僕がコンバースオールスターの生成りを買って、自分でピンク色にペイントしていたのもおそらくこの頃だったのでしょう。
ウェアの詳細は記載されていませんが、裏原系っぽいスタイルの人がシンプルスニーカー支持層の中心だったようです。
長袖のスウェットにハーフパンツという、個人的に裏原系のイメージが非常に強いコーディネート。
“¥9,800で買った麻のオールスター”。そう言えば、こういう異素材のオールスターは最近あまり見ていないような気がします。
購入価格が記されているのも、当時ならでは。当時のスニーカー市場は並行輸入やプレミア価格など、定価があってないような状況だったので、「どのスニーカーがどこでいくらで買えるか」は重要な情報でした。
伝説的な藤原ヒロシとレッドウィングのエピソード
次のページはレザーシューズとハイテクスニーカー。
レザーシューズの次に狙っているランキングは、1位がアイリッシュセッター、2位がワラビー、3位がビルケンシュトック。アイリッシュセッターはもちろんレッドウィングの商品。ですが、ワラビーはクラークスのものに限ってはいないようです。
“レザーシューズ第1位のアイリッシュセッター。人気のカラーはダントツ黒だ”。
この黒のアイリッシュセッターの人気も、藤原ヒロシさんが強く影響を与えています。
藤原ヒロシさんによるメンズノンノの連載「ア・リトル・ノーレッジ」の1996年3月号で、ソールをホワイトにカスタムしたブラックのアイリッシュセッターを藤原ヒロシさんが着用して披露し、レッドウィング社に問い合わせが殺到したため、商品化されたという、伝説のようなエピソードです。
そして第2位はワラビー。“ワラビータイプは、各ブランドから出ているが、一番人気はクラークスだ”とあり、今の感覚からするとむしろ様々なブランドがワラビータイプのシューズを出していたことのほうが意外ではないでしょうか。
第3位のビルケンシュトックは“巷でウワサ”“ますます人気に火が付きそう”と、だったようです。
次に狙っているシューズの第3位、ハイテクスニーカーは“今の現状はかなり落ち着いた”“ブームは去ったといわれる”など、やはり1997年5月の段階でブームが既に終焉していたことがわかります。ハイテクスニーカーで、圧倒的人気を誇るのはやはりナイキ。
そしてリーボック、アディダスと続きます。アディダスは“この春リリースされたウォーターモカシンが注目されている”とのこと。
このウォーターモカシン、確かに当時大人気でした。
こちらは2年後の『Hot Dog PRESS』1998年3月10日号に掲載された、大阪でのストリートスナップ。
大阪アウトドアスタイル。
— 山田耕史 ファッションアーカイブ研究 (@yamada0221) March 22, 2023
アディダスのウォーターシューズとか、インディペンデントの腕時計とか、小物が懐かしい。 pic.twitter.com/iRpS6tv8eW
こんな感じで古着にウォーターモカシンを合わせたスタイルを、大阪のアメリカ村とかで男女問わずよく見掛けた記憶があります。
当時はバリエーションも数多く展開されていました。
アディダスのウォーターモカシン…完全に忘れてた…懐かしい… pic.twitter.com/M3sgYxYXVA
— 山田耕史 ファッションアーカイブ研究 (@yamada0221) 2018年11月27日
レザーシューズ、ハイテクスニーカー支持層のストリートスナップ。
裏原系が目立っていたシンプルスニーカー支持層よりも、ファッション的にバリエーションに富んでいる印象。
アイリッシュセッターは“アメ村で¥29,800”“町田の古着屋で¥45,000”と、購入価格にかなり開きがあります。
ハイテクスニーカー支持層。とはいえ、この特集ではエアジョーダンやターミネーターなどの、80年代のバスケットボールシューズもハイテクに分類されているようです。
ハイテクスニーカーブームが終わった時期
では、ハイテクスニーカーブームが終わった時期について、他の資料からも検証してみます。
参考にしたのは、当時のスニーカー関係者の証言を数多く収録した書籍、「東京スニーカー史」です。
オープンから半年くらい経って狂騒は収まっていく。
この“オープン”とは、1996年9月21日に新宿に開店したナイキ直営のナイキショップのこと。
“狂騒”はもちろん、エアマックス95に端を発したハイテクスニーカーブームのことです。
1996年9月から半年後、つまり1997年3月頃には“狂騒は収まって”いたということです。
で、『Hot Dog PRESS』1997年5月10日号が発売されたのは1997年4月、誌面の内容が取材されたのは3月頃でしょう。
なので、から、「1997年3月頃にはハイテクスニーカーブームが収束していた」いう見解が、『Hot Dog PRESS』1997年5月10日号と「東京スニーカー史」で共通しています。
エアマックス95がブレイクした瞬間を特定する
また、こちらの過去記事で詳しくご紹介していますが、ハイテクスニーカーブーム(=エアマックス95のブレイク)が本格的に始まったのは、1996年初頭からです。
上掲の「東京スニーカー史」の著者でもある小澤匡行さんの書籍「1995年のエア マックス」では、エアマックス95がブレイクに至るまでのストーリーが細かく紹介されています。
エアマックス95は、そのデザインの奇抜さから発売当初はほとんど注目されていませんでした。
当時の『Boon』は、ナイキジャパンから新作のサンプルを借り、それを発売前に誌面で紹介していた。しかし1995年の「エア マックス」について紹介された誌面を見れば、お粗末な写真に、わずかなキャプションが添えられた程度に過ぎなかった。
専門誌である『陸上競技マガジン』(ベースボール・マガジン社)でも、1994年に「マルチチャンバー エア」を初搭載した「エア マックス スクエア ライト」が発売になった際には編集タイアップや純広告によりつまびらかに解説していたのに対し、本作に関しては純広告のみ。特集などはまったく組まれなかった。
そのようにして1995年6月、静かに日本で発売された新作の初速は、全国的に見ればかなり緩やかだった。
ですが、ファッション感度の高い人が集まる原宿界隈では、1995年6月の発売当初からかなり注目されていたようです。
ただ原宿界隈の販売店舗に限っては、在庫の少なさも影響して、当初からハイスピードで売れていったという。特に、一連のスニーカーの傾向をしっかりと捉えていたファッション業界人は、ハイテクとアウトドアが結びついた斬新なルックスを見逃さなかったと思われる。
イエローグラデが発売された、約半年後に2ndカラーが投下される。メンズは通称「ブルーグラデ」、ウィメンズはフットロッカー限定の通称「ネイビーグラデ」。この発売あたりから少しずつ世間が騒がしくなっていく。緩やかに売れていったイエローグラデが全国のスポーツ店の棚から姿を消したことで、新色のリリースに注目が集まったのである。
原宿が震源地となったエアマックス95の人気は、徐々にその規模を広げていきます。
年始まもなく発売された3rdカラーは、メンズは通称「レッドグラデ」、ウィメンズは「ブルーボーダー」。続く4thカラーはメンズが「ブラックボーダー」、ウィメンズは「パープルボーダー」。4thカラーではボーダー柄を取り入れており、それまでの地層をイメ ージしたアッパーのデザインからの変化が見られた。
著者の記憶では、本格的に日本で人気が爆発したのは、3rdカラーだった。 「レッドグラデ」は『週刊朝日』(朝日新聞社。現在は朝日新聞出版社)の表紙で木村拓哉が、「ブルーボーダー」は広末涼子がドコモのポケベルのCMで着用した。特に決定的だったのは、後者のCMである。
https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=423925765
木村拓哉さんが表紙の『週刊朝日』は1996年1月5・12日合併号です。
エアマックス95着用の広末涼子のCM放映開始時期は?
そして、広末涼子さんによるNTTドコモのポケベルのCMがこちら。
履いてます。
エアマックス95ブレイクの時期を特定するために、このCM放映開始時期も調べてみたのですが、1996年であることははっきりとしているものの、放映が開始された月日までは判明しませんでした。
少しでも手掛かりがあればと、このCMの最後に映るポケベルのモデルを頼りに調べてみました。
すると、“ドコモのポケベル’96”の表記がある、広末涼子さんのNTTドコモのポスターを発見。
このポスターに、CMに映っているポケベル「ページングトーク」「「パルフィーペンダント」が掲載されており、キャンペーンが“3/31まで”となっているところから、エアマックス95着用の広末涼子さんのCMが、1996年の3月以前に放映されたことは確実であることがわかりました。おそらく1996年の1月に放映開始されたと思われます。
ということで遠回りになりましたが、エアマックス95がブレイクした(ハイテクスニーカーブームの始まった)のは、1996年1月だと断定して良いと思います。
つまり、今回ご紹介している『Hot Dog PRESS』1997年5月10日号の発売は、ハイテクスニーカーブームが始まってから1年4ヶ月しか経っていません。
しかも、ハイテクスニーカーブームの火付け役のひとりである広末涼子さんが、シンプルスニーカーの代表格であるヴァンズのスリッポンを持って表紙に登場していることは、ハイテクスニーカーブーム終了を象徴していたと言えるでしょう。
ハイテクスニーカーブーム終焉の要因
繰り返しますが、1990年代を象徴するファッションのムーブメント、ハイテクスニーカーブームの熱狂は実質的にたった1年4ヶ月しか続きませんでした。
「東京スニーカー史」では、ハイテクスニーカーブーム終焉の要因を以下のように分析しています。
まずは、消費者側の要因。
〈エアマックス95〉をきっかけに、ようやく「ナイキであったら何でもいい」という消費者にある程度が行き届いた頃、と判断して良いだろう。そこから本当に好きなスニーカーを探す喜びを見つけた人もいれば、ブーツに興味が移った若者もいるだろう。タイガー・ウッズに憧れてゴルフとしてのナイキを好きになった会社員もいれば、アムラーに憧れて、ストレッチブーツを履いたギャルもいるだろう。スニーカーを、流行の事象として捉えただけで、次は「たまごっち」の獲得を目指して並び始めたハンターも多かったかもしれない。
それぞれにとっての〈エアマックス95〉があり、巻き込まれた多くの人たちが、次を求めて散っていく。それがブームの終焉だった。
そして、供給側であるナイキの要因。
〈エアマックス95〉の後、ナイキからそれを超えるような商品は出てこなかった。その余波で他のモデルも売れていたが、原宿に集まる 感度の高い若者たちは、本質を感覚的に見抜いていた。裾野が広がれば、ブームは終わり。でも次がない。ヴィンテージに見切りをつけていたクールハンターたちは焦り始めた。
例えば1996年でスニーカーに興味を持った人が100だとすると、10はムーブメントを火おこしした先天的なユーザーであり、90はブームに便乗した後天的なユーザーに分けられる。後天のユーザーのうちの10は市場に残ったものの、80は泡のように消えていた。
やはり、エアマックス95は空前絶後のスニーカーだったということでしょう。
https://www.pinterest.jp/pin/2885187254008910/
ソールドアウト続出のジャックパーセル
さて、ここからはストリートから読み取るトレンド情報ではなく、『Hot Dog PRESS』が提案するスニーカーのページになります。
まずは、“シンプルスニーカー別注&レアモデル大集結”。
“大御所ブランドコンバースのレアものを先取り!”ということで、トップバッターとして紹介されているのが、バットマン&ジョーカーモデル。箱付きデッドストックで15,800円ですが、現在はもっと高値でしょうね。
“レザーが人気No.1”のジャックパーセル。愛用する著名人にカート・コバーンが挙げられています。
カート・コバーンについてはこちらの過去記事で詳しくご紹介しています。
ワンスターの愛用者は、ビースティ・ボーイズやジャミロクワイのJK。
コンバースオールスターのバリエーション。
当然のことながら、今だと90sヴィンテージとして扱われているものばかりです。
ジャックパーセルは“ついこの間までは普通に買えた”のに、“現在、ソールドアウト続出のスニーカー!”として紹介されています。
“タイプ別で見つけたレア物VANSを手に入れろ!”。スリッポンだけで見開き2ページ。こちらも現在高騰していそうなモデルが多数。
“ヒールパッチに見る歴史変遷”。
スリッポン以外のモデル。
“銘品揃いのアディダスはヴィンテージを狙うべし!”。
↑で紹介されている70sを中心としたヴィンテージアディダスについては、↓の過去記事で70s当時の『POPEYE』の誌面と共にご紹介しています。
JDスポーツ別注ニューバランス576
次はニューバランス576だけがピックアップされているページ。メインとなっているのは、フットロッカーに代表される、海外の大手スポーツショップの別注モデル。
洗練されたカラーリングが特徴のJDスポーツ別注のニューバランス576は当時ファッション誌によく登場していました。
JDスポーツはイギリスのスポーツショップ。日本のファッションメディアでは長らくその名を見ていない気がしますが、今も元気に営業中。
現在もナイキやアシックスの別注モデルを発売しています。
プーマのカリフォルニアをブレイクさせたのも広末涼子?
お次はプーマ。“人気加速中のプーマは話題のカラーバリエ豊富な3タイプで勝負!”と、カラーバリエーションを活かしたグラフィカルな誌面構成になっています。
こちらのスウェード、当時僕も履いていました。確かボディがネイビーで、ラインがイエローだった筈。雨の日に穿いたら色落ちして、真っ白の靴下が青色に染まってしまった苦い思い出があります笑。
また、90年代始めにはスウェードはスケーターも多く着用されていたそうです。
“今日のようにスケシュー戦国時代ではなかった'90年代初め”
— 山田耕史 ファッションアーカイブ研究 (@yamada0221) 2023年11月27日
“その頃はスケシューではないスニーカーを敢えてスケートで履くのがクールとされていたように感じます。そして当時のスケートビデオに頻繁に登場したキックスのひとつがPUMAのSUEDE”
[RANDOM] 90S CLASSIC | VHSMAG https://t.co/kERYMdblsd
そして、このカリフォルニアがこの後爆発的な人気を集めるようになります。
こちらは2000年のスナップ。このように、女の子が履いていた印象が非常に強く残っています。
第229回 定点観測 | 2000.01.15(土) 原宿 「女性色足」20歳女性/ 専門学校生(美容) https://t.co/9Cp614SVqm pic.twitter.com/EiEHj5R0at
— 定点観測 (@web_across_bot) 2020年1月17日
実はこのプーマのカリフォルニアは、1999年発売の広末涼子さんのシングル曲「明日へ」のPVで非常に印象的に使われているんです。
僕がこのことを知ったのは、割と最近のこと。
おお、PVに懐かしいスニーカーが。これ、ヒットしましたよねぇ。モデル名忘れましたが。 pic.twitter.com/J4Q1SPai1V
— 山田耕史 ファッションアーカイブ研究 (@yamada0221) 2018年7月28日
この件について調べてみてもこれといった情報は見つかりませんでした。
なので、広末涼子さんのPVに使われたからカリフォルニアがヒットしたのか、カリフォルニアが人気だったから広末涼子さんのPVに使われたのかは、よくわかりません。おそらく後者だとは思いますが。
裏原宿で火がつきはじめたDC SHOES
あまり特集されることがない、スケーターシューズ。
“絶対に来る!スケーター御用達スニーカー厳選カタログ”と題されたこの2ページは資料的価値がなかなか高いのではないでしょうか。
“スケーター御用達スニーカー注目度ランキングBEST5”の1位は、“ノーウェア系にただ今ブレイク中”のDC SHOES。“裏原宿で火がつきはじめた注目のブランド”で、“藤原ヒロシさんやニゴウさん(ママ)をはじめとした裏原宿系にウケている”というストリートの声も。ここでも裏原系のカリスマ達がスニーカー人気に強い影響を与えていたことがわかります。
ナイキ、エトニーズ。
エトニーズはこちらの過去記事にも登場しています。
次ページはNSSやDVSなど、それほどメジャーではないスケーターシューズもピックアップされています。
最近復刻されて大人気となったアディダスのアディマティックは“もはやストリートの定番モデルと化しつつある人気”。
「スニーカー秋の時代」だったから生まれた名(迷?)作スニーカー
次はハイテクスニーカー。これまでご紹介してきたように、当時のハイテクスニーカー人気は下降気味。1998年からは本格的にハイテクスニーカー冬の時代に入ります。
そんな中、ハイテクスニーカー筆頭で紹介されているのが、後にシュプリームのコラボで人気が復活した、ナイキのエアフォームポジットワン。エアマックスは小さい扱い。僕はこのデザイン、好きなんですけどね。2007年頃に発売されたホワイトベースのモデルを愛用していました。
当時ファッション誌をよく見ていた僕でも「こんなのあったっけ?」と思ってしまうようなモデルが多数。
ここらへんのデザイン、今見るといいですけどね。
“真価するフィラの「2A」システムとクリア革命”。
フィラもK-POPの文脈から少し前に人気が復活していましたが、ここらへんのモデルも今復刻したら面白いんじゃないかなと思います。
“リーボックのハイテクが大きく変化したぞ!”ということで、“ポンプに替わるハイテク「DMX」”のモデルが大きく取り上げられています。
残念ながら、大ヒットには至らずでした。
僕が当時大好きだったテニスプレイヤー、マイケル・チャン着用モデル。
数少ない僕の自慢できることなんですが、2014年に来日したマイケル・チャンに直接インタビューしたことがあるんです笑。
アディダス。
ヘンテコなデザインが多いですね笑。こういうのはこういうので、今になると履いてみたい気分にはなりますが。
そんな中、大ヒットした上掲のウォーターモカシンはやはりデザインが洗練されています。
おそらく、エアマックス95の大ヒットしたので、当時スポーツブランド各社は斬新なデザイン、かつ革新的なテクノロジーを搭載したスニーカーの開発に躍起になっていたのでしょう。
ですが、「東京スニーカー史」にもあったように、エアマックス95を超えるスニーカーは生まれませんでした。
1997年当時はこうやってファッション誌でスニーカー特集が組まれていたので、スニーカー人気が完全に下火になった訳ではありません。
ですが、1996年のスニーカー人気の頂点から、明らかに右肩下がりになっていたのは明らかです。
1998年からは「スニーカー冬の時代」と呼ばれる不人気期が到来するので、さしずめ1997年は「スニーカー秋の時代」と言えるでしょう。
とはいえ、「スニーカー秋の時代」だったからこそ生まれた、名(迷?)作スニーカーもあります。
ナイキACGの1997年秋冬モデルが大集合!
僕が思う、「スニーカー秋の時代」だったからこそ生まれた名作スニーカーが数多く登場しているのがこのページです。
ナイキのアウトドアカテゴリ、ACGの1997年秋冬モデルのラインナップです。
これだけの数のACGが一堂に会しているのは、なかなか珍しいのでは。エアモックの発展形っぽいモデルのエアベイクドとか、めちゃくちゃ懐かしいです。復刻したら売れそうだと思うんですが。
良デザイン多数。
こうやって見ると、ナイキには素晴らしい過去の遺産がまだまだ残されていることを実感します。
超レア!ティンバーランドやダナーのトレッキングシューズ
とはいえ、ナイキは当時も今も人気ナンバーワンブランドなので、資料はまだ残っている方。このページの“7大ブランドのハイテクトレッキングシューズ新作セレクション”でピックアップされているブランドの方が、過去モデルの資料を見つけるのが難しいでしょう。
ティンバーランドのトレッキングシューズの機能解説なんて、かなりレア情報でしょう。
ダナーにノースフェイス。
リーボック、フィラ。個人的にリーボックのトレッキングシューズはかなり気になります。
見た記憶がない、ウッズのフットウェア。なかなか良さげなデザインです。アディダスもいい感じ。
“AIR JORDAN人気4タイプ厳選22足”。5、1、6、11の“人気4タイプ”の当時の価格が掲載されています。
個人的に好きなのは6、7、8です。
#私的ベストスニーカー
— 山田耕史 ファッションアーカイブ研究 (@yamada0221) September 16, 2019
第7位:エアジョーダン7
永遠の憧れ、エアジョーダン。6、7、8が好きなんですが、1つ選ぶとすると7。の黒。オリンピックカラーとかグレーも良いんですけどね。
…と、これを書きながら8を見ててやっぱり8もいいな、と…
んーーーー同率7位で…やっぱり黒赤です pic.twitter.com/TM5g8jmMpv
これだけ多くのブランドからワラビータイプが出ていたとは!
“最強レザーシューズ着こなし&カタログ決定版”。“人気絶頂の“正統派”ワラビー型は多彩な色バリエに大注目”として、様々なブランドの“ワラビー型”シューズがピックアップされています。
こちらのページで紹介されているのはシューズブランドのワラビー型。
“いわずもがなの正統派ブランドのクラークス”、“クオリティよしのおすすめブランド”ハッシュパピー。
“クオリティの高さには定評があるリーガル”、“トラッド王国・イギリス発のブランド、ジョージ・コックス”、“スペイン屈指のトレッキングメーカー、その名もトラッカーズ”というラインナップ。これだけ多くのブランドからワラビータイプが出ていたことに驚きです。
次のページは“人気ショップのオリジナル”。
A BATHING APEはNOWHEREのオリジナルという位置づけ。
BPRはビームスのオリジナル。
「こんなのあったんだ!」なデプトの厚底ワラビー。
“見逃せない“技アリ”ワラビー型をはきこなせ!”という、デザインアレンジが加えられたアイテムの数々。
グランジでブームを起こしたビルケンシュトック
“話題沸騰中のビルケンシュトック完璧カタログ”。“4〜5年前のグランジスタイルで「靴下+サンダル」というブームを起こしたビルケンシュトック”という触れ込み。グランジでビルケンシュトックが注目されたということは、全く知りませんでした。そして、“裏原系っぽく決めるならやっぱりパサディナ”だそうで。パサディナも藤原ヒロシさんやNIGOさんら、裏原宿の重要人物が当時着用していたのかもしれません。
ビルケンシュトックのラインナップは今とあまり変わりがなさそうです。
“靴下はきでスニーカーの様にいろんなスタイルを試そう!”。ビルケンシュトックのサンダルにタイダイの靴下というコーディネートは当時よく見た記憶があります。
セダークレストが“ポストアイリッシュセッター最有力候補”
“ストリート最強のフットギアレッドウィングアイリッシュセッター全公開”。
上述の黒のアイリッシュセッターは偽物が出回っていたようです。
“魅力は白ソール“ポストアイリッシュセッター”を探せ!”ということで、レッドウィング以外のアイリッシュセッタータイプのラインナップ。
セダークレストが“ポストアイリッシュセッター最有力候補”だそうです…。確か当時、実家の近所にあった靴のヒラキ(今も激安シューズショップとして人気ですね)で、セダークレストのワラビータイプのシューズを買った記憶があります。安かったので。
“キレイめが基本!ビットシューズのストリート活用法”。
冒頭はビットモカシンの本家、グッチの解説。
ワラビー同様、様々なブランドがビットモカシンを出していたようです。
“タテオチのヴィンテージジーンズには派手なビットをコーディネートする”という、前衛的な提案。
特集の最後はショップ紹介。
おまけ。ソニーのMDのウォークマン広告。当時、本当にお世話になりました。ウォークマン本体よりも、電池を見てめちゃくちゃ懐かしくなりました。