山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

『AKIRA』が世界のファッションシーンで熱狂的に支持される理由。

目次

 

高騰するアニメTの中でも圧倒的高値の『AKIRA』

今年の1月に執筆した、最近の古着アニメTシャツ人気をご紹介する記事。

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現在も古着屋やメルカリ、ヤフオクなどの二次流通市場で「新世紀エヴァンゲリオン」や「攻殻機動隊」など、名だたる名作アニメのTシャツが数万円から数十万円といった高値で取引されています。

その中でも圧倒的な人気を誇り、高値となっているのが『AKIRA』のTシャツです。

アニメTシャツは日本よりも海外のほうが人気が高いと言われていますが、アメリカのネットオークションサイト、イーベイでは1990年代の『AKIRA』Tシャツが33万円超で落札されています。

Vintage 1993 AKIRA T-shirt, Tetsuo Green All-over print tee, XL, Rare | eBay

メルカリでは、原稿執筆時点で533,000円という価格が付けられている出品物もあります。

https://jp.mercari.com/item/m45290488505

楽天市場でも、30万円以上という価格が付けられた『AKIRA』Tシャツが販売されています。

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現在、これだけの高価格で取引されている『AKIRA』のTシャツの多くは、元々は数千円で売られていたもの。

以前の“ファッションアーカイブ”でもご紹介しましたが、1996年の「Boon」には『AKIRA』と「攻殻機動隊」のTシャツを2,900円で販売している広告が掲載されています。

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『AKIRA』が生まれたのは1980年代の日本

『AKIRA』の概要について、ウィキペディアから引用します。

『AKIRA』(アキラ)は、大友克洋による日本の漫画。1982年から1990年にかけて講談社の漫画雑誌『週刊ヤングマガジン』にて連載され、1988年には大友自身が監督してアニメ映画化された
第三次世界大戦後の日本を舞台に、超能力者を巡って軍と反政府勢力、そして不良少年たちが巻き起こす騒乱とその後の崩壊した世界を描いたSF漫画。可視化できない超能力を絵で表現し、近未来の退廃と崩壊を描いたSF作品として高い評価を獲得した。その反響は海外にもおよび、世界中に熱狂的なファンを持つようになった。

日本漫画史の中で欠かすことのできない1980年代を代表する漫画とされ、SFのジャンルだけでなく、漫画の分野全体に影響を及ぼした。1988年に大友自身の手により劇場アニメが制作されると、アニメ業界にも大きなインパクトを与えた。また漫画やアニメだけでなく、アートやファッションを含むサブカルチャーにも多大な影響を与えたと言われる。

ja.wikipedia.org

ここで注目しておきたいのが時代です。

『AKIRA』の漫画が連載されていたのが、1982年から1990年

そして今回の記事の主役となる劇場版『AKIRA』が公開されたのが1988年です。

後で詳しくご紹介しますが、『AKIRA』が生まれたのは1980年代の日本だったことは、今も絶大な人気を誇る大きな要因になります。

 

クリエイターから絶大な支持を集める『AKIRA』

アニメ好きや映画好きだけではなく、ファッションや音楽などのクリエイターから絶大な支持を集めているのも、『AKIRA』の特徴です。

アンダーカバーのデザイナー、高橋盾のアトリエの本棚には『AKIRA』の単行本が置かれています。

また、カニエ・ウェストは『AKIRA』が「俺のクリエイティビティにもっとも影響を与えている」と名言しています。

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「Stronger」のMVは『AKIRA』の影響を強く受けて製作されていると言われています。

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『AKIRA』はコムデギャルソンともコラボレーションをしています。

コムデギャルソンの2013年の顧客向けのDMには、『AKIRA』をはじめとした大友克洋のイラストが用いられています。

https://www.pinterest.jp/pin/875105771322044208/

https://www.pinterest.jp/pin/521010250656735402/

https://www.pinterest.jp/pin/14707136278172984/

コムデギャルソンのDMの製作には、デザイナーである川久保玲が関わっています。

ちょっと大袈裟かもしれませんが、『AKIRA』のヴィジュアル性の高さは川久保玲も認めた名作と言えるでしょう。

 

『AKIRA』Tシャツ人気の起爆剤

『AKIRA』は漫画版、劇場版共々不朽の名作ですが、『AKIRA』がファッションシーンで人気を集めるようになったのは最近のことです。

ファッションシーンでの『AKIRA』人気の最大の起爆剤となったのが、アメリカのストリートブランド、シュプリームの2017年秋冬シーズンに展開されたコラボレーションです。

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シュプリーム×『AKIRA』コラボアイテムは、インパクトのある漫画のシーンがプリントされた、非常にキャッチーなデザインが特徴。

https://www.pinterest.jp/pin/87820261470186584/

https://www.pinterest.jp/pin/415105290654794476/

https://www.pinterest.jp/pin/775604367097599040/

現在も二次流通では高値で取引されています。

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また、ファッションアイコンとしても注目度が高い、ラッパーのトラヴィス・スコットがヴィンテージの『AKIRA』Tシャツ着用したことでその人気は決定的となりました。

https://www.pinterest.jp/pin/239746380151796722/

先述の通り、『AKIRA』以外にも「新世紀エヴァンゲリオン」や「攻殻機動隊」、「千と千尋の神隠し」や「もののけ姫」をはじめとするスタジオジブリ作品など、アニメTシャツは軒並み人気となっています。

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デザイン性が高いから高値になる『AKIRA』Tシャツ

こういった理由から、『AKIRA』Tシャツはファッションアイテムとしての人気が高まりました。

ですが、その中でも『AKIRA』Tシャツの人気がひときわ高い理由とは、何なのでしょうか。

アニメTシャツも多く扱う原宿の古着屋、What’z up中村友一店長さんはインタビューで『AKIRA』Tシャツに高値が付く理由について、このように語っています。(強調引用者以下同)

価格が高騰しているものはヴィンテージTシャツの中でもデザイン性の高いもの、そしてデッドストック(在庫なし)のアイテムです。アニメTシャツで言えば『AKIRA』のTシャツは50万円近い値が付けられていますが、それもやはりデザイン性の高さゆえです。

friday.kodansha.co.jp

『AKIRA』Tシャツはデザイン性が高いから高値である、ということです。

確かに、『AKIRA』の漫画や映画のヴィジュアルの格好良さは、作品が生まれてから30年以上経った今でも色褪せていません。そのことは、『AKIRA』と言えば、で知られるこのヴィジュアルからも如実に伝わってきます。

https://www.pinterest.jp/pin/122793527332907327/

『AKIRA』のヴィジュアル表現の革新性、大友克洋の作家性については、ウィキペディアに詳しい記述がありますので、今回の記事では1980年代当時の経済的な背景から、『AKIRA』について紐解いてみようと思います。

ja.wikipedia.org

 

破格の予算が投じられた劇場版『AKIRA』

そのキーとなるのが、東京在住のアメリカ人ライター、マット・アルトによる書籍「新ジャポニズム産業史 1945-2020」です。

カラオケやファミコン、ウォークマン、サンリオなど、日本が生み出したカルチャーを丁寧に分析、紹介した内容の中で、劇場版『AKIRA』についても多くのページが割かれています。

まず、劇場版『AKIRA』製作に投じられた予算が破格だったということ。

大友自身が監督を務めた『AKIRA』の劇場版は、多くの意味で「アニメ新世紀宣言」の申し子だと言えるだろう。アニメ映画としては破格の予算が投じられ、ヤングアダルトをターゲットに設定したという点で、まさにニューウェーブの到来だった。『ガンダム』大ヒットの驚きが覚めやらぬ中ということもあり、バンダイも出資に参加した。

ウィキペディアでは、劇場版『AKIRA』の総製作費は10億円となっています。

総製作費10億円、製作スタッフ1,300人と破格の労力がつぎ込まれ、70mmプリント・セル画15万枚・色彩設定327色という日本のセル画のアニメーション映画としては最高峰の作品。漫画において驚異的なデッサン力でリアル志向の画を追求してきた大友が、自身の画をアニメでも再現することを求め、動きもとことんリアルさにこだわって制作した。大友のハイレベルなデッサンの画を緻密に動かすために集められた作画メンバーは、作画監督のなかむらたかし、作監補の森本晃司、原画に金田伊功、福島敦子、井上俊之、沖浦啓之、木上益治など、その後の日本アニメを支えることになる超一流のスタッフばかりだった。

ja.wikipedia.org

ですが最近、「当初の予算は5億円でしたが、最終的に7億円になりました」と、当時の製作関係者が語っていたので、おそらく「約7億円」というのが正確な金額でしょう。とはいえ、多大な予算が注ぎ込まれ、トップクリエイター達によって製作された作品であることは間違いありません。

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劇場版『AKIRA』の魅力は「スクリーン上に爆発するエネルギー」

漫画版『AKIRA』は全部で6巻、120話。

劇場版『AKIRA』は124分。

僕は劇場版→漫画版という順番で鑑賞しました。

劇場版では省かれているエピソードが多数あります。

なので、当たり前の話ですが、僕としては内容が充実している漫画版の方が、「お話として楽しめた」という感覚がありました。

それに対し、劇場版『AKIRA』の魅力は圧倒的にクールかつ衝撃的な映像です。「新ジャポニズム産業史 1945-2020」では、「スクリーン上に爆発するエネルギー」と表現されています。

『AKIRA』はストーリーで魅せる映画ではない。何千ページもの漫画の内容を詰め込んだうえ、英語版では翻訳が冴えなかったことも相俟って、外国の聴衆には誤って伝わった部分も少なからずあった。 では何が世界中のファンを夢中にさせたのか。それは端的 に言ってスクリーン上に爆発するエネルギーだ。 暴走族。 テロ。 SWAT部隊。SOL (軌道レーザー衛星兵器)。合成ドラッグ。 祭囃子や太鼓の音が取り込まれるなど、音楽も独特である。これはアニメの形をとったロックンロールそのものだ。「音楽について書くのは建築について踊るようなものだ」とよく言われるが、映画について書くのも建築について踊るようなものだ。 これは、『AKIRA』にとくによく当てはまる。というのも『AKIRA』ではネオ東京という都会 が人間の登場人物に劣らず重要な役割を果たすからである。ネオ東京のおどろくほど緻密な描写は、アメリカの若者に妥協を許さない日本の職人気質を見せつけた。日本の職人魂は伝統工芸だけでなく、アニメのセル画にも存分に発揮されている。

このエネルギーを感じていただくためには是非とも劇場版『AKIRA』全編を観ていただきたいのですが、YouTubeにアップされている動画でも、初見の方にとっては衝撃的な映像ではないかと思います。

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『機動戦士ガンダム』のビジネスモデル

このような劇場版『AKIRA』がクールで衝撃的な作品に仕上がったのは、もちろん原作である漫画版の世界観や、大友克洋の作画力、そして先述の通り劇場版製作に携わった一流のスタッフなど、様々な要因がありますが、その他にも特別な理由がありました。

それは、劇場版『AKIRA』のビジネスモデルが従来のアニメ映画のそれとは一線を画す、革新的なものだった、という理由です。

劇場版『AKIRA』が公開されたのと同じ、1988年に公開されたのが、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』です。ちなみに、これまで何度見返したかわからないくらい、僕にとっても非常に思い入れのある作品です。

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『機動戦士ガンダム』は1979年にテレビアニメとして放映が開始されます。

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「新ジャポニズム産業史 1945-2020」では、『機動戦士ガンダム』についても深く論ぜられています。

『機動戦士ガンダム』の放送が始まった1970年代のアニメの主なターゲットは小学生でした。

テレビアニメというものは、70年代の大方のテレビアニメがそうだったように、一つの明確 な目的のために制作される。それは、子供向けにロボット玩具を売ることだ。「アニメは玩具のCM」などと揶揄される所以である。『機動戦士ガンダム』のスポンサーも玩具メーカーであり、 原作・監督の富野由悠季は小学生向けのアニメにすることをスポンサーから期待されていた。

それまでのテレビアニメは子供でもわかりやすい勧善懲悪モノが主でしたが、『機動戦士ガンダム』の物語は「主人公が倒すべき敵にも正義がある」という、大人の鑑賞にも耐えうる重厚感のあるものでした。

しかし彼が作ったのは暗く、血なまぐさく、思春期の不安が渦巻くような作品であり、エスタブリッシュメントや権威だけでなくすべてのものに挑戦的に反抗し、戦いに次ぐ戦いの描写の中で勝者と目された者までが死んでいくドラマだった。

『機動戦士ガンダム』はしっかりした構想を持つ作品であり、描画もみごとだしデザインも秀逸だ。とはいえ、全然子供向けではない。 第二次世界大戦の隠喩、複雑な政治的駆け引き、戦いの嫌いなオタクのヒーロー・・・・・・。ロボット同士のはなばなしい戦いを期待していた子供たちは拒絶反応を示し、大挙してチャンネルを換えてしまう。最悪なのは、スポンサーである玩具メーカー が用意したガンダムの玩具も買ってくれなかったことである。当時はグッズの売れ行きがテレビ アニメの成否を測る唯一の物差しだった。そこでスポンサーはどうしたか。なんと、途中で打ち切ったのである。

視聴率は振るわず、小学生向けの玩具も売れず。

『機動戦士ガンダム』は全52話を予定したいたにも関わらず、43話で打ち切りとなりました。

ですが重厚感のある内容が、当初のターゲットではなかったティーンエイジャーの人気を獲得していたことで、打ち切りが決定した後から徐々に人気は高まります。

再放送を望むファンレターや署名が数多く寄せられ、スポンサーは再放送を決定。

そして、本放送が終了していから半年後に発売されたプラモデル、通称「ガンプラ」は大ブームとなり、今もガンダムビジネスを支える屋台骨となっています。

https://www.pinterest.jp/pin/1110770695577214046/

 

革新的だった劇場版『AKIRA』のビジネスモデル

ですが、『AKIRA』は『機動戦士ガンダム』のような「玩具で稼ぐ」従来のアニメ映画とは全く違うビジネスモデルのもとで製作されました。

とは言え『AKIRA』のビジネスモデルは、従来のアニメ映画の「玩具で稼ぐ」とはまったくちがっていた。もう一つの日本のイノベーションであるビデオカセットレコーダー(VCR)の普及により、ビデオ販売が見込めたのである。『ガンダム』の時点ではまだVCRは揺籃期にあったが、80年代半ばには世界中の家庭に普及していた。ビデオはまったく新しいコンテンツ提供手段だ。これがあれば、制作者はテレビ局を完全に飛ばして思春期の新しいファン層に直接アニメを届けることができる。 劇場公開後に販売することも、直接ビデオ化することも可能だ。VCRの出現によって、アニメはもはやお菓子や玩具の販促媒体ではなく、それ自体が製品として販売されるようになった。

玩具ではなく、ビデオを売ることで儲けるというビジネスモデルです。

そして、それを可能にしたのは1980年代に家庭用ビデオテープレコーダーが普及したからでした。

 

日本の経済成長と「ビデオ戦争」

1956年に、米国のアンペックス社が世界で最初のビデオテープレコーダーを発表します。

その頃から日本メーカー各社はそれぞれビデオテープレコーダーの研究開発を行っていましたが、1960年代に入るとソニー、松下電器産業、日本ビクター、東芝などの日本メーカーが相次いで家庭用ビデオテープレコーダーを発表。

そして1975年にソニーがベータマックス(ベータ)方式のビデオテープレコーダーを発売

その1年後の1976年に日本ビクターがVHS方式のビデオテープレコーダーを発売します。

松下電器産業や東芝もそれぞれ独自規格のビデオテープレコーダーを開発、発売しますが、小型、低価格化、操作で優れていたベータマックス方式とVHS方式以外は次第に市場から淘汰されていきました。 

ソニーのベータ方式には、三洋電機、東芝などが加わり、ビクターのVHS方式には松下、日立製作所、三菱電機、シャープなどが加わり、両陣営による「ビデオ戦争」と言われる激しい競争が起こります。

参考:

koueki.jiii.or.jp

これまでの“ファッションアーカイブ”で何度も触れてきた通り、1970年代から80年代にかけての日本経済は、それまで世界経済圧倒的な地位を誇っていたアメリカに追いつけ、追い越せの右肩上がりで、企業の研究開発にも多大な予算と情熱が注がれていました。

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こちらは耐久消費財の普及率を表したグラフです。1980年代中盤から後半にかけてビデオテープレコーダーの普及が急速に進んだことがよくわかります。当時は消費者の購買意欲も非常に高かったので、これだけ極端な右肩上がりの普及が実現しました。

https://koueki.jiii.or.jp/innovation100/innovation_detail.php?eid=00056&age=stable-growth&page=keii

ベータ陣営の旗頭であるソニーがVHS方式のビデオテープレコーダーを販売し、VHS陣営の勝利で「ビデオ戦争」が終結したのが1988年

そう、奇しくも劇場版『AKIRA』が公開されたのと同年でした。

 

『AKIRA』アメリカへ

そして、劇場版『AKIRA』は1989年にアメリカでも公開されます。

『AKIRA』は1988年に日本で公開され、翌89年のクリスマスにアメリカのアートシアター系で小規模に公開された。日本でこれまでに制作されたアニメ映画の中で最大規模の予算を投じた作品だが、当時のアメリカでは、ディズニー以外のアニメ映画にはアートシアターでの公開以上のことは望めなかったのである。 いくら予算をかけ芸術的に 制作されていようと所詮アニメは子供のもの、という見方がアメリカではまだまだ主流だった。

1970年代、日本のアニメが「小学生向けの玩具CM」だったのと同じように、1980年代のアメリカのアニメも子供向けにしかつくられていませんでした。

『AKIRA』が1989年にアメリカのアートシアターで公開されたとき、『AKIRA』といくらかでも比べられるような作品はアメリカには存在していなかった。1980年代のアメリ カのアニメはあくまでお子様向けだったのである。

アメリカでは連邦通信委員会(FCC)が60年代後半から子供向けテレビ業界の監督を開始し、あらゆる商業的な要素を子供向け番組から締め出している。しかし玩具業界から圧力をかけられたレーガン大統領が1982年に規制緩和の方針を打ち出し、FCCはそれまでの規則を撤廃する。こうしてアメリカの玩具メーカーがテレビ番組を制作し玩具を売ることが可能になった。ただしこの変更があまりに急だったため、アメリカの玩具メーカーにはコンテンツの用意がなかった。

 

『AKIRA』がクールで衝撃的な作品になった理由

「新ジャポニズム産業史 1945-2020」の著者は、1990年に自身が初めて『AKIRA』を観たときに、「瞬間的に電気が走るような衝撃を受けた」と記しています。

僕は15歳のとき、ワシントンの古びた映画館で初めて 『AKIRA』を観た。1990年のことである。瞬間的に電気が走るような衝撃を受けたことを覚えている。目にしているのはアニメなのに、実写以上にリアルだと感じられた。まばゆい高層建築や路面店の中でいったい何が起きているのか、思わず知りたくなる。背景は細部にいたるまで緻密に描かれており、そこで繰り広げられているドラマを暗示していた。路地に積み上げられたゴミの山にまで細心の注意が払われている。また登場人物は、従来のアニメや欧米のマンガでは適当に抽象化された容貌だったの に対し、あきらかに日本人とわかる顔立ちだ。 黒い髪に切れ長の目、それに皮膚の色。 これらすべてが、ドキュメンタリーを上回る迫真性をもたらしていた。

『AKIRA』がクールで衝撃的な作品となった理由には、そのビジネスモデルが深く関与しています。

日本ではこのように玩具メーカー、アニメ制作会社、テレビ局などが協力し、最初のコンテン ツアニメ、映画、ゲーム、玩具など他のさまざまなメディアに展開して収益性の高いコンテンツに成長させることを「メディアミックス」と呼ぶ。一方アメリカでは、子供向け玩具を売るための手段としてしかアニメを見ていない。だが『ガンダム』は、玩具を買わない年齢のティーンエイジャーやヤングアダルトにもアニメがアピールすることを証明した。 そして『AKIRA』 ではまったく新しいアプローチが採用され、もはやアニメは商品を売るためのツールではなくなり、アニメそのものが商品となる。『ガンダム』と比べると、『AKIRA』 で開発された商品はごく少ない。監督本人からファンにいたるまで、この作品のポイントはゆたかな映像の世界の中で自分を発見することにあると理解していた。

従来のアニメ作品は、玩具を売ることで儲けを生み出していました。

『機動戦士ガンダム』で、ザクやドム、ズゴックやゲルググなど数多くの敵側のメカが登場するのは、玩具を数多く販売するためでした。

ですが上述したように、ビデオ販売を考慮されて製作された『AKIRA』はアニメ作品そのものが商品だったのです。

なので、それまでの作品に比べより映像や音楽により予算と熱量が注ぎ込まれたと思われます。

こういう背景があった為、今もTシャツのモチーフとして人気を集めるような「格好良いシーン」が数多く生まれたのでしょう。

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ビデオが広げたアメリカでの『AKIRA』への熱狂

そして、『AKIRA』の衝撃を拡散する役割を担ったのがビデオテープレコーダーでした。

すでに述べたように『AKIRA』はアメリカではアートシアター系の映画館でごく小規模に 公開されただけなので、どう贔屓目で見てもほんの一握りの熱狂的なファンにアピールしたとしか言えない。 『AKIRA』が海外の若者の心を真に捉えたのは、ビデオが発売されてからである。ちょうど80年代前半に熱心なファンの間で庵野の伝説のアニメ (DAICON4のオープニングアニメ)がコピーされていったように、『AKIRA』のビデオは若者の間で貸し借りされたり クチコミで話題になったりしてファン層を広げていった。最先端のエンターテイメントはもはや ハリウッドの独壇場ではない、という興味深い予兆が現れたのである。かつてウォークマンは、いつでもどこでも自分の好きな音楽を聴くという選択肢をユーザーに与えた。まさにそれと同じように、ビデオのちにはストリーミングメディアは、いつでもどこでも自分の好きな映像作品を観るという選択肢をユーザーに与える。大勢の若者が輸入アニメをどしどし観るようになった。かつてない量の日本のファンタジーが玩具、漫画、ビデオの形でアメリカ市場でかんたんに手に入るようになると、両国のポップカルチャーのテイストは混ぜ合わされ、融合し始める。それも、多くは予期していなかった形で。

ビデオテープレコーダーを通じて広がった『AKIRA』への熱狂は、10万本を超えるビデオソフトの売り上げという結果を生み出します。

アメリカでの公式なビデオソフトも合計10万本を超えるヒットとなり、『AKIRA』は名実ともにジャパニメーションの金字塔となった。1991年には規模を拡大して全米で公開された。

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ちなみに、上掲の文章で「庵野の伝説のアニメ (DAICON4のオープニングアニメ)」と紹介されているのがこちら。

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もちろん、「庵野」とは後に『新世紀エヴァンゲリオン』を生み出し、1990年代以降の日本アニメの旗手となる庵野秀明のこと。『新世紀エヴァンゲリオン』も僕にとって非常に思い入れのある作品ですので、いつか“ファッションアーカイブ”でファッションと絡めてご紹介できたらと思っています。

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戦後日本の経済が生み出した黒船『AKIRA』

子供向けのアニメ作品しかなかったアメリカに、日本から突如襲来した『AKIRA』

当時『AKIRA』を目にしたアメリカ人にとって、相当な衝撃的な作品になったであろうことは、容易く想像できます。

『AKIRA』に多大な影響を受けていることを公言しているカニエ・ウェストは1977年生まれなので、感受性の強いティーンエイジャーの頃に『AKIRA』を観たのかもしれません。

そして、カニエ・ウェストと同じように、ティーンエイジャーの頃に『AKIRA』を観て強く影響を受け、現在は40代で高い発信力を持ったクリエイター達は、世界に数多く存在しているでしょう。

ですが、もし「ビデオ戦争」によるビデオテープレコーダーの普及がなかったら。

『AKIRA』はこれほどまでに影響力を与えた作品になっていなかったかもしれません。

そして、「ビデオ戦争」のような状況が生まれたのも、1970年代から80年代にかけての日本経済の成長があったからこそです。

そう考えると、『AKIRA』は戦後の日本の経済が生み出した「黒船」だったと言えるでしょう。