山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

90年代のマルタン・マルジェラ。「オシャレ」や「革新性」を拒否した創造性の本質。

目次:

 

好評のシュプリーム×マルジェラ

先日、人気ストリートブランドであるシュプリームと、MM6メゾンマルジェラのコラボレーションのアイテムが公開されました。

hypebeast.com

www.fashionsnap.com

マルタン・マルジェラらしいデザインの商品が多く、世間的には概ね好評。

僕のツイッターのタイムラインでもかなり話題になっていました。

 

著名人が語るマルタン・マルジェラの影響力

マルタン・マルジェラを題材とした映画、『マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”』が2021年に公開されました。

www.youtube.com

現在はAmazonプライムビデオで観られるようになっています。

この映画の監督のインタビュー。こちらも非常に良い内容です。

numero.jp

この映画について、ユナイテッド・アローズの栗野宏文さんとデザイナーの坂部三樹郎さんが対談した記事で、マルタン・マルジェラのファッション界に与えた影響の大きさが語られています。(強調引用者以下同)

www.fashionsnap.com

いまの時代にデザイナーをやっていても、「ほとんどはマルタン・マルジェラの影響なんじゃないか」と思ってしまいます。しかもその影響は1990年代の時よりも、現代の方がより色濃い気すらする

少しおかしな例え話だけど、「数字の1〜9をインドで発見しました!」みたいな話をよく聞くじゃないですか。それでいうとマルタンは「0」みたいな人なんですよ。数字の1〜9が世の中にあるなら、0の存在は無視できない。0のバリエーションを入れない限りは、1もスタートしない。

その残り香の強さと言ったら、「マルタン・マルジェラが入っていないクリエイションはないんじゃないか」と思ってしまうくらい

みんなが「ブランド」をやっている地層の最下層には、マルタンがやっていた「ものづくりの本質」があって、マルタンが作り上げた本質という土壌の上で僕らは「ブランド」をやっている。

服作り、あるいはキャスティングやショーでの演出も本質の核を突いている。どんどんディープなところを突くもんだから、メゾン・マルタン・マルジェラというブランドは、真実だらけの「本質の塊」みたいになったんだろうね。

また、ストリートスナップ雑誌『STREET』『FRUiTS』『TUNE』などを手掛けた青木正一さんは、同映画についてのインタビューで、マルタン・マルジェラについてこう話しています。

全く新しい世界観、美意識をファッションの世界にもたらした。ファッションのみならず、その周辺のクリエイションにも大きな影響を与えた。ファッション写真、店舗、ショーの形式、スタイリング、等々。今もその影響下にある。

ヴィヴィアン・ウエストウッドがパンクファッションというカテゴリーを作り出したように、川久保玲がCOMME DES GARÇONSという世界観を登場させたように、ココ・シャネルが新しい女性服の道を切り拓いたように、マルタン・マルジェラは独特の世界観を作り出した。その世界観の断片として服が存在する。

or-not.com

皆さん、これでもかというくらいの大絶賛です。

実は僕も10代の頃マルタン・マルジェラに憧れまくったひとりでした。

当時の僕に非常に大きな影響を与えたのが、『STUDIO VOICE 1998年 7月号です。

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現時点ではAmazonで古本も購入可能。一時は相場が2万円オーバーとかなり高騰していましたが、今は比較的落ち着いているようです。

コムデギャルソンの川久保玲、フセイン・チャラヤンに次いで僕に影響を与えたのが、マルタン・マルジェラでした。

この3人がいたから、僕はファッションデザイナーを志しました。

とはいえ、ファッションデザイナーの夢は諦め、今はこうやってブログを書いているのですが笑

 

デザインしていないようでデザインしている

18歳の僕に強いインパクトを与えた『STUDIO VOICE 1998年 7月号

まず、この表紙に痺れました

広い広い余白の中、新聞紙の「マルタン・マルジェラ」の文字をコラージュしたデザイン。デザインしていないようで、めちゃくちゃデザインしている。44歳になって改めて見ると、ちょっとスカしているかな、と思わなくもないんですが笑、10代の僕にはこれ以上ないほどクールなデザインでした。

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マルタン・マルジェラ特集の冒頭の文章。

“マルタン・マルジェラのクリエイションはロマンティックである。服のテイストがロマンティックなのではなく、信念とその結果が人に与えるものとの関係がロマンティックなのだ、それはモードとかアートとかいう領域を超えて、クリエイションに関わるすべての人々にその可能性を示唆し、かつ勇気と自尊心を思い出させるものなのではないだろうか?故に、マルジェラの創造物は意外性に充ちていつつも、王道であり核心なのである

上掲の対談で栗野宏文さんたちが語っていたのと、非常によく似た内容です。

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マルタン・マルジェラのアトリエの郵便受けと思われる写真。

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当時の最新コレクションだった、1998年秋冬コレクション。

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小説家、シドニー・ピカソによる1998年秋冬コレクションの解説。左ページは“袖が脇にずらされたビンテージのアーミーシャツ”。

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栗野宏文さん、ファッション評論家の平川武治さん、資生堂『花椿』などを手掛けたファッションディレクターの平山景子さん、テレビ番組『ファッション通信』プロデューサーで後にWWDジャパン編集長となる山室一幸さんの4人による、マルジェラ評。

栗野宏文さんは以下のように記しています。

”単なる服のデザインではなく時にはその構造それ自体を徹底して追求したり、社会との関係性といった視点で服を開いていく行為、それ等の全てに、服を創ることそのものと、それを着るヒトの存在へのとてつもなく深い愛を感じさせてくれ、勇気を与えてくれる、それが僕にとってのマルタン・マルジェラです”

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写真家、マーク・ボスウィックによる1998年秋冬コレクションのビジュアル。

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写真家、ロナルド・ストープスがアントワープで撮影したビジュアル。

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メゾンマルタン・マルジェラへの66の質問とその回答

”66 Q&A to Maison Martin Margiela”

前述の栗野宏文さん他、4人の日本人による、メゾンマルタン・マルジェラへの66の質問

答えが空欄となっているものもそのまま掲載しているところをはじめ、かなり貴重な内容だと思うので、あえて強調などはせず、そのまま全文書き起こしします。

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●質問者:栗野宏文 (ユナイテッドアローズ)

Q01 94年9月の全世界同時開催のプレゼンテーションの時、貴方は曲をモデルたちに自選させました。その理由は何ですか?

A プレゼンテーションは、パリ(4カ所)、ロンドン、NY、東京、ミラノ、ボンで、それぞれ同じ日の同じ(現地) 時間に行われた・・・つまりその土地のモデルの好みを反映させることで文化的な多様性を出したかったのです。

Q02 その時彼女たちがアットランダムに選んだ曲の中で、新しい意見か意外な驚きは ありましたか?

A それなりに(some)。

Q03 以前、パリの体育館で転写プリントの服を中心とした、その後のファッション界 に多大な影響を与えたコレクション (編註: 96春/夏)をやったとき、チア・ガール/ チア・リーダーたちのライヴを一種のエフェクトとして使用しましたが、あの発想はどこから思いついたのでしょうか?

A “ライヴの効果”が必要だったため。

Q04 Selle Wasramで行ったショウ(編註: 96-97秋/冬)でモデルの後ろにライトを持った従者がついたSmile/Skin のショウも独特でしたが、あの時、ミーナの曲を使うことはどうして考えついたのですか? あのショウではイタリア女性のエネルギ ーというテーマも隠されていたのでしょうか?

A 一つ一つの仕事について解釈するよりも、全体的な文脈で捉えてほしいと思っています。

Q05 ミーナとミルヴァではどちらが好きですか?

A

Q06 ミルヴァの「クルト・ワイルを歌う」は好きですか?

A

Q07 ウテ・レンパーの「クルト・ワイルを歌う」は好きですか?

A

Q08 ブレヒトとクルト・ワイルの組み合わせは好きですか?

A

Q09 昨年の“向日葵”のプレゼンテイションの時、典型的な(ステレオタイプ化され た)映画音楽かムード・ミュージックが効果的でしたが、あれを選んだ意図は?

A 雰囲気(mood)

Q10 ロッテルダム“カビ研究”とのコラボレイションは、興味深く見させて頂きまし た。もし、あのインスタレーションに音をつけるならどんな ましたか?

A 何も (none)

Q11 97年3月のパリ・コレで3カ所、3つの時間に行ったショウも素晴らしかったん ですが、あの時あのバンド(グループ)を選んだ理由は?

A 雰囲気(mood)

Q12 同じコレクションであのバンドの選曲は全て彼らにまかせたのですか?

A ほとんどの部分は・・・そうです。私たちの好みは彼らのレパートリーに表現されています。

Q13 同じコレクションであのバンドが街へ出ていった時、観客もついて行ってしまいした。それは予想していましたか?

A いいえ。ただとっても暖かい午後でしたから。

Q14 ロックのレコード(CD)は今でも買いますか? 最も最近買ったのは?

Q15 繰り返し聞いているフェイバリットは何ですか?

Q16 ロック・バンドのライヴは行きますか?

Q11 ご自分でバンドをやったことか、やろうとしたことはありますか?

Q18 クラシックで好きな作曲家や曲はありますか?

Q19 エルメスのショウでの選曲も貴方のアイデアですか?

A エルメスのプレゼンテーションが行われたあの夜に作られた雰囲気は、 モデルやサウンドトラック、その他全ての要素を含め、自然に生まれたものだと思います!! 私たちがコンパイルしたサントラについては、 年齢も経歴も態度も異なる様々な女性の声を集めることで、それが同じスピリットをもったもう一つの表現になれば、と望みました。

Q20

貴方が実際に楽器をやるかやらないか知りませんが、もし何かひとつ楽器をやるとしたら、何をやりますか? あるいは既にやっていますか?

●質問者:篠崎真紀 (イラストレーター)

Q21 デザインをする際にスタイル画を描きますか?

A 描いて表現するのが自分への挑戦ではないでしょうか。洋服の1枚1枚、素材の一 つ一つ、1日1日にしても。

Q22 それは人間の形ですか?

Q23 (デザインとは関係ない) 絵を描くことがありますか?

Q24 良く使う画材を教えて下さい。

Q25 好きな画家を教えて下さい。

Q26 マルジェラの服を自身でも何か常に身につけていますか? そのアイテムは?

Q27 貴方の服を着た女性をセクシーだと思いますか?

Q28 (セクシーが不適当なら) 貴方の服を着た女性にふさわしい形容詞は何だと思い

ますか?

A 私たちの考えでは“セクシー”とは個人的な知識に基づく精神的な領域のことなのです。

Q29 古今東西の著名人でマルジェラの服を着せてみたい人がいたら挙げて下さい。 (俳優、文化人、ミュージシャン等)

A どんな人、誰が着るかは問題ではありません。私たちの服を着ることができる人 が、自分のワードローブと組み合わせたいと思うことが重要なのです。

Q30 ファッション史の中で、貴方が最もエポックな発明と思うものは何ですか?(たとえばGパン、ネクタイ、肩パッド等)

A 衣類(clothing)

Q31 うちの母 (60代) も貴方の服を愛用していますが、貴方のお母様もマルジェラを

着ていますか?(ご健在じゃなかったらごめんなさい)

Q32 貴方の服の下にはどんな下着を着るのが望ましいと思いますか?

Q33 自宅に花を飾っていますか? またその種類は?

Q34 プライベートでパソコンを使っていますか?

Q35 自身のブランド以外のもので、定番にしている「身につけるもの」があれば教え て下さい。(時計、スニーカー、メガネ等)

Q36 貴方のアトリエの白衣で働く人達を見て黒澤明の「赤ひげ」の「おしきせ」を思 い出したのですが、関係がありますか?

A ありません。(no)

Q37 (フランスではノーカットで上映している) 「愛のコリーダ」を観たことがありま すか?

Q38 貴方の服を着る女性のヘアメイクについて何か希望がありますか? (マニキュアはNG等)

A それはとても個人的な好みと女性自身のエナジーによるものではないでしょうか。

Q39 水着等の「リゾートアイテム」を作る予定は?(ハワイに着ていけるようなスタイル)

A 判りません!

Q40 日本のその他のアイテムでインスパイアされたものがあれば教えて下さい。

●質問者:平川武治 ( モードクリニュシュエ)

Q40 すでに「近代」という時代の産物であるストックマン社製のボディを使って、解体し、再構築した、97春/夏とその応用と発長編であった97-98秋/冬。このシーズンの発想はやはり「近代」という時代の解体、再構築という、時代観からの発想だったのでしょうか?

A “近代への視点”というよりも、今日私たちを取り巻き、刺激するものに対するリアクションといえます。私たちが如何に人々に理解されるかは大変興味深く、私たちの仕事にも反映するのです。

Q42 そして、98S/Sではモードにおけるある種の新しさを知的に発表したと思って います。97年の夏にロンドンのRIBAで行われた 『PORTABLE ARCHITECTURE』という展覧会によって今建築界での一番新しいコンセプトがあなたのコレクションで は多分「旅立ち」というテーマになって平面構成によって見慣れない新しい洋服が創作発表された。ここで僕は『ラッピング』というキーワードによって建築とモードがお互いの領域を新たに模索し始めたと感じたのですが。どう思われるか? そしてこのコンセプトが21世紀のモードへ影響を持つと思うのですが、いかかでしょうか?

A この質問に正当な回答をするために必要な客観性を楽しむことはできませんが・・・。 多くの個人のクリエイティヴなプロセスが、あらゆる時点でしばしば全く同じ、あるい は似通った結論に行き着くことは、真実として私たちを魅了します。ファッションと同 様に、音楽、演劇、ダンス、建築、デザインなど各々に関わる人々の間で、そういった ことが何の協議もなく起こるということはすばらしいことだとも思います。これはグロ ーバルな規模での文化的な刺激によるものではないでしょうか。

Q43 エルメスでのあなたのコレクションは『時間は穏やかにゆったりとした流れるよ うな時間』というコンセプトを読んだのですがいかかでしょうか? 「近代——現代」 という時代が未来に対する不安や不信と共にある種の夢の変質も含めて、また世紀末という時代性と共に、今崖っぷちに来ているという時代の読み方をするとき、「時間概念」 がゆっくりとスローに流れる時、貴方がデザインしたあのラインは分量そのものがクリ エイションだと思いました。その時もしかしたらこれからの時代の人達には洋服が持つ 役割の一つに『ヒーリング』という心を癒す機能が必要になってくるのではないかと思 ったのですがいかかでしょうか?

A その他のたくさんのものの一部としての洋服、というのはあり得るでしょう。

Q44 好きな色は? 深紅 (スカーレット)。好きな食べ物は? パンと水。好きな音楽 家は? モーツァルト。好きな作家は? ウィリアム・モーリス。好きな史上人物は? なし。好きな場所は? ロンドン。最大の喜びは? 睡眠。最大の苦痛は? 騒音。最大の恐怖は? 動物的精神。最大の願望は? 友人から忘れられること。これは、アラビアのロレンスことトマス・エドワード・ロレンスのアンケートの答えなのですがあ なたの場合はいかがですか? 同じ質問をします。

●質問者:山室一幸(INFAS)

Q45 あなたの洋服は、職人的な教育を受けた者の精神と、デザイン構造そのものを再 構築しようというする意志を感じさせます。それはグロピウス・バウハウスや川久保玲 に共通する要素です。この傾向はあなた独自のものですか、それともアントワープのデ ザイナーに共通することなんでしょうか?

A 同じ国、同じ地域、同じ街の人々が同じ様な文化的刺激を受けるのは自然なことで す。似たような要素に囲まれていることで、地域的な視点が形成され、個々人に残るこ ともあるでしょう。同じ街出身の全ての人が、全く同一の創造的表現方法を分け合うわ けではないけれども、しかし、アントワープ出身のデザイナーの何人かはクリエイティ ヴな表現方法と場所を共有しています。

私たちは、自分をファッション産業の中での統合的なレトリックの中に置くことによ 解釈から離れることにしています。私たちは、しばしばあまりにも自らの仕事と創造的提案に近づきすぎるため、他の人たちの仕事と比較したり、コントラストをつけたりることが難しいのです。 

● 質問者:阿部曜 (STUDIO VOICE)

Q46 オートクチュールの現状は別として、オートクチュールを手掛けようという気持ちはありますか?

A 技術的な手腕の維持と、職人の技能が“一点限り”の衣服を作るための手段として は、もしかしたらあり得るでしょう! しかし今ではなく、ごく近い将来かもしれないし、今日理解されているオートチュールとしてかもしれません。私たちは、引き続き“職人生産”の一環として年代物や古着を使ってリワーク/トランスフォームしたものを提案してゆきますし、私たちの世界中の顧客が入手できるような、様々な時代の服をユニークなものに仕上げていきます。しかしながらもちろん、“オートクチュール”を今日理解されてるように考えないとしたら、私たちの職人的生産方法は個々の衣服を手作業で生産する確かな技術を維持できるし、それは何世紀もの間生き続けてきたもので、今日のような洋服の大量生産工業的な手法の中では難しいことです。

Q47 誰でもリアル・クローズ(普通のワードローブという意味です)を日常である時間は着ていると思いますが、マルタン・マルジェラの服とリアル・クローズの間にあるものは何ですか?

A 着られ方と、購入した人のワードローブへの加え方です。私たちが提案する衣服は、確実に“リアル”だとみなしています。

Q48 また、24時間、身につけるすべてのもの(下着からベッド・リネンに至るまで) がマルジェラのもの、という環境を望んでいますか?

A とんでもない! 個人を取り囲むものは、特定のデザイナーとそのチームの幻影よりも、自分の趣味と個性をより反映させたものであるべきです。これは本当は言うべきではありませんが、買って着る人の個性と、デザイナー(と彼のチーム)の個性とは多くの場合“一致”はしないのが現実です。

Q49 あなたの創作は、あなたにとって“自然なこと”ですか? それとも“何かこれまでにないこと”なのでしょうか?

A それは実に時々によります。いかなる場合も、コレクションを通して表現される私 たちチームとしての嗜好と視点は、自然に感じた何かなのです。

Q50 服にかけるお金が低くならざるを得ない人でも着れるマルジェラの服を作って みたいと思いますか? (Tシャツのような、ということではなく、例えばアライアが TATIのために作ったように)

A もう少し私たちを見ていて下さい!

Q51 近々メンズラインを本格的に始めるそうですが、いわゆるメンズウェアについて 以前のユニセックスに近いラインとは別の考えもあるのですか?

A 今のところ、これまでのコレクションとは別の方法での表現を始めています。この 夏(99春/夏) マルタン・マルジェラのコレクションは、洋服と共にあるいは洋服と別 にアクセサリーと対象物による同等の“グループ”で構成されることになります。そのグループの中のナンバー10は、男性客の為の衣類のグループになります。99年の1月頃からショップに並ぶ予定です。

Q52 アントワープで学ぼうと思ったきっかけは何ですか? また、何故建築や商業デ ザインではなく服飾だったのですか?

Q53 着る人によってまるで違って見える服と、誰が着ても同じように見える服、どち らが好みですか?

A 後者です。

Q54 あなたにとって白のイメージでいちばん強いものは何ですか?

A 白はチームとしての共同体の表現として、また、私たちの、そして私たちの洋服を 選び着る人の表現の選択証拠として扱っています。

Q55 服のデザインとは別に、あるいは服のデザインを含めて、コレクションの方法やメゾンのイメージの伝え方に“遊び”を感じるのですが、そういうことを考えるのは楽しいことですか?

A あなたはどうですか? 自分たちの意見を与えるよりも、もっとあなたの意見を聞 いて学びたいです!

Q56 あなたにとってメソンは工房であると共に、実験・試みを行う教室でもあるので しょうか?

A 仕事をする場所です。とても幸せな仕事とは、クリエイティヴな過程と構造の独立を反映させていることで、私たちはそれを楽しんでいます。

Q57 "すべてを白く塗りたがる”ということに何か精神的メタファはあるのでしょうか?

A Q54を見て下さい。

Q58 マルタン・マルジェラのメゾンは何故パリにあるのですか?

A たくさんの理由からですが、私たちの職業においての実用性からです。

Q59 過去のコレクションに何度か8ミリフィルムを使用していましたし、ビデオを縦 に撮るなど、映像への特殊なこだわりがあるように思えますが、そうしたトレーニング も経験したのですか?

A チームの創造的視点を表現するうえで、イメージは、いつでもとても重要なもので す。私たちの中にはオーディオ・ビジュアル業界での経験が他に比べてある者もいま す。しかしその業界できちんとしたトレーニングを積んだ者はいません。私たちは他の 何よりも“試行錯誤”から学びました。

Q60 同じく最新コレクションでのビデオのトリプル・エクランは「ナポレオン」から のインスパイアですか? それとも例えばスティーヴ・エリクソンの小説からの?

A 前回の97-98秋/冬コレクションでのビデオ・エキシヴィジョンは、マーク・ポスウィック (NY拠点のファッションカメラマン)の創造的表現です。このシーズン、私 たちは3人の人を招き、彼らのヴィジョンを提示してもらいました。この3つのヴィジョンが世界中のプレスとバイヤーのためのコレクションにおいて形成されました。マ ークの他に、作家のシドニー・ピカソとファッション・スタイリストのジェーン・ハウ を招きました。

Q61 あなたにとって服は「ファッション」 ですか? 「オブジェ」ですか?

A 本当に時たま、個々の一枚をオブジェとして提案したときはオブジェとみなします が、ほとんどの場合、衣類と見なします。メゾン・マルタン・マルジェラの過去のコレクションの中で提案されたオブジェの例を示します。

・壊れた磁器とワイヤーで作られたベスト (89-90秋/冬)

・セロテープで形造られた衣類を保護するビニールのカバー (92-93秋/冬)

・ベストとして提案したテイラーダミー/ドレス (97春夏)

Q62 また、服がオブジェとしてミュージアムに飾られることをどう思いますか?

A 実際に着られることの次に良いことだと思います。現在世界中でアートのオブジェ として永久的なコレクションににされているものと、私たちが提案してきたものとは違うと見なします。単に私たちが続ける仕事の一例に過ぎないと思います。私たちのものを集めている美術館の多くは洋服に捧げられたもので、その他は私たちの仕事に一般的なデザインの視点から接していると思います。

Q63 これまで一緒に仕事をしてきた写真家は、どちらかというとある種の匿名性を持 った人達でしたが、今回のマーク・ボスウィックには明らかに作家性があります。何が 変わったのでしょうか?

A これまで仕事をしてきた写真家全てに、私たちは同じ理由から接しています。それは彼らの個性的な視点です。

Q64 服を作るときに「ジェンダー」のことは考えますか?

A 確かに、ジェンダーの対比を探求する場合には。

Q65 あなたが作った白い本は時と共に汚れていきます。それはあなたの服の場合も同 様ですか?

A 私たち自身も含めて、生まれたままでいられることはほとんどないでしょう。

Q66 夢の中で見たものをデザインしたことはありますか?

いかがだったでしょうか?

マルタン・マルジェラの本質に繋がる内容が、いくつも見られたのではないかと思います。

 

「細菌」がデザインする服

次ページはロッテルダムの美術館で1997年に開催されたマルタン・マルジェラ展で行われた、“様々な細菌の繁殖の時間的経過をマルジェラの衣服の上で見せる”という展示。

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このように、最近によって生まれたデザインがとてく革新的で、これを見た当時の僕は実物を見たい!と切望していましたが、後にこのエキシビションはマルタン・マルジェラ本人が手掛けたものではなかったことを知りました。

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前衛的で実験的なのに美しいアーティナザルコレクション

右ページは日本での取扱店リスト。この時点では関西に取り扱い店はありませんでした。僕が当時かったエイズTは、神戸元町の栄町通りにあったセレクトショップ、乱痴気の3号店で買いました。

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そして、左ページからは66の質問にも登場していた、アーティナザルコレクション、つまり手仕事による作品のコラージュです。

10代の僕が特に強く影響を受けたのが、このアーティザナルコレクションでした。まさに、前衛的で実験的なのに美しい作品の数々。

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66の質問にも登場していた、“登記と針金で出作りで作ったベスト”や、後に詳しく触れるボディ(人台)でできた服、Gジャンとジーパンをつなぎ合わせてペンキを塗ったコートなど。

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そして、当時も今も僕が大好きなのがこの見開きページです。

右ページは

“メンズXXXXXラージのコットン・アンダーシャツ 人台の後ろにピンで留めてある”

左ページは

“XXXXラージのコットン・アンダーシャツを同じ人台に着せ“見えない”ネットトップでひだをつけたもの”

タンクトップは下着です。

一般的には美しさは求められない影の存在であるタンクトップが、マルタン・マルジェラの手にかかると、美しいドレープを描くドレスになるのです。

当時の僕には、このマルタン・マルジェラのクリエイションはまるで魔法のように思えました。

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次ページでアーティザナルコレクションについては終わり。

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エルメス×マルジェラデビューコレクション後の貴重なインタビュー

そして、今号のマルタン・マルジェラ特集の最後が、今もヴィンテージとして特別な人気を誇る、マルタン・マルジェラが手掛けたエルメスのコレクションです。

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エルメスの上質さとマルタン・マルジェラの本質的な服づくりが融合した、今見ても素晴らしいコレクションです。

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今回この記事を書くにあたって調べていると、こんな記事を見つけました。

www.vogue.co.jp

このエルメスでの最初のコレクションを終えたあとの、FAXによるマルタン・マルジェラのインタビューです。

こちらも非常に貴重なので、全文引用します。

── 伝統的なブランドのエルメス(HERMÈS)とは対照的に、あなたは前衛的なデザインで知られます。何故この仕事を引き受けたのですか? その真意を伺いたいです。

当初はほとんどの人にとって理解しづらいコンセプトだったも知れない。しかし、コレクションが発表された今、モダンとクラシック、アヴァンギャルトと伝統、といった「対極=合わない」という考えが変わった。対極が共存することによって、新しい視点が導き出された

── 現代(1998年)における前衛的なファッションとは?

他人の視点が垣間見れるような、新たな体験をもたらしてくれるもの。服を通じて個人により広い視点を与えること(が前衛的なファッション)。

── 今までのエルメス(HERMÈS)に変わる、あなた独自のアイディアは?

私のチームとエルメス(HERMÈS)のチームがお互いの意見を尊重し、協力し合う環境を作ること。そのコラボレーションが今後、エルメス(HERMÈS)がどのような商品をお客様に提唱すべきか、その視点を変えることになるだろう。

── 今のファッション界を一言で表すなら?

パーソナルであったり、よりクリエイティブであったり── つまり、すべては「主張」です。ただし、どの主張も「ファッション」と総称される枠組みを取り払っても、個性を失わないようなものでなくてはならない。

── ファッションビジネスの現状を何か一つ変えれるとしたら?

コレクションを作る人間への異様な執着。デザイナーのプライベートの生活や意見など、あらゆる観点からブランドの商品価値を見出すという習慣を変えるね。デザイナーたちが実際に作り上げた作品やそのためのアイディアとこだわりが価値を決めるときに考えられていないから。

── 今回発表したデビューコレクションで何かひとつ変えれるとしたら?

コレクションには満足しているよ!

『STUDIO VOICE 1998年 7月号については以上です。

 

プレミア化している1999年のマルジェラ写真集

『STUDIO VOICE 1998年 7月号と同じくらい、10代の僕が読み耽ったのが、『STREET12月号別冊 SPECIAL. MARTIN MARGIELA』と、『STREET4月号別冊 SPECIAL.2 MARTIN MARGIELA』です。

こちらは青木正一さんが手掛けたストリートスナップ誌『STREET』の別冊として1999年に発行されたもの。

購入したときは、この「1」と「2」がプリントされた紙がビニールでパックされていました。

で、この数字の紙を取ると、両方とも真っ白。

「2」の紙にはこのような文言があり、こういうのも格好良いなーと、当時も僕は思っていました。

デビューした1989年から年代順にマルタン・マルジェラのコレクションが紹介されているという内容。コレクションの写真集のようなものです。

このように、それぞれのコレクションが日本語で解説されています。

当時の価格は1,600円と2,400円。

2013年に再販されたことがありましたが、Amazonではこのお値段と、かなりプレミア化しています。

ですが。

このマルジェラの書籍も含め、レアなファッション系の書籍が多数アップされているサイトがあります。

それがこちら。

www.archivepdf.net

ここに、『STREET12月号別冊 SPECIAL. MARTIN MARGIELA』と『STREET4月号別冊 SPECIAL.2 MARTIN MARGIELA』もアップされています。

www.archivepdf.net

 

衣服をまとった身体の構築を可視化したマルジェラのトワルドレス

書籍『ファッションと哲学 16人の思想家から学ぶファッション論入門』 では、ゲオルク・ジンメルやロラン・バルト、ミシェル・フーコーなどの哲学者や思想家の理論をもとにした、ファッション批評、分析が行われています。

第14章はフランスの哲学者、ジャック・デリダについて「抹消記号下のファッション」と題された文章で、マルタン・マルジェラ(書籍内ではメゾン・マルジェラ)の創作が分析されています。

マルジェラは「身体」の付加的な層—通常仕立屋が一時的に用いる人台〔衣服の製作や陳列などに用いる人体の模型〕の形をしたリネン素材のもの—を着用される完成品に付け加えることで、衣服の内部的な基体としての着用者の身体の構造的役割を問いに付す。

日本では「ボディ」と呼ばれる「人台」を使った作品は、マルタン・マルジェラの象徴とも言える存在です。

https://www.archivepdf.net/maison-margiela-street-special-edition-vol-1-2-1999

この人台でできた服により、マルジェラは衣服を纏った身体の能動的な構築を可視化しようしている、という指摘です。

エヴァンズは次のように述べる。「マルジェラは仕立屋の人台をリネンのベストに再創造し、そうすることで、基体は下着になり、身体が衣服になったのだ」 。「人台」ベストには、シルクのシフォンのドレスの身ごろの半分と縫い合わせた別のバージョンもある。 これらの読解においてエヴァンズは、脱安定化的な戯れの例証を、マルジェラが衣服の構造を抹消記号下に置く構造のうちに位置づけている。1997年秋冬コレクションのトワル〔仕立の際にデザインやサイズを確認するために試験的に縫製された衣服〕のドレスは、ドレスメーカーがプロトタイプ作成時あるいは制作プロセスにおいて一時的に用いる素材を製品に用いているという点で、ファッションの構造的枠組みにおける戯れを明らかに示している。

こちらが1997年秋冬コレクションのトワルのドレスです。

https://www.archivepdf.net/maison-margiela-street-special-edition-vol-1-2-1999

これまで見てきたように、マルタン・マルジェラの作品は本来外からは見えないはずの内部が露出していたり、切りっぱなしになっていたりと、一見未完成のように思える服が少なくありません。

「ファッションの基体〔根底〕あるいは基盤 〔根拠〕とは何か?」という問いへの答えとして、マルジェラは内部と外部の間の境界線および表面を輪郭づけることによって、構造が織りなす概念的および物質的枠組み、衣服を纏った身体の能動的な構築 (structur-ing) を可視化しようとする。基体は、たんに折りたためるだけでなく、再構成可能で可変的な動的構造を内包する。なぜなら境界線は皮膚とその 外部の間の表面や髪の階層構造へと移行し、またその階層構造のうちで複数化することが可能であるからだ。 「進行中の作品」、つまりウェアラブルではあるが未完成な衣服―切りっぱなしの裾、製品についたままのしつけ糸、ドレスと縫い合わされたベストのような―を提示することで、メゾン・マルジェラは、アンチ・ファッションという破壊行為を超えて、ファッションの批評的語彙を形態的、物質的なものでもあれば概念的でもある幅広い可能性を含むものへと拡張しようとするのである。二重の運動を示すために、非形成(un-making)における欠性辞の「非」 (un-)を思い起こすならば、これらの「進行中の作品」はデザインの語彙に失敗の危険性を付け加える。この危険性とは、とりわけデザイナーズファッションに期待される完成度の伝統的基準に従うならば、これらの衣服はけっして完成することがないだろう、ということである。 彼があまりに太い袖をそれよりもずっと細いアームホールに繋ぎ合わせ、縫い目を隠すことなく共存させようとするとき、マルジェラによる仕上げ損ねることの露骨な表現は、完成とは必要なものなのかと問うているように見える。袖が取り外し可能なスーツのジャケットは、生きた「進行中の作品」の一部になることへと着用者を誘うさらに顕著な事例であり、それはおそらく衣服との相互作用を介したアイデンティティの再構成への馴染みの薄い誘いなどではない。

マルタン・マルジェラの未完成な服は「進行中の作品」である、という指摘です。

 

マルタン・マルジェラを着ることは「オシャレ」じゃない

これらの事例は、ファッションは魔法のように着用者にオシャレな感じ(fashionability) を与えるという考え方を拒否するように思われる。 そのとき、マルジェラのデザインはランウェイを超えて、売り場でこそその生命が始まるような、多くのデザインの未完成な本質の明確化にまで自らを拡張することに関心を寄せているのだ。そのデザインは、未完成と完成のあいだに訪れる多様な可能性を、着用者が衣服と共に探求するためのフィールドとしての日常的使用という生へと参与する。マルジェラはファッションと衣服の生きた「進行中の作品」 の一部になるよう使用者を誘い、使用することで実験するようにと、衣服が成す事柄、ファッションが可能にする事柄によって実験するようにと誘うのである。

ざっくりまとめると、マルタン・マルジェラの服を着ることはオシャレをすることではなく、ファッションを手段にした実験に参加することだ、という感じでしょうか。

 

革新性を拒否するという革新性

モードの世界では春夏と秋冬の年に2回開催されるコレクションを通じて毎回新しい作品を発表することが常識です。

ですが、マルタン・マルジェラはその常識にも囚われませんでした

こちらはマルタン・マルジェラの1994年春夏コレクション。

このコレクションでは、マルタン・マルジェラの過去コレクションの中からピックアップされた服が全てグレーに染め直されて発表されました。

首元のスタンプは、元のコレクションの年を表しています。

https://www.archivepdf.net/maison-margiela-street-special-edition-vol-1-2-1999

そして、書籍『ファッションと哲学 16人の思想家から学ぶファッション論入門』 では、これがマルタン・マルジェラによる「絶対的な革新性の否定」だと指摘されています。

慣習的な作者性に対する脱構築主義者の拒否と関連するのは、正統性やオリジナリティと結託したファッションのイノベーションという観念に対するメゾン・マルジェラの抵抗である。署名を省略し、クリエイターの権威を強く主張しないことで、メゾン・マルジェラは絶対的な革新性を否定する。慣習的なトレンド設定、繰り返される変動、ルールの刷新、そして、ファッションは毎シーズン自らを再発明しなければならないという見方からコレクションを離反させる奮闘の顕著な事例は、メゾン・マルジェラによるファッショ ン史や異なる時代様式の原型、そして象徴的な古着からの再生産にある。「レプリカ」という名前 に触れておくならば、それは保存の身振りとみなすことができる。というのも、それは衣服のスタイル、由来、制作日に関する情報を伴ったラベルを含むと同時に、イノベーションが完全に新しいものとみなされねばならないという考えを拒否するからである。

これらは可能な限り厳密に複製されたヴィンテージの衣服、つまり動き続けることに取り憑かれた産業のスポットライトのなかに束の間の姿を現した後に訪れるファッションの死を受け入れることのできる衣服への賛辞である。まったく新しいわけではないイノベーションの真の追求を評価しつつ、デボは次のように書く。「本当のイノベーションは技巧を意のままに操る能力と正確な歴史の知識に基づく場合にのみ可能であ ることを、ファッションの世界は自ら忘れようとする」。「レプリカ」は私たちがメゾン・マルジェラの コレクションの他の側面に見出す古い布地の物質的修復と等しいものではないが、歴史的な様式と技術についての知識を修復し適用することを要求する。慣習的なイノベーションが前提されているような、ファッション史のタブラ・ラサを作り出す今この時(now-time)という力をこのメゾンは拒否するのである。

革新性を拒否するという革新性

矛盾するようですが、マルタン・マルジェラの価値を最も端的に表す言葉ではないでしょうか。

 

「沈黙」するネームタグとデザイナーが意味するもの

そして、マルタン・マルジェラはデザイナーズブランドとは切っても切れない存在である「ネームタグ」においても革新的な創造を行いました。

マルタン・マルジェラのネームタグは時代によって変化していきましたが、最も象徴的なのはこの何も記されていない布の四隅が白糸で縫われているタグでしょう。

https://www.pinterest.jp/pin/809592470543646994/

このタグも、マルタン・マルジェラの創造を知るうえで非常に重要な要素です。

マルタン・マルジェラは「可能な限り自らの作品から消え去る」ことによって、ブランドの背後にその名を置かれることを拒否することによって「匿名のデザイナー」と呼ばれてきた。デザイナーの名、セレブな生活、パーソナリティがブランドの指標として人々を魅了する産業において、マルジェラの匿名性に 関しては多くのことが書かれてきた。カート・デボは、衣服の内側に縫いつけられた白無地のコットンのタグ―そこにはいかなる署名もない―の使用は盲点のようなものであると書いている。それはマーケティングの観点からすれば完全に無益で、本物であることの証明としてのラベルに頑なに抵抗するものである。オリヴィエ・ツァームは次のように述べる。この無地のラベルの使用は人々の注目を衣服に立ちかえらせる効果があるが、しかしこのラベルはまた、無署名であろうとも一つの署名、すなわちメゾンの非誇張的な(non-superlative) 製作に対するアプローチを象徴するものになるのだ。マルジェラは宣伝広報やインタビューを避ける。彼の衣服が意味することや、彼が連帯する運動としての脱構築についての二重の沈黙が、この消失において重要な意味を持つ。デザイナーズファッションはあらゆる衣服と同じく、(作者のラベルを表示しているときでさえ)デザイナー不在のままにコミュニケーションを取っているのだが、主導的な作者、プロデューサー、あるいは先進的な人物 (visionary)としてのいかなる役割も個人として担うことを拒絶するマルジェラは、テクストを作動させるべきデザイナーという観念を失墜させる危険を冒している。マルジェラは作者の行為主体性をアトリエチームへと分散させること、チームの共同作業を尊重することを好み(必要とあらば、「メゾン・マルジェラ」というブランド名も判断基準となるだろう)、また着用者に対しては挑戦的な衣服 を解釈するよう促す。マルジェラはデリダと同じく主人としての地位やファッションシステムの批判の源泉であることを拒否するが、衣服の実験の行為主体性はそこから生じているように思われる。脱構築が衣服の間、すなわちその非-製作と着用者への誘いとのあいだで「続いていく」のと同様に

ですが、このタグは今やマルタン・マルジェラを声高に主張する存在になっています。

それは、冒頭でご紹介したシュプリームとMM6メゾン・マルジェラとのコラボレーションアイテムでも同様です。

マルタン・マルジェラは、現在のメゾン・マルジェラの活動には関わっていません。

既存のファッションシステムを拒否し、新たな価値観を生み出したマルタン・マルジェラ。

巨大なファッションシステムは、マルタン・マルジェラの創造性を飲み込んでしまったのです。