目次
- 「チェックメイト」1987年9月号
- 高田賢三直々のコーディネート指南
- 「人気DCブランドベスト10コレクション」
- 民事再生法を申請した人気DCブランド
- 今でもいけそうなアバハウスのトラッドコーディネート
- モデル時代のマーク・パンサー
- ポップなDCブランドデザイン
- ボトムズと靴から愛をこめて
- 今見ても新鮮なDCブランド×ジーンズコーディネート
- 80s初頭のイタリアンジーンズブーム
- ストーンウォッシュ加工を開発したのは誰?
- 大流行のケミカルウォッシュ
- ウォッシュデニム戦国時代
- スリータック!のケミカルウォッシュジーンズ
- ピーコのストリートスナップファッションチェック
- そして渋カジへ…
前回の記事では、「ホットドッグプレス」1986年5月10日号を軸に、DCブランドブームとDCブランドの革命的なビジネスモデル、そして1980年代の日本経済についてご紹介しました。
「チェックメイト」1987年9月号
今回の記事の軸になるのは「チェックメイト」1987年9月号。表紙に「人気DCブランドベスト10」とあるように、DCブランドにフォーカスした内容です。
この頃の日本経済は本格的なバブル景気に突入する直前で、元気いっぱい右肩上がり。
その辺りについては前回の記事でご紹介しているので、そちらをご参照いただければと思います。
では、誌面を見ていきましょう。
表紙裏の広告は、大阪のアパレル企業ヤマトインターナショナルが展開するブランド、カーニーハウス。トラディショナルなアメカジスタイルで、スタジャンやチノパンツなどの定番アイテムが中心のスタイリングですが、トップスのボリュームなどに時代が感じられます。
ちなみに、現在のヤマトインターナショナルはクロコダイルやペンフィールド、ライトニングボルトなどのブランドを展開しています。
http://www.yamatointr.co.jp/brand
右ページ、DCブランドブームを象徴するアイテムである、ロゴ入りスタジャンは、Rozzo Pulcinoというブランドのもの。
知らないブランドだったのですが、調べてみると後にマルイ系ブランドのカスタムカルチャーや291295HOMMEを展開するアパレル企業、パッゾが当時展開していたブランドだったようです。
高田賢三直々のコーディネート指南
巻頭特集は「特別公開レッスンこれがKENZOのコーディネートだ!」。
高田賢三さん直々のコーディネート指南企画です。高田賢三さんと並んで写っているのは、「モデルの風間トオル」。
「僕がいちばん大事にしているのは、色のハーモニーです」という高田賢三さんの言葉通り、色にフォーカスしたコーディネート。
「赤のフルコーディネーション」は、かなり攻めたコーディネートですね。
「人気DCブランドベスト10コレクション」
ここからは特集「人気DCブランドベスト10コレクション」。
「新しいシーズンの流行を知るには、DCブランドブランドの新傾向を探るのがいちばんの近道」という文言から、当時のファッションシーンはDCブランドが引っ張っていたということが伺えます。
筆頭は「ブリティッシュ・トラッドをベースにした伝統的服づくりが特徴のタケオ・キクチ」。
「タケオ・キクチがつくるとアメカジもこうなる」。ブリティッシュっぽい落ち着きのあるアメカジスタイルという感じでしょうか。
お次はバルビッシュ。
こちらは前回の記事でご紹介した「ホットドッグプレス」1986年5月10日号に掲載されていた「一目でわかるD.C.ブランド発展図」。バルビッシュはビギグループのブランドで、デザイナーは小栗壮介さん。
小栗壮介さんについて調べてみてヒットした、2009年に放送されたTV番組のページによるプロフィールがこちら。
昭和21年東京神楽坂で生まれる。多摩美術大学卒業後、2年間パリへ留学。帰国後73年菊池武夫氏とともにメンズビギ設立に参加、 78年小栗氏がチーフデザイナーを勤めるブランド”バルビッシュ”を設立。90年ロンドンで”OGURI DESIGN”を発表しパリをはじめヨーロッパのファッション界で活躍。舞台、映画の世界でも衣装担当として数多く参加。現在ファッション、インテリア、美容など多岐の分野で活躍。
番組では2009年当時タイ在住だった小栗壮介さんの生活が紹介されたようです。
そしてバルビッシュの次に紹介されているブランドが、菊池武夫さんが立ち上げたブランド、メンズビギです。上掲の発展図の通り、この頃には既に菊池武夫はワールドに移籍し、タケオキクチを手掛けていました。
その次は、メンズメルローズ。こちらもビギグループのブランドです。
「秋の小物ピックアップ」で紹介されているのが、「誰もが持ってるフツーの服もカスタムマップで表情一変!」することのできるバッジ。こういうアイテムはこの時代ならでは感じです。
ユニセックスデザインがメンズメルローズの特徴だったらしく、「男っぽくキメるだけがおしゃれじゃないサ!」とのこと。このカタカナ混じりの表現、どうやって生まれたんでしょうねぇ。
民事再生法を申請した人気DCブランド
レディスDCブランド、アトリエサブが展開していたアトリエサブフォーメン。
そう言えばしばらく見ていないな…と思って調べてみると、2003年3月6日に民事再生手続きを申請したとのこと。アパレルは本当に栄枯盛衰の激しい業界です。
アトリエサブは2005年にマインドウィンドに社名変更し、現在はアドミックスアトリエサブメンというブランド名を展開し、ZOZOTOWNにも出店しています。
https://zozo.jp/brand/admixateliersabme/
また、バッグメーカー、イケテイがアトリエサブメンというブランド名でバッグや財布などを展開しているようです。
続いて、先程も広告で登場したパッゾと、テルマーバという僕は初見のブランド。「大学生らしい、自由なおしゃれを取り入れたい」というキャッチコピーがありますが、大学生が普通にこのようにタイドアップしたジャケットスタイルをしてたってことでしょうね。
今でもいけそうなアバハウスのトラッドコーディネート
アバハウスも、後にマルイ系の代表格となるブランド。僕も大学生だった1990年代終盤に、神戸ビブレにあったアバハウスで長袖カットソーを買った記憶があります。オリーブとレッドのリバーシブルで、結構気に入って着てたんですよね。つくりも良かった気がします。
そんなアバハウスが1987年に提案していたのは、トラディショナルな「ネイビー×グリーンで正統スタイル」。このコーディネートのゆるさのある雰囲気は今でもいけそうな感じがします。
そして、人気DCブランドベスト10の最後はキャラクターブランドの代表格であるパーソンズフォーメン。
「パーソンズといえば、やはりブルゾンがピカイチ」ということで、DCブランドブームを象徴するアイテムである、ブランドロゴ入りのスタジャン推し。こういうわかりやすいアイテムがあると、認知がされやすいですね。
モデル時代のマーク・パンサー
左ページは「流行確実ファッション予報やっぱり目立つ!DCトラッド」という特集。向かって右のモデルさん、どこかで見た顔です。
モデルは「マーク」。そう、後にglobeのメンバーとなるマーク・パンサーさんです。
当時のマーク・パンサーさんは売れっ子モデル。このチェックメイトの他、メンズノンノなど多数のファッション誌に登場していました。
「流行確実ファッション予報やっぱり目立つ!DCトラッド」特集の内容は、タイドアップしたジャケットやスーツスタイルの提案。
ポップなDCブランドデザイン
パーソンズフォーメン広告。
先述しましたが、こういった装飾的なワッペンや刺繍のスタジャンは、DCブランドブームを象徴するアイテム。
こういったポップなグラフィックのTシャツは、今の感覚だとかなり新鮮でないでしょうか。
ポッシュボーイ広告。
こちらもかなりポップなデザイン。おそらく、こういったデザインのアイテムが、DCブランド、特にC(キャラクター)の部分の主流だったのだと思われます。今風にちょっとアレンジしたら、結構人気になるんじゃないかと思うんですが、どうでしょうねぇ。
ボトムズと靴から愛をこめて
ここからが、僕的にこの号で興味深かった特集です。「ジーンズ&シューズカタログ ボトムズと靴から愛をこめて」。
「ジーンズ&シューズ」という特集ながら、最初のページにはジーンズは登場しません。
「まずはDCブランドで今年の秋冬の流行靴を探ってみよう」と題し、「ウイングチップ、プレーントウ、ローファー等々。ベーシックなデザインが主流だ」というアイテムの数々を紹介しています。
コーディネートで提案されているのは、バルビッシュやメンズビギなど、これまでのページでも登場していた、当時人気のDCブランド。
そして、「こんな安いトラッド・シューズ」というくくりで、日本の老舗シューズブランドであるリーガルが紹介されています。
お次のページは、全てのコーディネートがジーンズ。と言っても、フォーカスが当てられているのはジーンズではありません。
「大流行しそうな、アウトドア衣料やワーク・ウエアには、どんな靴が似合うんだろうか?」というのがテーマ。前ページ同様、アバハウスやポッシュボーイなどのDCブランドが出している、ワークジャケットやマウンテンパーカなどがコーディネートの主役。ジーンズはラングラーやリー、リイーバイスといったアメリカの老舗ジーンズブランド。そしてその足元は、ワークブーツ。
レッドウィングやティンバーランドといった、同じくアメリカの老舗ブランドによるアウトドア・ワークブーツ。
トニーラマのカウボーイブーツが並んでいるのに一瞬違和感を覚えましたら、考えたらカウボーイブーツもワークブーツですよね。納得。
次のページに登場しているのは、ジーンズ×シューズのコーディネートのみ。「ジーンズのシルエットによって、靴の選び方も変わってくる」。
シルエットはスーパースリム、スリム。
ストレート、ペダルプッシャー、バルーン。ブランドはリーバイスやラングラーのアメリカ勢に加え、エドウィンなどの日本のジーンズブランドも登場しています。
そういったジーンズに合わせるアイテムとして、黒のレザースニーカーを提案。
アディダスやリーボックなどのスポーツブランドのものが中心です。
今見ても新鮮なDCブランド×ジーンズコーディネート
そして、ここからが特集の本丸的内容だと思われます。DCブランドアイテムとジーンズのコーディネート提案です。
「今年の秋冬のシーンズ・ラッシュもすごい。新しいシルエットや、ウォッシュ加工の新作がどんどんでてきている」という文言に、当時は新しいファッションが登場する余地がまだまだあったということが伺えます。
そして、このページはジーンズブランドのウォッシュ加工の紹介が軸になっています。
筆頭として登場しているのは、日本ブランド、ボブソンのスーパーバレル・スノー・ウォッシュ。必殺技のような凄いネーミングです笑。「ボブソンのスノー・ウォッシュの風合いは、文字通り雪の感じが出ているね」とあるように、白さがポイントになっています。
スペルバウンドはクラウド・ウォッシュ。雪の次は雲と、やはり白をイメージさせるネーミング。
スペルバウンドは、日本のジーンズブランドであるドミンゴが1981年に立ち上げたブランドです。
https://domingo.co.jp/company/index.html
同じく日本ブランドのビッグジョンはハードロック・ウォッシュ。
フラッシャーにはH/Rウォッシュとありますが、こちらなんと、ビッグジョンの社史にも掲載されていました。1983年に開発されたハードロック・ウォッシュは「ストーンウォッシュの基本」だそうです。
リーバイス、リーに続く3大ジーンズブランドのひとつ、ラングラーはエキストラ・ワイルド・ウォッシュ。
次ページは「今年、DCブランドとさまざまなジーンズ・コーディネートが面白い」。DCブランド×ジーンズのコーディネートは「いままではなかったケースだけに新鮮」とありますが、前ページも含め、今の感覚でもかなり新鮮に感じるコーディネートだと思います。特に、右端の白黒のギンガムチェックのジャケットから襟を出した白シャツにジーンズのコーディネートや、左端のいかにもDCブランドなデザインのスタジャン、ロゴスウェットにジーンズのコーディネートはとても印象的です。
日本のジーンズブランドの代表格、エドウィンはユーズド・ウォッシュ。
エドウィンの社史ページによると、エドウィンがストーンウォッシュを完成させたのが1980年。
https://edwin.co.jp/company/history/
エドウィンと同じく、リーもユーズド・ウォッシュ。
ジーンズの雄、リーバイスはストーンウォッシュ。
日本ブランド、ブルーウエイはスパークリング加工。このスパークリング加工については後述します。
80s初頭のイタリアンジーンズブーム
続いて、特定のブランドアイテムをベースにしたコーディネート提案。まずは、エドウィン。一番右の眼鏡の彼、ニットをタックインしたコーディネートは、今でもいけそうな雰囲気。
左ページの「7ポケット・ジーンズ」は、かなり奇抜なデザイン。
こういったデザイン性の高いジーンズの先駆けが、1980年代初頭に一世を風靡した、イタリアンジーンズ。
1981〜83年にかけて、パリや東京では「イタリアンカジュアル」が大ブームでした。イタリアンカジュアルとは、アメリカに憧れるイタリアのおしゃれさんたちのカジュアルスタイルやブランドのこと。略して「イタカジ」とみんな呼んでいました。
https://www.lalabegin.jp/article/48731/
その筆頭となるブランドがボールと、ドイツブランドのクローズド。
当時のアンアンではイタカジをスーパーカジュアルと命名して、大々的に特集していました。スーパーカジュアルを代表するブランドが、マリテ+フランソワ・ジルボーが手がけていた「BALL」と「クローズド」です。
82年のアンアンの新年号を紐解いてみると、青山にあった「BALLショップ」は「おしゃれ感覚人間の間では誰知らぬ者のいない店。土日は満員電車並みの混みよう」なんて紹介されています。当時、ジルボーのペダルプッシャーパンツはアメカジの大学生の男の子たちまでがリーバイス501からはき替えるほど大ブームになったのでした。
ちょっと余談になりますが、↑の文章の中のこちらの一節。
他にも、「シャルルシェビニオン」のストーンウォッシュレザーのライダーズも大人気でした。82年秋のアンアンを紐解いてみると、スタイリストの貝島はるみさんが「パリでは1年前から大人気。この秋、ジージャンに代わって流行しそうなのがストーンウォッシュの革ジャンパーなるもの」と推しまくっています。
この「82年秋のアンアン」はnote第1弾でご紹介した「アンアン」1982年9月10日号だと思われます。
ボール、クローズドに関する記述はこちらにも。
山下 80年代というと、何となく僕のイメージだと、いわゆる時代のあだ花ですけれども、ケミカルウオッシュのジーンズのイメージがすごく強いんです。
四方、鎌田 ああ〜(苦笑)。
山下 あれも、イタカジみたいなところからくるんですか?
鎌田 あれもイタカジ。ボールとか。
※ボール “クローズド”と双璧の人気ブランド。ムラ加工で仕上げたデニムは、日本のデニムブランドが真似した。ブルーのひし形に白ヌキでBALLとデザインしたロゴは、実にシンボリックだった。
矢部 そう、ボールの中でちょっと。
鎌田 ボールのデニムとか、レッドボタンってありましたね。あの辺から、日本のボブソンとか、ああいうところがまねをしてつくって、普通のスーパーで売り出したという。
※レッドボタン フロントの前立て部分に赤いボタンを配したデザインが、なんとも斬新だった。イタリアのデニムブランド。
ストーンウォッシュ加工を開発したのは誰?
ボールとクローズドを手掛けていたのが、マリテ+フランソワ・ジルボー夫妻。
オフィシャルのプロフィールではありませんが、「ストーンウォッシュ加工を発明」と記されています。
マリテ・バシェレリー(Marithe BACHELLERIE):1942年フランスのリヨンで生まれる。
フランソワ・ジルボー(Francois GIRBAUD):1945年フランスのマザメで生まれる。
60年に出会ったマリテ・バシェレリーとフランソワ・ジルボーはアメリカのカウボーイスタイルのファッションをパリに輸入するようになる。ざらざらしたデニム生地を得メリーボードで柔らかくしたことが、ストーンウォッシュ加工という現在のジーンズ業界では必要不可欠な発明をもたらす。
ジーンズをヨーロピアンテーストにしたことでアメリカのワークウェアのイメージの濃かったジーンズのイメージを払拭することに大きく貢献。ウォッシュやソフト加工の技術はジーンズ業界の革命であった。
68年初のコレクション「CA」を発表。72年、パリのレアール地区にアメリカンスタイルのジーンズ店を開く。74年、バギージーンズが話題に。当時は「カンパニエ・デ・モンターニュ・エ・デ・フォレ」や「クローズド」といったブランドやライセンスでジーンズを発表した。
86年それぞれの名前を冠したブランド「マリテ+フランソワ ジルボー」を発表。パリのファッションウィークにデビューを果たした。彼らはジーンズ技術の模索を続け、シワ加工やシームレスオバーホール、焼き印を入れる、タトゥー、レザーカット、ライクラ入りのストレッチ素材等を取り入れていった。
他にもマリテ+フランソワ・ジルボー夫妻がストーンウォッシュ加工の生みの親とされている文献がありますが、調べてみると諸説あるようです。
こちらは日本のジーンズメーカー、ボブソンのサイトの記事。
実は「ストーンウォッシュ」や「ケミカルウォッシュ」などのウォッシュ加工は、日本が初めて取り入れた加工技術。
日本でジーンズを販売するにあたり、日本人から不評だったデニム生地の硬さやゴワゴワ感。そんなデニム生地のデメリットを改善し、生地を柔らかくして、はき心地をよくするために取り入れられたのが、ウォッシュ加工なのです。
その後、ブリーチ→ストーンウォッシュ→ケミカルウォッシュ→ヴィンテージ加工と次々と新しい加工技術が生まれています。
そして、こちらは岡山県児島のジーンズ染色加工会社、豊和のサイトにある文章。
ひとつの石がジーンズの歴史を変える。1978年に豊和が開発した「ストーンウォッシュ」はまさにジーンズの革命児として、若者たちの集うショップの店頭に衝撃的に登場しました。新品であるにもかかわらず、洗いざらしの風合いと色落ちを持つストーンウォッシュは多くの若者に支持され、日本に爆発的ともいえるジーンズブームが巻き起こりました。そしてストーンウォッシュ加工は、さらに世界に波及していきました。その後ヨーロッパで始まったケミカルウォッシュを86年に日本で発表。これも爆発的なブームに。豊和はまさに世界のジーンズファッションの仕掛け人となったのでした。
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実際はこちらの記事のように、ほぼ同時期に開発されたという説が僕にはしっくり来ます。
ジーンズのストーンウォッシュ加工がいつ、どこで誰によって発明されたのか、正確なことはわかっていません。ただし、世界を変えるようなイノベーションはだいたい世界の三か所くらいで行っているという説や、『シェルドレイクの仮説』と言われる形態共鳴という理論などもあり、ジーンズのストーンウォッシュ加工もおそらく1970年代の終わりくらいに世界の数か所でほぼ同時に発明されたのではないかと思います。
ジーンズ業界では『ジルボー氏』と『エドウイン社』がストーンウォッシュ加工を発明したと公言しているようです。また、もしかしたら他にも「私が発明した」と言う方はいらっしゃるのかもしれません。
おそらくジルボー氏とエドウイン社は共鳴理論のように、ほぼ同時にストーンウォッシュ加工の開発を成功させたのだと思います。
大流行のケミカルウォッシュ
チェックメイト誌に戻りましょう。
次のページもエドウィン。「オールド・テイパード・ジーンズ」と「イタリアン・クラシック・ジーンズ」。カジュアルファッションにテーラードジャケットを取り入れるのは今の感覚だとちょっとハードルが高いですが、一番右のスタジャンにボーダー柄Tシャツはいけそうな感じ。
その次はラングラーの「EXワイルド・ウォッシュ」。
「女の子の間でも、ウォッシュ・デニムは大流行。特にミニスカートとジージャンがブームになっている。となると僕達もウォッシュ・ジーンズできめたいね」。
イタカジの影響が感じられる、レザーの切り替えデザイン。
そして、レディスはミニスカート。
そして、次のページはドミンゴとスペルバウンドの「クラウド(雲)ウォッシュ」。
先程引用した文章にもありましたが、ジーンズ染色加工会社の豊和がケミカルウォッシュを発表したのが1986年。
その後ヨーロッパで始まったケミカルウォッシュを86年に日本で発表。これも爆発的なブームに。
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豊和のサイトには、このような年表?も掲載されています。1986年に「ジーンズブームを巻き起こしたケミカルウォッシュを先駆者的な存在として技術開発」とのこと。
ウォッシュデニム戦国時代
実は、この「チェックメイト」1987年9月号には数多くのジーンズメーカーの広告が掲載されています。
それぞれの広告では、メーカー独自のウォッシュ加工が強くアピールされています。
まさに、ウォッシュデニム戦国時代。
ということで、ジーンズメーカー広告をまとめてご紹介していきます。
まずは日本のジーンズメーカー、ビッグジョンのジーンズの広告です。
「深くて、濁らず。ビッグジョンの新・H/Rウォッシュ」というキャッチコピー。「今の僕たちのハートに、いちばんハヤク、いちばん気持ちよく飛び込んでくるインディゴ。それは深く、濁りがない。まさに僕たちが探し当ていたインディゴ・ブルー」す。
H/Rウォッシュとは、ハードロックウォッシュのこと。
商品のフラッシャーにもH/Rウォッシュと大書されています。
次ページは同じH/Rウォッシュのシルエット違い。スタンダードスリムとスーパースリムの2モデル。
スリータック!のケミカルウォッシュジーンズ
同じく日本メーカーのボブソンは、かなりインパクトのある広告。
ビッグジョン以上にポエティック。
「デニムの海にはじけとぶビッグウェーブ。ノースショアの波をデニムにデザインした、って感じのボブソンウェーブウォッシュ。インディゴブルーと洗いこんだホワイトのくっきりコントラストが新鮮。街の海岸通りにライディングする、いまいちばんノッてるブルーだ」
そして、「デニムに、波。」というキャッチコピー。ペダルプッシャーの影響でしょうか。上掲のクローズドのジーンズにかなり酷似したポケットなどのフロントのデザイン。
↑のNo.203は「前身の切り替えしが新鮮な、ペダルプッシャータイプの高感度モデル」とあるので、ケミカルウォッシュ=高感度という打ち出しだったようです。その他のラインナップは比較的ベーシックなデザインのNo.208、そしてなんとスリータックのNo.202。
お次はグッと大人しい雰囲気のブルーウェイ。
ですが、ブルーウェイも十二分にポエティックです。
「秋の風が吹いてくると、なんだかブルーな気分になってしまうキミには、秋にバッチリとけ込むあたらしいブルーの、スパークリングがお似合いだ!」
「キミのハートの色合いに合うのは、どのスパークリングか?」
という風に、日本のジーンズブランドの広告はバブル景気直前の右肩上がりの浮かれ気分満載な感じですが、打って変わってアメリカのジーンズブランドの広告はかなり落ち着いた雰囲気。
まずは、ジーンズの代名詞、リーバイス。1930年代のウォールペインティングを大きく掲載するなど、老舗の伝統を強くアピールしています。
ジーンズ自体も、日本メーカーのような派手なストーンウォッシュやデザインとは全く異なり、ややムラ感のあるウォッシュ加工ながら、全体的にはかなりオーセンティックな雰囲気です。
とはいえ、1987年当時は伝統推しだけではアピール不足だったのでしょう。
「伝統のディティールや縫製技術を受け継ぎながらシルエットやフィットには、最新の流行感覚を取り入れ」と、トレンドを意識していることが記されています。
続いて、リー。
「ザ・ジーンズ・フロム・U.S.A」と、こちらも老舗の伝統を強くアピールするキャッチコピー。ウォッシュ加工による「白さ」を強調する日本ブランドに対し、リーが推すのは「カンザスの濃紺」そのもののワンウォッシュ。
ピーコのストリートスナップファッションチェック
では、1987年のストリートで実際にどんなジーンズが着用されていたのでしょうか。
「ピーコのキミはCITYでナンバーワン!」という、ファッション評論家、ピーコさんのストリートスナップファッションチェックページです。
今号は「第1回年間グランプリ」発表の回。
準グランプリが、かなりデザイン性の高いGジャンにジーンズというコーディネート。
ジーンズはDCブランドのケンショー・アベのもの。デザイナーは安部兼章さん。
安部兼章さんについて調べてみると、WWDジャパン元編集長の三浦彰さんによるコラムがなかなか興味深い内容だったので、アーカイブする意味も含めて多めに引用しておいます。
安部兼章が6月25日に死去していた。享年57。
数年前に、酒浸りが原因で寝たきりになっているというような噂を聞いていたので、ついに来るべきものが来たという感じだが、同年代ということもあってショックだった。
それにしてもケンショウ(こう書く方がしっくりくる)は、なんであんなに酒に溺れたのだろう。
ウイスキーをストレートでがぶ飲みしてベロベロになった彼の姿を目撃したことがあるが、アル中といってもいい常軌を逸した飲酒だった。
ケンショウは80年代の東京コレクションの大スターだった。
初代プレスの浦野たか子によれば、東コレのシンボルだった代々木テントに1500人の観客を動員し、さらに数百人が入れなかったという。
1回のコレクションに5000万円かけ、うちサンプル代が3000万円。いかに80年代のDCブームが凄まじかったかがわかる。
ケンショウはレナウンで「シンプルライフ」の外部デザイナーをしていたのを、野村の故野村直晴社長(この人も50代で亡くなった)に見出されて、デビューした。
野村では大成功していた島田順子ビジネスに続く存在にしたかったようだ。デビュー後3、4年は破竹の快進撃で年商も30億円はあったはず。
しかし、バブル崩壊でビジネスは急激に悪化し、スキーショップのアルペンに経営移管。
このあたりから、ケンショウの痛飲が度を越すようになったのではないかと私は推測する。
一度大きな成功を味わった者は、その夢がなかなか忘れられないものだろう。
ケンショウは中央大学法学部を卒業後に文化服装学院に入ったある意味インテリデザイナーだった。
インテリであるが故に、成功が忘れられないと同時に、もう二度とその甘美な成功を手にすることはないのをよく知っていたのだろう。
悲しい、悲しすぎる。
やはり酒でしくじったガリアーノを持ち出していつものようにデザイナーという現代の悲しい商売のことを語る気にもなれない。
せめて80年代の日本のファッション界の大スターの冥福を祈ろう。
さて、誌面に戻りましょう。
先程のようなかなりデザイン性の高いデニムアイテムを着た人ばかりではなかったようです。
こちらはそれほど突飛ではないアイテムでコーディネートした「ジージャンBOY」。ホワイトジーンズはリーバイス。
メンズは割とコーディネートのバラエティが豊かですが、「キミ・シティ・マドンナ」という女性のストリートスナップを見てみると、デニム、デニム、デニム。
今と比べると圧倒的にデニム人気が高かったことが伺えます。
そして渋カジへ…
この号が出た1987年はDCブランドブーム末期。
1988年頃になると、新しいムーブメントとして渋カジが登場します。
その名の通り、渋谷発、しかも日本初のストリートファッションであった渋カジ。
渋カジを象徴するアイテムのひとつがジーンズですが、その頃にはケミカルウォッシュデニムの人気は下火になり、新たなジーンズが脚光を浴びるようになっていました。
渋カジについては、こちらの記事で詳しくご紹介しています。