山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

イギリスのサッカーカルチャーが生んだストリートムーブメント「カジュアルス」が愛したスニーカー。

目次

この記事はこちら↓の記事の続きです。

www.yamadakoji.com

「POPEYE」1978年2月25日号

 

「シュー・グーを使えば倍長持ちする」

モノクロページは「ジョガーなら足元に気を配れ!」という、ジョギング特集記事

「シューズはジョギング用とレース用の2足が必要なのだ。キミは何足ある」と、スニーカーメーカーがとっても喜びそうな見出し分。

靴紐の結び方の例の写真は、D管が特徴的なアディダスの名作SL76でしょうか。

こちらはSL76と、同シリーズモデルのSL72の広告。

https://www.pinterest.jp/pin/415879346844442195/

こちらも名作スニーカーのナイキLD-1000

「あなたの膝のために作られた最初の靴をお知らせします」という広告。LD-1000も前回の記事でご紹介したプーマのスニーカー同様、ソールのクッション性がウリだったようです。

https://www.pinterest.jp/pin/162762974026716994/

オニツカタイガーやブルックス、アディダスなどのシューズのディテール比較。

「シュー・グーを使えば倍長持ちする」と、シューズを長持ちさせる方法のひとつとして紹介されているのが、シューグーを使ったソールのリペア

シューグーは今も人気のシューズリペアグッズ。僕も使っています。

 

ホノルル・マラソンに3600人がエントリー

ジョギング特集記事続き。

車椅子ランナー。

暑さ対策やテーピングなど。

ホノルルのアスレチックショップのオーナーと、ニューバランス社長のツーショット。

「第5回ホノルル・マラソンはエントリー3600人を数える、まさに市民マラソンとしては世界有数の大会となった」と、1978年当時ジョギング人気はかなり高くなっていたようです。

 

オニツカ、コンバース、ブルックスのトレーニングシューズ

既にお馴染み笑、アム・スポーツ・フットウェアの広告。「トップブランドのトレーニングをあなた自身で確かめてください」「ここに紹介する各トップブランドの新製品は、各社各様の技術追求の結果が新しい創造となって感動させてくれます」という持ち上げっぷり。まぁ広告なので持ち上げるのは当たり前ですが。

ひとつめは、オニツカタイガーのEnduroというモデル。クロスカントリーというのは用途を指しているのでしょう。コンバースのTrainerはオールラウンド。

EnduroはEDR78という名称で、今もオニツカタイガーブランドで販売されています。

アディダスのTRX。

ブルックスのVantageもオールラウンド。

 

アディダスのトリムトラブとイングランドのカジュアルス

「フリーポート香港はメチャ安の買物天国」。イギリスから中国に主権が返還される前の香港のお買い物レポート。買物天国っていいですねぇ。

プーマのテニス・スーパーという、トコ革(革の表面の銀面を取り除いた内側の部分)のテニスシューズ。

アディダスの大定番スタンスミスと、ランナートリムロードというモデル。トリムロードは厚底でスタイリッシュなデザイン。

このトリムロードは当時アディダスが展開していたトリムシリーズのひとつのようです。

トリムシリーズについて詳しい記述を見つけたので引用します。(強調引用者以下同)

アディダス・トリムトラブ(adidas trimm-trab)は1975年に登場したトレーニング・シューズ。1970年代当時、旧西ドイツで行われていたスポーツプロジェクト・キャンペーン「トリムディッヒ(Trimm Dich)」の一環でリリースされたスニーカーです。

(発売当時1975年のカタログでは「”トリマー”やレクリエーションスポーツに最適なシューズ(Ideal für “Trimmer” und Freizeit-sportler.)」とトリムトラブを紹介。トリマーは「トリム」の派生語で「余分な部分を削除」の意味から、ここでは体のシェイプアップのこと。)

厚めのソールが特徴的で、発泡性ポリウレタン製の(当時の)新仕様。同様のソールユニットがテニスシューズやバスケットボールのトレーニングシューズに採用されていることから、コートや屋内向けに開発されたモデルであることがわかります。

リリース後、ドイツ国内よりも特にイングランドのサッカーサポーターたちの間で1980年代初頭に再評価されローカルなブームに

カジュアルス(サポーターから発生したムーブメント)の聖地であったリバプールのアディダスシューズ専門店「ウェイド・スミス(Wade Smith)」では「1982年の売り上げの80%以上をトリムトラブが占めた」という記録が残されており(Neal Heard著 “trainer”より)、「チームのジャージは手に入れたか?」「チーム・スカーフは手に入れたか?」と同じように「トリム・トラブを手に入れたか?」というのは、カジュアルスの間での会話だったようです。

リバプールを中心とした局地的なブームに加え、流通期間が短かった希少性ゆえに「伝説」とまで言われたスニーカーです。

カジュアルスはスニーカーの歴史を語る上では欠かせない、イギリスのストリートカルチャーです。

 

労働者階級から発生したストリートカルチャー、カジュアルス

書籍「スニーカー・スタイル」から引用します。

10年近くイギリス全土に波及したカジュアルスは、同種のムーブメントの中では最もアンダーグラウンドでありながら、スニーカー用語にとってはおそらく最も重要である。

どういうわけか、カジュアルスは大都市ベースのジャーナリズムに取り上げられることがなかった。ほかのグループと同じように、始めは労働者階級から発生し、 特に地元のサッカーチームの応援と強く結びついていた。ただし、イギリスのどの場所で最初に発生したかは議論の余地がある。 '70年代の後期に、リバプールではスカリーズ、マンチェスターではベリーズ、ロンドンではチャップスと名乗るグループがそれぞれ誕生し、これらのムーブメントが後にカジュアルスという言葉で定義され、くくられることとなった。

カジュアルスはおもにローカルのサッカーチームに付随した若者のグループだった。 その特徴を手短にいうと、あらゆるタイプのスポーツウェアをスマートに着こなし、とりつかれたようにスニーカーに夢中になっていたことである。

'70年代後期、リバプールのマーシーサイドでスリーストライプマニアが登場したころ、アディダスはマンチェスターでも、珍しいモデルを手軽に買うために海外へ出かける人たちの心をつかんだ。小規模ながら、デザイナーズスポーツウェアやシューズの世界でもヤミ取引が行われるようになり、それは伝染病のように'80年代初期のイギリスに広まっていった。関係していたのは大部分がサッカーの応援でケンカをするような若いギャングで、これがカジュアルス (臨時労働者、浮浪者といった意味がある) と呼ばれるゆえんである。当時のイギリスは不況下にあり、彼らの生活の何もかもが最悪の状態にあるといってよかった。そして都市の貧困と荒廃、就職難、職があってもひどい低賃金という現実に直面した若者たちは、そんな仕事には目をくれず、代わりに独自のファッションを楽しむことにしたのである。

カジュアルスのムーブメントは、大都市のナイトクラブを経由してイギリス中に広まり、流行の域にまで達した。ラコステ、フィラ、エレッセ、セルジオタッキーニ、ベネトンといったブランドは正規販売店とブラックマーケットの両方に大量の供給を求められ、ショッピングと万引リストの最重要アイテムとなった。

全体のコーディネーションは絶えず変化し、地域によって異なりはしたものの、共通点はスニーカーを履いていること。ホロウェイ通りを闊歩する陽気なロンドン子はナイキのウインブルドン、ロイスのジーンズ、フィラのボルグモデルのポロシャツ、ディアドラの ボルグエリートを身につけ、オールドトラフォードの観客席を粋に歩くスケール・ジャケットのマンチェスター・ファンは、セミフレアのパンツにアディダスのダブリンをコーディネイトしていた。

こちらは2012年に制作されたカジュアルスをテーマにしたドキュメンタリー映画です。

www.youtube.com

 

カジュアルスが愛したスポーツブランド、ゴーラ

'77年にローマで行われたサッカーのヨーロッパカップの決勝で、リバプールサポーターは、フレミングスのフレアジーンズ、リーバイスのタータンチェックのシャツを着て、スニーカーはゴーラ(イギリスのスポーツブランド) のコブラだった。

ゴーラは1905年、イングランドでスポーツシューズメーカーとして創業しました。

www.gola.co.uk

↑のイギリス本国サイトによると、ゴーラの人気が高まったのは1960年代から。

1970年代からは、サッカーシューズやウェアのブランドとして人気が高まりました。

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ゴーラを代表するアイテムが、ハリアーというトレーニングシューズ

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そして、↓の女性が手にしている、ゴーラバッグです。

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現在、ゴーラはイギリス本国やアメリカではスニーカーを中心としたスポーツブランドとして多くの商品を展開しています。

www.instagram.com

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日本では本格的に展開していないようですが、並行輸入と思われる商品ならばAmazonや楽天市場で入手可能です。

 

 

リバプールのストリートを席巻したアディダス、サンバ

「スニーカー・スタイル」から続けて引用します。

それからしばらくすると、リバプールFCのホームグラウンドであるアンフィールドと、 エバートンのホームグラウンドのグッディソンパークでは、タイトフイットのパンツ、ドレスシャツを身につけて、アディダスのサンバ (もしくは低価格なパンパやマンバ)を履いたサポーターを多く見かけるようになり、しばらくするとリバプールのごく普通のストリートでも同様の状況となった。

アディダスのサンバは、ここ数年で一番人気を集めたスニーカーと言えるでしょう。

https://www.pinterest.jp/pin/3518505938424211/

サンバが再ブレイクしたきっかけは、グッチとのコラボでした。

https://www.pinterest.jp/pin/48906345946471741/

こちらは廉価版のマンバ

https://www.pinterest.jp/pin/32440059808805230/

リバプールの仲間たちが誇示する珍しいアディダスのスニーカーは、ヨーロッパ各地を旅行して手に入れたモデルだった。こうした旅行者にとって幸運だったのは、ほとんどの店が最低1足は各モデルを常備していたことだろう。

 

カジュアルスがスポーツウェアを愛した経済的な理由

当時、カジュアルスたちは何故「ヨーロッパ各地を旅行」していたのでしょうか?

書籍「ストリート・トラッド」のカジュアルス(「ストリート・トラッド」では「カジュアルズ」と表記)の項から、その理由を引用します。

当時、サッカーはワーキングクラスに人気のスポーツだったが、同時にお金のかかる趣味で もあった。1980年代初頭のイングランドのサッカーチームは強豪揃いで、国内を離れてヨーロッパ大陸を舞台に活躍していたため、ファンはサポートするチームを追いかけ、ヨーロッパ各地へ観戦に行く必要があったからだ。

サッカー観戦にすべてを懸けていたカジュアルズは、低賃金の労働で稼いだお金をこつこつと貯めては、おしゃれと旅費ですべて使いはたすような生活をしていた。

カジュアルスの中心はワーキングクラスの若者。低賃金で働く彼らにとって、「生き甲斐」であるとはいえ、ヨーロッパ各地に赴くことは簡単ではありませんでした。

カジュアルスのファッションスタイルがスポーツブランドメインだったことは、そういった経済事情ゆえでした。

高級ブランドの服と比べると安いと思われるスポーツウェアでも、名のあるブランド品となると、彼らにとっては十分高価なもの。それでも彼らがおしゃれにこだわるのには理由があった。

海を渡り、イタリアやフランスのスタジアムに行くと、そこにはまるでショーウィンドウから抜け出してきたような、おしゃれな服装の人たちが客席を埋め尽くしていた。みずからが応援するイングランドのチームこそが、世界最高であると考えていたカジュアルズは、彼らに負けないようにおしゃれをしなければならないと考えたのだ。

ブランドのロゴが目立つようにデザインされた服を着るようになったのは、そうしたアピールのためだと考えられる。

 

イギリスで生まれたスポーツという概念

そもそも、サッカーはなぜ労働者階級に人気のスポーツなのでしょうか?

その理由を辿っていくと、スポーツという言葉の起源にまで遡ります。

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