山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

2004年『メンズエッグ』から分析する「お兄系」の絶対条件と「センターGUY」の最期。

目次:

 

政治や経済も強く関係するファッションの成立過程

今回ご紹介するのは『Men's egg』2004年11月号です。

『Men's egg』と言えば、お兄系。“ファッションアーカイブ”ではこれまで何度もお兄系をご紹介してきましたが、その理由は僕が、2000年代以降の日本のメンズファッションで最大のムーブメントがお兄系である、と考えているからです。

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こちらの記事でも触れていますが、近年は感度の高い若者の間でお兄系が復活しつつあります。その理由はやはりお兄系が個性的だからではないかと考えています。

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お兄系は2000年代のディオール・オムでエディ・スリマンが打ち出したモードロックスタイルに強い影響を受けています。

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歴史を遡ると、お兄系の先祖のひとつと言えるのが1990年代後半に流行した「V男」

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さらに遡ると、1990年前後のストリートファッション、渋カジもお兄系の先祖と言えるでしょう。

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そんな渋谷が「ファッションの街」となったのは、渋谷パルコが生まれた影響が少なくありません。

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と、いう風にファッションの成立過程にはカルチャーだけでなく、政治や経済も強く関係しています。

 

2004年の日本経済

ということでまずは、2004年当時の日本経済の状況をざっくりと振り返ってみます。

参考にするのは内閣府が出している「日本経済」というレポート。(強調引用者以下同)

www5.cao.go.jp

当時は景気が回復基調にあったようです。

2003年後半から2004年初めにかけて、海外経済が急速に回復するなかで、比較的高い投資や消費の伸びに支えられて景気回復の勢いが増していく動きがみられた。こうした高い成長と比べると、2004年央には、成長の勢いはやや鈍化したが、これは、海外経済の減速や情報化関連財の調整などもあり輸出や生産が弱含んだことに加え、台風等の天候要因が消費や設備投資に影響を与えたことも反映している。基本的には、企業収益が増加し、それが雇用の改善を通じて消費にも好影響を及ぼすという景気回復の基調に大きな変化はみられない。

1ドルは110円前後で推移。今の感覚からすると円が相当な強さ。

為替レートについては、2004年初の105円前後の水準から年央にかけてやや円安となり、110円前後で推移したが、アメリカの経常収支赤字の持続性に対する懸念から11月には一時102円台まで円高となった。ただし、12月に入ってからは、再び円安方向に動いている。

2000年代は中国の伸びが顕著でしたが、2004年は一服していた模様。

海外経済については、アメリカ経済が2004年初めまでの比較的高い成長からやや減速し、中国経済も投資の伸びが抑制措置により鈍化した。このため、日本の輸出は2004年央以降やや弱含みとなった。中国については、2004年後半に入っても成長の減速はわずかなものにとどまっており、しばらくの間は引締め的政策が続く可能性が高いが、アメリカについては2004年後半には一時の減速から持ち直しつつある。こうした状況のなかで、日本の輸出は弱含んでいるものの、減速の度合いが増しているという状況にはない。

我々庶民は所得は増えていないながらも、将来不安が和らいでいたので、消費を増やしていました。

家計部門については、失業率の低下によって雇用不安が減少するなど、雇用の改善が消費の回復に貢献している。90年代に上昇した労働分配率の引下げを目指して企業が引き続き労働コストを抑制する姿勢をみせていることから、家計の所得は景気回復の割には増加していない。しかしながら、雇用環境の改善が続いていることによって将来不安がやわらぐなかで、家計は、マインドの変化に敏感な耐久財消費を中心に消費を増やしており、また、住宅についてもこのところ増加がみられている。

この頃はデジカメやDVDレコーダーなどのデジタル家電が人気だったようです。。

2004年後半になってから輸出や生産の伸びが鈍化してきたことの一因としては、既に述べたように、内外における情報化関連財の生産・在庫調整の進行がある。2004年初めの段階では、既に先行して普及していたデジタル・カメラに加え、DVDレコーダ、薄型テレビといったいわゆるデジタル家電についても価格の低下によって普及が一段と進むことが期待されたことに加え、オリンピックによる需要の盛り上がりも期待される状況にあった。

また、2004年に話題になったのが、ニート

ニートについて、書籍「現代日本経済史年表 1868~2015年」から引用します。

ニートは NEET (Not in Education, Employment or Training)の略である。厚労省が2004年版『労働経済白書』の中で若者の厳しい雇用情勢を反映して働く意欲がなく職探しもしない無業の若者の数を初めて推計した。03年には52万人で前年より4万人増え、増え続けているフリーターや 高止まりしている失業率に加え、若年雇用対策の課題となっていることを明らかにした (05年3月内閣府推計では約85万人)。10年前と比べると27 %も増加している。ニートが発生する背景は90年代以降、企業は採用の対象を「即戦力」におき、高卒を採用して社員教育を施していく余裕がなくなり、若者の正規雇用を減少させ、若者の雇用が不安定になった。同時に、正社員となった若者も労働強化がすすんで、企業への拒否反応を生じさせいる。また家庭でも親が成人した子供を家庭に抱え込んだり、まったく放置したりして働かない若者を生み出している。

ということで、2004年当時の日本経済をざっくりまとめると、景気は回復基調で庶民も積極的に消費をしていたということです。

 

お兄系の基礎が築かれた2004年

さて、改めて『Men's egg』2004年11月号の表紙です。並ぶモデルたちの服装はこれぞお兄系、という雰囲気ですが、今多くの人が思い浮かべるお兄系の基礎は2004年頃に築かれたと思われます。

“今季のお兄系重要キーワードは「セクシー」「ゴージャス」「ハード」”とあります。確かに、お兄系の要素を言葉にすると、この3つになるように思えます。

お兄系はこの後も進化を続けます。そして、お兄系の最終形態が現れるのが2011年頃です。

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表紙裏はココルルの広告。

お兄系特集。右ページ、ジョイさん着用のシワ加工のレザーコートにVネックででかでかとプリントが入ったTシャツはまさにお兄系という雰囲気。

せっかくお兄系の三大要素を挙げてくれているので、それぞれを細かく分析してみましょう。まずは“セクシー”。トップスはかなりタイトなシースルーシャツ。

カットソーはVネック、シャツは第三ボタンまでざっくり開けられています。つまり、“セクシー”とは肌見せのようです。

 

ライダースジャケットがお兄系と親和性が高い理由

続いて、“ハード”。アウターはライダースジャケットが軸。

ライダースジャケットはこの後何年もお兄系の定番アイテムのひとつとして、君臨し続けます。それだけ、ライダースジャケットはお兄系と親和性が高かったということですが、その理由はなんでしょう?

ライダースジャケットの起源は諸説ありますが、戦闘機のパイロットのためのミリタリーウェア、あるいはバイク乗りのためのギアだとされています。どちらにしても、ファッションが目的ではなく、機能性を追求して開発された服だと言えます。

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そんなライダースジャケットがファッションアイテムとして脚光を浴びるきっかけになったのが、1954年公開のアメリカ映画「The Wild One(邦題:乱暴者)」です。

第二次世界大戦終戦後、帰還した兵士がバイクに乗ってカリフォルニアを暴れまわる「バイカーズ」と呼ばれるアウトロー集団になりました。

「バイカーズ」をモチーフにした映画である「The Wild One」は大ヒットし、主演を務め一躍トップスターに登りつめたマーロン・ブランドの白Tシャツにライダースジャケットを羽織ったスタイルを模倣する若者が急増したのです。

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このときにマーロン・ブランドが着用していたライダースジャケットはアメリカのデュラブル社製と言われており、今もマーロン・ブランドの着用モデルを模した復刻版がつくられています。

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また、このときにマーロン・ブランドが着用していたジーンズはリーバイス501エンジニアブーツはチペワのものだったようです。

余談になりますが、このときにマーロン・ブランドが着用していたリーバイス501はカスタムが施されていたようです。

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ロールアップしているアウトシームの部分、いわゆるセルビッジ・耳の部分の紺の部分が異様に太く見えます。50年代前半以前の501のアウトシームの幅は細めなのが特徴の一つです。

写真から見るとアウトシームの縫い合わせを一旦解いて、幅を詰めて再び縫い合わせた様な加工がされている様に見えます。

また、インシーム側もデニムの生地表面部と思われる紺色の部分が見えます。通常はインターロック縫いで紺色の部分は見えません。

恐らくアウトシームとインシーム両側からサイズを詰めていると思います。裾の部分の折り返し部の紺色の幅から、かなりサイズを詰めていると思われます。

ジーンズは当時はワークウェアでシルエットのバリエーションもなかったため、若者達の間では加工して穿いていたりもしたようです。

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さて、ライダースジャケットに話を戻りましょう。

「The Wild One」は第二次世界大戦後に公開されましたが、そこから時代を少し遡って第二次世界大戦の頃、ナチスドイツの秘密警察、ゲシュタポがダブルブレストのレザーコートを制服として着用していたこともあり、当時ダブルブレストのライダースジャケットには悪を象徴のようなイメージがありました。

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「バイカーズ」は自分たちのアウトローのイメージを強調するため、好んでライダースジャケットを着用していました。ここから、革ジャンには「ワル」のイメージが定着します。

映画が正式に公開されなかったので時間はかかりましたが、「The Wild One」の人気は海を超えてイギリスまで波及します。

「The Wild One」はその反社会的な内容から、イギリスでは1968年まで公開を認められませんでした。ですが、イギリスの若者たちはアメリカからの噂話や、映画の宣伝用ポスター、雑誌の写真などから「バイカーズ」の要素を取り入れていきます。

それと並行して、1960年代初頭のロンドンでは夜な夜なカフェに集まり、ロックンロールを聴き、オートバイで爆音を撒き散らす不良少年がいつしか「ロッカーズ」と呼ばれるようになりました。

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このバイカーズとロッカーズがいわゆるロックファッションのルーツとされています。

「The Wild One」が公開されたのが1954年

そして、この記事でご紹介している『Men's egg』が発売されたのは2004年

半世紀の時間を経て、どころか2024年現在もライダースジャケットはワルなファッションの象徴であり続けています。

 

「ワル」たちが好むスタッズの歴史

さて、『Men's egg』誌面の“ハード”のページに戻りましょう。

スタッズ付きや大きいバックルなど、インパクトのあるベルトも、この後長い間お兄系の定番アイテムとして君臨し続けます。

スタッズ付きのベルトは18世紀から使われていたようですが、お兄系のベルトデザインの直接的なルーツは、1930年代頃からアメリカのカウボーイが着用していたベルトでしょう。

多数付けられたスタッズや、大きなバックルのベルトを着用するカウボーイの写真は数多く残っています。

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その後、特にスタッズはライダースジャケットのカスタムに用いられるようになり、「バイカーズ」や「ロッカーズ」などのワルを象徴するデザインとなっていきます。

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その後、1970年代に生まれたパンクスはスタッズによる装飾を過剰な域まで発展させました。

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パンクスの成立過程については、こちらの過去記事をご覧下さい。

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アニマル柄をファッションに取り入れたクリスチャン・ディオール

誌面に戻ります。“セクシー”“ハード”に続く第三のキーワード、“ゴージャス”ファーやベロアなどの素材がポイントのようです。

柄は花柄やアニマル柄。特にアニマル柄はお兄系を象徴する柄ですね。

アニマル柄をファッションに取り入れたのは、20世紀のモードを創り上げた伝説的なデザイナー、クリスチャン・ディオールです。

ファッションにヒョウ柄という言葉が登場したのは1940年代のことだ。それまでヒョウといえば文字通り、動物の皮でしかなかった。当時の毛皮は大金持ちだけが手にすることのできるエキゾチックな憧れの対象だったのだ。ところが1947年2月、クリスチャン・ディオールというデザイナーは初コレクションで大胆にもヒョウ柄の服を登場させた

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1947年のクリスチャン・ディオールの初コレクションと言えば、「ニュールック」が発表された、伝説的なコレクション。

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そのコレクションで、クリスチャン・ディオールはヒョウ柄のドレスを発表します。

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その後、ヒョウ柄はクリスチャン・ディオールのシグネチャーのひとつとなりました。

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アニマル柄=毛皮=お金持ち、というイメージはこの頃から変わっていません。

上掲の「V系」の系譜を組むお兄系ではゴージャス感、今で言うところのラグジュアリー感も重要

こうやって、ラグジュアリー感を強調できるアニマル柄は、お兄系の定番デザインとして残り続けることになります。

 

2004年お兄系周辺スタイル

このように、2004年の時点でお兄系デザインの核はほぼ出来上がっていたことがわかります。

しかしながら、この次の“主要人気ブランド秋の催促アイテムNEWS”を見ると、『Men's egg』が打ち出すテイストはまだ幅が広かったことがよくわかります。最初に登場するのはポップなサーフ系

お次はストリート系

このバズスパンキーというブランドは、お兄系人気が本格化してからも、こういったポップなスタイルを貫いていた記憶があります。

左ページが古着屋から端を発し、後にお兄系ブランドの代表格となるバッファローボブズ

こちらもザ・お兄系といった雰囲気。

ですが、他ブランドを見ると明らかにお兄系的デザインを打ち出していたブランドはまだ少数だったようです。

次の“ストリートのリアルなトレンドとメンエグイチオシのファッションニュースをコラム形式で送る「ストリサ」”というページも、ちょっとハードな印象のアメカジという雰囲気。

 

今どきガバーナを持ってない人は…いないよね?

右ページはブルガリやカルティエなどのアクセサリーが中心のブランドアイテムの通販

ドルチェ&ガッバーナは“ストリート人気No.1ブランド!!今どきガバーナを持ってない人は…いないよね?”とのこと。

当時大人気だったディオール・オムのTシャツも。エディ・スリマンのデザインにしては陳腐に思えますが…本物でしょうか。

レッドリーチュエという、読者モデルのブランドの特集。

こちらもかなりお兄系濃度が高くなっています。

盛り盛りのスタッズ、でっかいバックルのそして、ブーツカットのジーンズ

ブーツカット、ベルボトム、パンタロン、昔はラッパズボンなどとも呼ばれましたが、ここではフレアパンツで統一します。

フレアパンツの人気が最も高かったのが、1960年代から70年代にかけて。

当時流行していたのは、20世紀最大のユースカルチャーとも呼ばれるヒッピーです。

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ヒッピーが生まれた歴史的背景とその後については、こちらの過去記事で詳しくご紹介しています。

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「ラブ&ピース」が合言葉のヒッピーを「ワル」として括るのはちょっと無理がありますが、レザーのフリンジや刺繍など、一部のお兄系ブランドはヒッピー的なデザインを取り入れるお兄系ブランドも一部はありました。

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ですが、この後エディ・スリマンによるディオール・オムの人気が爆発的に拡大し、メンズのパンツはスキニーパンツ一択という状態になったことにより、お兄系のフレアパンツは縮小していきます。

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“L.A.&N.Y.アメリカ買い付けツアー完全リポート”。忙しかったそうです。

 

 マルイ系も登場するストリートスナップ

左ページからは“ストリートファッションスナップ”。

やはり、お兄系黎明期だけあって、ストリート、サーファー、コムサ・デ・モードを着用しているマルイ系っぽいのなど、スタイルの幅が広め

厳密にお兄系と呼べるのは、半分くらいでしょうか。

2004年がお兄系黎明期であったことは、次ページの“東京SHOOP行脚”からもよくわかります。デザートスノーやダメージドーンなど今も人気の古着屋が登場。もちろんこの当時からアメカジを主軸にしているので、取り扱っているのはお兄系スタイルの軸にはなりづらいアイテムばかりです。

 

「盛った」髪型こそがお兄系である

そんななか、これぞお兄系!と言えるのがヘアスタイルのページ。

「盛った」髪型がこれでもかというくらい並びます。

短髪も載っていますが、やっぱりお兄系っぽくないんですね。以前の記事でも同じように表現しましたが、こうやって見ていると髪型を盛ってさえいれば服はどんなのでもお兄系になるのではないか、なんて思えてきてしまいます。

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例えばこちらの広告。“リアルアメカジ”を謳うブランドですが、盛った髪型のモデルのおかげでお兄系っぽく見えてきます。

 

 メンエグ的トランス史

左ページからは“トランスは死なず!?”という特集。

リード文には“『トランス』という音楽がクラブシーンに浸透してから、もう約5〜6年が経過しようとしている”“流行から定番サウンドとして進化してきたトランス”とあります。

“主要クラブ発!トランスイベントNOW”という、イベントレポート。余談ですが僕のクラブ経験は大学生の頃に何度かのみ。そもそも、夜遊びというのは性に合いませんでした。

右ページは“トランサーSNAP最新版!”。

左ページは“メンエグ的トランスヒストリー”は、意外にも(失礼!)しっかりとした内容なので、書き起こしてみました。

トランスの歴史はとても古く、ジャンルもゴア、サイケ、エピック、ジャーマン、ダッチ、ユー 口、UKなど多種多様である。今でこそトランス= エピック&ユーロという図式だが、95年~98年 はトランス=ゴア&サイケデリックのことを指していた。イベントもレイブが中心であり、世間一般の認知も少なかった。が、99年に事態は一変する。 ダッチトランスの代表格システムFによる「Out Of The Blue」のリリースである。これが現 トランスブーム(エピックトランス)の起爆剤とな る。そんな中、日本初のエピックトランスのイベン トとして「SOUND COLLECTION」がCODEでスタート。あまり人々に知られていなかったトランスというジャンルを、万人に深浸(ママ)させることに成功。そして、毎回集客数2000人以上を誇るマンモスイベントとして一躍人気を集めることになる。その後、2001年に「Cyber TRANCE」 が Velfarreで開始。当初は外人のレイバーを中心とした客層であったが、瞬く間に一般層に広まり集客数 1500人をオーバーするビッグイベントに成長。 トランスをギャル、ギャル男に認知させたのも同イベントで、現トランスフームの立て役者と言える。 同時期に「TOKYO RAVE」がFURAで始まる。こちらも1000人を超える動員数を誇り、トランスブームを完全なモノに確立していく。その後、FURAの終了と共に「TOKYO RAVE」はATOMへと移項(ママ)し、「TRANCE RAVE」を始めとしたトランスのヒットイベントを 次々と世に送り出す。ちなみに、2002年からス タートした本誌主催の「men's egg night」 も毎回キャパオーバーの大イベントへと成長を遂げ、 今ではトランスシーンを代表する人気イベントの一つにまで成長。現在、大箱では「Velfarre」「ATOM」「CORE」、小箱では「M'S」などが東京のトランスシーンを盛り上げている。

そして、“トランスの“いま””。古着マニアとしても知られるDJ DRAGONはトランスのDJだったんですね。

“メンズエッグナイト”のレポート。

 

センターGUYが登場から13ヶ月で終了

左ページは“グッバイ!センターGUY”という企画。

↓の記事でご紹介したセンターGUY特集の 『Men's egg』は2004年3月号。“元GUYに質問!”では、センターGUYを辞めた理由は“流行りに乗ってないとモテないから”“パンピーに舐められるから”だそうです。

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次ページ。

“とっくに卒GUYしてた人々を追うっ!”ではセンターGUYを辞めた理由を“なんか化粧をしてる自分が急に怖くなった”“恥ずかしさに気づいた”と語っています。“まだ続けたかったのにな…チクショー”と語っている“梅しゃん”は、後に『Men's egg』の看板モデルからタレントになる梅田直樹さんですね。

“メモリアルGUYカルチャー”ではセンターGUYの歴史が綴られています。“センターGUYがメディアに初登場!”したのが2003年の10月号。今号は11月号なので、このたった13ヶ月後でセンターGUYブームは終了してしまったようです。

ここからはミニ企画ページが続きます。“メンエグカー倶楽部”はハマーやランクル。

読者モデルの地元を紹介する“街ナビ!”。ジョイさんは高崎。

海老名、春日部、桶川。

“マイナー県でギャル&ギャル男を探せ”という、面白い企画。山口県と徳島県が“ギャル男が少ない県”だったそうです。

過去1年の読者アンケートを集計した左ページの“ギャル&ギャル男指数マップ”も面白いです。