山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

【2001年】世界最高峰メンズファッション誌『MR』20周年特集の他では読めない貴重なデザイナーインタビュー。

目次:

 

僕が一番好きなファッション誌『MR』

“ファッションアーカイブ”では数多くのファッション誌をご紹介していますが、僕が一番好きなファッション誌は何か、と聞かれると、その答えは『MR』一択です。

『MR』はミスターハイファッションの略。

主にデザイナーズブランドを扱う『ハイファッション』というレディスファッション誌

のメンズ版として始まりました。

『MR』も『ハイファッション』同様、主に扱っていたのがデザイナーズブランドで、僕がファッションに最も熱中していた大学生時代の1998年〜2002年頃は、パリやミラノのコレクション(ファッションショー)の写真やデザイナーのインタビューなどを穴が空くほど熟読していました。

『MR』はそのファッションに関するページだけでなく、アートや音楽など様々な分野の読み物なども読み応えがたっぷりで、その知的な雰囲気と卓越した誌面のクオリティは今も高く評価されています。

ですが、『MR』は2000年代に入りレディスの『ハイファッション』と統合され、その後2010年に休刊となってしまいました。

 

増えるラグジュアリーブランドのクリエイティブディレクター

今回ご紹介するのは『MR』2001年12月号。僕が読んだことのある『MR』のなかでも特に何度も繰り返し読んだ号です。

グッチ広告。当時のグッチのクリエイティブディレクターはトム・フォード。1990年代終盤から若手のデザイナーをクリエイティブディレクターとして迎えて若返りを図るラグジュアリーブランドがちらほら出ていましたが、2001年はそれが多くのラグジュアリーブランドに波及していました。

ヘルムート・ラング広告。もちろん、ヘルムート・ラング本人が手掛けていた時代です。

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エンポリオ・アルマーニ。

ルイ・ヴィトン。当時のクリエイティブディレクターはマーク・ジェイコブス

カルバン・クライン。

イブ・サンローラン。なんと、この頃はトム・フォードがグッチとイブ・サンローランのクリエイティブディレクターを兼任していました。

ディオール・オム広告。エディ・スリマンがクリエイティブディレクターに就任したばかりで、まだ人気が本格的に爆発する前ですが、既にエディ節が強く感じられるミニマムなヴィジュアルです。

 

貴重なデザイナーのファックスインタビュー

ここからは『MR』創刊20周年特別企画“デザイナーが撮ったポラロイド写真と、ダイレクトなFAXメッセージ”という特集。

『MR』以外にはまず不可能であろう、まさにオールスターなデザイナーが登場しています。

登場するのはアルファベット順です。トップバッターはインタビューに応じるのはかなり稀だと思われるデザイナーのひとり、アニエス・ベー

ズッカ、カバン・ド・ズッカの小野塚秋良。後で登場しますが、当時はカバン・ド・ズッカの腕時計が大人気でした。

アレッサンドロ・デラクア。後にヌメロ ヴェントゥーノを手掛けるようになりますが、当時は彼自身の名を冠したブランドを展開していました。

アレキサンダー・マックイーン。撮影しているのは、彼のアトリエ。アレキサンダー・マックイーンの服を着たビョークのビジュアルも見えます。ファックスインタビューの最後に“月:10月16日にショップがオープンするので東京に行く。MRは接待するように。”と書いているのが、洒落がきいてていいですね。

 

アレキサンダー・ヴァン・スロベ。オランダのデザイナーで、彼が手掛けていたSO by アレキサンダー・ヴァン・スロベはアーティスティックな作風で当時人気でした。

アントワープ王立美術アカデミーを卒業し、マルタン・マルジェラやドリス・ヴァン・ノッテンらと共に「アントワープシックス」と称されるアン・ドゥムルメステール。彼女のインタビューも非常に貴重です。カールした髪の毛が写っているように見えるポラロイド写真は“アン・ドゥムルメステールのセルフポートレート”だそうです。

ATOの松本与。彼のインタビューもほぼ見た記憶がありません。

ニューヨークを代表するデザイナー、カルバン・クライン

独特の作風でカルト的人気だったオーストリアのデザイナー、キャロル・クリスチャン・ポエル

90年代に人気だったブランド、ジグソーのデザイナーを務めていたクリス・ベイリー

アイウェアブランド、クリスチャン・ロスのクリスチャン・ロスとエリック・ドメージュ。

今は「Uniqlo Uの」と言ったほうが通じるであろう、クリストフ・ルメール。この頃はラコステのクリエイティブディレクターを務めており、後にエルメスも手掛けるようになります。

アントワープシックスのひとり、ダーク・ビッケンバーグ

ドルチェ&ガッバーナのドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッバーナ。2024年の今の感覚からすると意外ですが、ドルガバは1990年代後半で最も人気が高かったデザイナーズブランドのひとつでした。

ヴェルサーチ、現ヴェルサーチェのドナテッラ・ヴェルサーチ。ブランドの創始者、ジャンニ・ヴェルサーチの妹です。

ドリス・ヴァン・ノッテン。ポラロイドに写っているのは、スタッフの手。

コスチューム・ナショナルのエンニョ・カパサ。彼はヨウジヤマモトでアシスタントを務めていたこともあります。

トラサルディのフランチェスコ・トラサルディ。トラサルディ家の長男でこのときは社長兼デザイナーだったようです。

サムソナイトブラックレーベルのジジ・ヴェッツォーラ。

 

 大ブレイク前のエディ・スリマン

ディオール・オムのエディ・スリマン。この頃、既にディオール・オムはファッション好きの間ではかなり話題になっていましたが、まさかこの後2000年代の世界のメンズファッション全体に多大な影響を与えるようになるとは、想像していなかったでしょう。

A.P.C.のジャン・トゥイトゥ

カステルバジャックのジャン・シャルル・ドゥ・カステルバジャック。ポップなデザインが特徴のカステルバジャックの服は、最近ちょくちょく前衛的な古着屋さんで見かけるようになりました。

ジョー・ケイスリー・ヘイフォード

 

高橋盾が選ぶエポックメイキングとなったコレクション

アンダーカバーの高橋盾

エポックメイキングだったコレクションは?という質問に1999年春夏の“RELIEF”と答えています。デニムの色落ちやアタリで服のディティールを表現したアンダーカバーのレリーフ期は、ストリートとモードがうまい具合にミックスされた、極めてアンダーカバーらしい大好きなシーズンです。

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渡辺淳弥メンズデビューに対しての川久保玲の言葉

僕個人的にビッグネームが続きます。

高橋盾の次は、ジュンヤワタナベコムデギャルソンマンの渡辺淳弥

レディスのジュンヤワタナベコムデギャルソンを長年手掛けてきた渡辺淳弥が、ジュンヤワタナベコムデギャルソンマンとして初のメンズコレクションを発表したのが2001年でした。

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デビューシーズンはリーバイスとコラボレーションをしており、このファックスインタビューでも“ベーシックの追求”という言葉が二度も出てきています。

メンズを始めるにあたって川久保玲からの言葉“経営者の立場での話は少しありました”とのことですが、どんな話だったのかは当然わかりません。

また、このファックスインタビュー特集では、川久保玲は登場しません。

 

“趣味の写真の腕はプロフェッショナルクラス”の田中啓一

メッセージTシャツの草分け的存在として知られるキャサリン・ハムネット。ポラロイドでもメッセージTシャツが登場しています。

コムデギャルソンオムの田中啓一。僕が大好きなデザイナーのひとりです。キャプションでは“趣味の写真の腕はプロフェッショナルクラス”と書かれていますが、ポラロイドを見るとそれも頷ける素晴らしさ。

最後の『MR』が創刊された1981年に何をしていたか?という質問に対する答えが面白いです。

3年間勤めた会社を辞め、文化服装学院にいたころだと思います。当時は、ニューウ エーブ、テクノ、パンクが共に全盛でクラブ活動には事欠きませんでした。(もっともそ のころはまだクラブとは言わずにディスコと言っていましたが) 新宿のツバキハウスに “文化”の学生だと言ってよくタダで入れてもらいました。学校は休まず行き、徹夜で遊ぶという、今では考えられない体力を持っていたように思います。ジルボーがデザインするBALLというブランドのブルゾンを着て、トーキング・ヘッズのコンサートに行ったとき、ふと振り返ると色までおそろいのブルゾンを着た坂本龍一が立っていたのもその当時の思い出です。

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グラフィカルなカシミアニットがシグネチャーアイテムのルシアン・ペラフィネ

 

マルタン・マルジェラ一問一答

メゾン・マルタン・マルジェラ。マルタン・マルジェラのメンズライン、マルタン・マルジェラ10のデザイナーの名義がメゾン・マルタン・マルジェラとなっていますが、ファックスインタビューはマルタン・マルジェラ本人が答えているのではないかと思われます。これほど数の多い質問にマルタン・マルジェラが答えているのは非常に貴重だと思います。

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