目次:
- 僕が一番好きなファッション誌『MR』
- 増えるラグジュアリーブランドのクリエイティブディレクター
- 貴重なデザイナーのファックスインタビュー
- 大ブレイク前のエディ・スリマン
- 高橋盾が選ぶエポックメイキングとなったコレクション
- 渡辺淳弥メンズデビューに対しての川久保玲の言葉
- “趣味の写真の腕はプロフェッショナルクラス”の田中啓一
- マルタン・マルジェラ一問一答
- ラフ・シモンズがリスペクトするデザイナー
- 別格扱いのトム・フォード
- 草間彌生とジュンヤワタナベマン
- コムデギャルソンオムプリュス・フォー・ディストリクト
- 2002年春夏パリコレ筆頭はディオール・オム
- デザイナーのアトリエ探訪
- 読み応えのある連載の数々
僕が一番好きなファッション誌『MR』
“ファッションアーカイブ”では数多くのファッション誌をご紹介していますが、僕が一番好きなファッション誌は何か、と聞かれると、その答えは『MR』一択です。
『MR』はミスターハイファッションの略。
主にデザイナーズブランドを扱う『ハイファッション』というレディスファッション誌
1Fファッションフロアより
— 神田神保町 小宮山書店 / KOMIYAMA TOKYO (@komiyama_tokyo) 2023年12月17日
年末の整理整頓の合間を縫って #mrhifashion #ミスターハイファッション のストックから1995年no.72〜2003年no.112の 18冊程店頭に出しました。#コムデギャルソン #エディスリマン #ヴィヴィアンウエストウッド
#山本耀司 #アントワープとパリ 等の特集を見逃すな‼️ pic.twitter.com/3XO51Ky15A
のメンズ版として始まりました。
『MR』も『ハイファッション』同様、主に扱っていたのがデザイナーズブランドで、僕がファッションに最も熱中していた大学生時代の1998年〜2002年頃は、パリやミラノのコレクション(ファッションショー)の写真やデザイナーのインタビューなどを穴が空くほど熟読していました。
『MR』はそのファッションに関するページだけでなく、アートや音楽など様々な分野の読み物なども読み応えがたっぷりで、その知的な雰囲気と卓越した誌面のクオリティは今も高く評価されています。
ですが、『MR』は2000年代に入りレディスの『ハイファッション』と統合され、その後2010年に休刊となってしまいました。
増えるラグジュアリーブランドのクリエイティブディレクター
今回ご紹介するのは『MR』2001年12月号。僕が読んだことのある『MR』のなかでも特に何度も繰り返し読んだ号です。
グッチ広告。当時のグッチのクリエイティブディレクターはトム・フォード。1990年代終盤から若手のデザイナーをクリエイティブディレクターとして迎えて若返りを図るラグジュアリーブランドがちらほら出ていましたが、2001年はそれが多くのラグジュアリーブランドに波及していました。
ヘルムート・ラング広告。もちろん、ヘルムート・ラング本人が手掛けていた時代です。
エンポリオ・アルマーニ。
ルイ・ヴィトン。当時のクリエイティブディレクターはマーク・ジェイコブス。
カルバン・クライン。
イブ・サンローラン。なんと、この頃はトム・フォードがグッチとイブ・サンローランのクリエイティブディレクターを兼任していました。
ディオール・オム広告。エディ・スリマンがクリエイティブディレクターに就任したばかりで、まだ人気が本格的に爆発する前ですが、既にエディ節が強く感じられるミニマムなヴィジュアルです。
貴重なデザイナーのファックスインタビュー
ここからは『MR』創刊20周年特別企画の“デザイナーが撮ったポラロイド写真と、ダイレクトなFAXメッセージ”という特集。
『MR』以外にはまず不可能であろう、まさにオールスターなデザイナーが登場しています。
登場するのはアルファベット順です。トップバッターはインタビューに応じるのはかなり稀だと思われるデザイナーのひとり、アニエス・ベー。
ズッカ、カバン・ド・ズッカの小野塚秋良。後で登場しますが、当時はカバン・ド・ズッカの腕時計が大人気でした。
アレッサンドロ・デラクア。後にヌメロ ヴェントゥーノを手掛けるようになりますが、当時は彼自身の名を冠したブランドを展開していました。
アレキサンダー・マックイーン。撮影しているのは、彼のアトリエ。アレキサンダー・マックイーンの服を着たビョークのビジュアルも見えます。ファックスインタビューの最後に“月:10月16日にショップがオープンするので東京に行く。MRは接待するように。”と書いているのが、洒落がきいてていいですね。
アレキサンダー・ヴァン・スロベ。オランダのデザイナーで、彼が手掛けていたSO by アレキサンダー・ヴァン・スロベはアーティスティックな作風で当時人気でした。
アントワープ王立美術アカデミーを卒業し、マルタン・マルジェラやドリス・ヴァン・ノッテンらと共に「アントワープシックス」と称されるアン・ドゥムルメステール。彼女のインタビューも非常に貴重です。カールした髪の毛が写っているように見えるポラロイド写真は“アン・ドゥムルメステールのセルフポートレート”だそうです。
ATOの松本与。彼のインタビューもほぼ見た記憶がありません。
ニューヨークを代表するデザイナー、カルバン・クライン。
独特の作風でカルト的人気だったオーストリアのデザイナー、キャロル・クリスチャン・ポエル。
90年代に人気だったブランド、ジグソーのデザイナーを務めていたクリス・ベイリー。
アイウェアブランド、クリスチャン・ロスのクリスチャン・ロスとエリック・ドメージュ。
今は「Uniqlo Uの」と言ったほうが通じるであろう、クリストフ・ルメール。この頃はラコステのクリエイティブディレクターを務めており、後にエルメスも手掛けるようになります。
アントワープシックスのひとり、ダーク・ビッケンバーグ。
ドルチェ&ガッバーナのドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッバーナ。2024年の今の感覚からすると意外ですが、ドルガバは1990年代後半で最も人気が高かったデザイナーズブランドのひとつでした。
ヴェルサーチ、現ヴェルサーチェのドナテッラ・ヴェルサーチ。ブランドの創始者、ジャンニ・ヴェルサーチの妹です。
ドリス・ヴァン・ノッテン。ポラロイドに写っているのは、スタッフの手。
コスチューム・ナショナルのエンニョ・カパサ。彼はヨウジヤマモトでアシスタントを務めていたこともあります。
トラサルディのフランチェスコ・トラサルディ。トラサルディ家の長男でこのときは社長兼デザイナーだったようです。
サムソナイトブラックレーベルのジジ・ヴェッツォーラ。
大ブレイク前のエディ・スリマン
ディオール・オムのエディ・スリマン。この頃、既にディオール・オムはファッション好きの間ではかなり話題になっていましたが、まさかこの後2000年代の世界のメンズファッション全体に多大な影響を与えるようになるとは、想像していなかったでしょう。
A.P.C.のジャン・トゥイトゥ。
カステルバジャックのジャン・シャルル・ドゥ・カステルバジャック。ポップなデザインが特徴のカステルバジャックの服は、最近ちょくちょく前衛的な古着屋さんで見かけるようになりました。
ジョー・ケイスリー・ヘイフォード。
高橋盾が選ぶエポックメイキングとなったコレクション
アンダーカバーの高橋盾。
エポックメイキングだったコレクションは?という質問に1999年春夏の“RELIEF”と答えています。デニムの色落ちやアタリで服のディティールを表現したアンダーカバーのレリーフ期は、ストリートとモードがうまい具合にミックスされた、極めてアンダーカバーらしい大好きなシーズンです。
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渡辺淳弥メンズデビューに対しての川久保玲の言葉
僕個人的にビッグネームが続きます。
高橋盾の次は、ジュンヤワタナベコムデギャルソンマンの渡辺淳弥。
レディスのジュンヤワタナベコムデギャルソンを長年手掛けてきた渡辺淳弥が、ジュンヤワタナベコムデギャルソンマンとして初のメンズコレクションを発表したのが2001年でした。
デビューシーズンはリーバイスとコラボレーションをしており、このファックスインタビューでも“ベーシックの追求”という言葉が二度も出てきています。
メンズを始めるにあたって川久保玲からの言葉は“経営者の立場での話は少しありました”とのことですが、どんな話だったのかは当然わかりません。
また、このファックスインタビュー特集では、川久保玲は登場しません。
“趣味の写真の腕はプロフェッショナルクラス”の田中啓一
メッセージTシャツの草分け的存在として知られるキャサリン・ハムネット。ポラロイドでもメッセージTシャツが登場しています。
コムデギャルソンオムの田中啓一。僕が大好きなデザイナーのひとりです。キャプションでは“趣味の写真の腕はプロフェッショナルクラス”と書かれていますが、ポラロイドを見るとそれも頷ける素晴らしさ。
最後の『MR』が創刊された1981年に何をしていたか?という質問に対する答えが面白いです。
3年間勤めた会社を辞め、文化服装学院にいたころだと思います。当時は、ニューウ エーブ、テクノ、パンクが共に全盛でクラブ活動には事欠きませんでした。(もっともそ のころはまだクラブとは言わずにディスコと言っていましたが) 新宿のツバキハウスに “文化”の学生だと言ってよくタダで入れてもらいました。学校は休まず行き、徹夜で遊ぶという、今では考えられない体力を持っていたように思います。ジルボーがデザインするBALLというブランドのブルゾンを着て、トーキング・ヘッズのコンサートに行ったとき、ふと振り返ると色までおそろいのブルゾンを着た坂本龍一が立っていたのもその当時の思い出です。
グラフィカルなカシミアニットがシグネチャーアイテムのルシアン・ペラフィネ。
マルタン・マルジェラ一問一答
メゾン・マルタン・マルジェラ。マルタン・マルジェラのメンズライン、マルタン・マルジェラ10のデザイナーの名義がメゾン・マルタン・マルジェラとなっていますが、ファックスインタビューはマルタン・マルジェラ本人が答えているのではないかと思われます。これほど数の多い質問にマルタン・マルジェラが答えているのは非常に貴重だと思います。
マーガレット・ハウエル。
マーガレット・ハウエルに対する質問で、答えが秀逸なものがあったので、そのまま引用します。ここまで掘り下げた内容になっているのは、マーガレット・ハウエルだからこそでしょう。(強調引用者以下同)
Q. あなたのデザインを表現するとき、よく使われる言葉、ナチュラルとシンプルについて説明してください。
A. シンプルという言葉は誤解を招くおそれがあります。私がいうシンプルは、編集し、本質的なものだけに切り詰め、すべての不必要なディテールを排除する、ということです。実は“シンプル”とは“ソフィステ ィケーテッド”という言葉と置き換えることができます。“ナチュラル”は 素材に対して用いることができます。例えば人工的なものに対しての天然繊維、デザイン的特徴としての“ナチュラルさ”とは控えめでオー センティック、快適さなどを表わしているのではないでしょうか。
マリテ+フランソワ・ジルボーのマリテ・バシュレリーとフランソワ・ジルボー。
彼らが手掛けていたジーンズブランド、ボールやクローズドはこちらの記事でもご紹介しています。
マルティーヌ・シットボン。
マサトモの山地正倫。
モーリス・レノマ。
カルペ・ディエムのマウリツィオ・アルティエリ。「アルチザン系」の大御所ブランドですね。
プラダのミウッチャ・プラダ。こういうインタビューにミウッチャ・プラダが登場するのも非常にレアです。左ページはポラロイドではなく、プラダ財団が支援していた日本人アーティスト、森万里子の作品。
イッセイ・ミヤケ・メンの滝沢直己。滝沢直己は後にユニクロのデザインディレクターも務めます。ポラロイドはスタッフ。
ニール・バレット。左ページには、ショップを訪れている俳優の渡部篤郎のポラロイドが。
ニコル・ファリ。
ポール・スミス。
前回の“ファッションアーカイブ”でポール・スミスが川久保玲を絶賛していたことをご紹介しましたが、このファックスインタビューでも“以前からコンスタントに称賛しているのは、常に自由は精神と個性あふれる考えを持っている川久保玲さんです”と答えています。
ラフ・シモンズがリスペクトするデザイナー
ラフ・シモンズ。
“かつて影響を受けた、あるいはシンパシー、リスペクトを感じるデザイナーは?”という質問に、ヘルムート・ラング、マルタン・マルジェラ、そしてフセイン・チャラヤンを挙げています。
クロムハーツのリチャード・スターク。彼のインタビューも貴重です。
ロメオ・ジリ。1980年代には「色の魔術師」と呼ばれ、人気を博していました。
ケンゾー・オムのロイ・クライスベルグ。
「ニットの女王」ソニア・リキエル。“セーターを作ったら、あっという間にニットの女王になってしまったんですもの”と答えています。
ポール&ジョーのソフィー・アルボー。
イトーヨーカドーでポール&ジョーのランドセル売っててびっくり。 pic.twitter.com/vx8TNWkHiQ
— 山田耕史 ファッションアーカイブ研究 (@yamada0221) 2023年6月11日
アントワープ王立美術アカデミー出身のステファン・シュナイダー。
タケオキクチの菊池武夫。
ティモシー・エヴェレスト。
別格扱いのトム・フォード
トム・フォード。左下に手掛けるブランドが掲載されていますが、「グッチ」と「トム・フォード・フォー・イブ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ」となっています。なんでイブ・サンローランの前に「トム・フォード・フォー」が付くのか、当時は非常に疑問でした。
そして、トム・フォードはこの特集で唯一4ページ掲載。2001年当時のトム・フォードの「格」は、この扱いからよくわかるでしょう。
トミー・ヒルフィガー。
エルメスのヴェロニク・ニシャニアン。マルタン・マルジェラやジャンポール・ゴルチエなど、エルメスのレディスデザイナーはこれまで何人も入れ替わっていますが、メンズは1988年から今までずっと彼女が担当しています。話題になることはあまりありませんが、非常に優秀なデザイナーである証でしょう。
ヴィヴィアン・ウエストウッド。
アントワープシックスのひとりであり、今はアントワープ王立美術アカデミーで教鞭をとるウォルター・ヴァン・ベイレンドンク。
ヒューゴ・ボスのヴェルナー・バルデザリーニ。
ヨウジヤマモトの山本耀司。ファックスインタビューではなく、普通のインタビュー。
そしてトリは、ユキヒロタカハシコレクションの高橋幸宏。
コムデギャルソンシャツ広告。
草間彌生とジュンヤワタナベマン
次の特集は“草間彌生と水玉模様の赤い自動販売機。”
表紙にも登場している自動販売機です。
そして、このページからは“草間彌生と水玉模様の赤い自動販売機とジュンヤワタナベ・コムデギャルソンマン。”
先程のファックスインタビューでも登場した、渡辺淳弥が手掛けるジュンヤマンのファーストシーズン。
ジュンヤマンの服と草間彌生のドット柄とで、絶妙のコンビネーションが生まれています。
草間彌生のスタジオ。
草間彌生のフォトアルバム。
作品。
コムデギャルソンオムプリュス・フォー・ディストリクト
昨年まで原宿のキャットストリートに店を構えていた、ディストリクトユナイテッドアローズ。僕が敬愛する栗野宏文さんが手掛けていたお店です。
左ページの栗野宏文さんの文章の上下に掲載されているのが、ディストリクトの別注品として展開されていたコムデギャルソンオムプリュスのセットアップ。プリュスのショップ別注品というのは、非常に珍しいです。もしかしたら、これが唯一だったのかも?
ファックスインタビューでも触れた、カバン・ド・ズッカの腕時計。
2002年春夏パリコレ筆頭はディオール・オム
僕が『MR』で楽しみにしていたコンテンツのひとつが、コレクション画像。
今号は2002年春夏コレクション。
パリコレクションのトップはエディ・スリマンによるディオール・オム。このシーズン、『MR』がパリで最も高く評価したのがディオール・オムということです。
続いて、ヨウジヤマモト、コムデギャルソンオムプリュス。90年代はコムデギャルソンオムプリュスが『MR』のパリコレ筆頭が多かったのですが、2002年からはそうではなくなることが増えました。そしてこの頃から、僕がコムデギャルソンオムプリュスを購入することも減っていっていました。
続いて、イブ・サンローラン、ルイ・ヴィトン。
ポール・スミス、ジュンヤマン。
エルメス、リキエルオム、ラフ・シモンズ。
その他のブランドが続きます。
ミラノのトップはドルチェ&ガッバーナ。
グッチ、プラダ。
コレクションのコラム集。当時はこういうページも熟読していました。
左ページからは、各種カルチャーなどの連載。
小林秀雄と九鬼周造。
音楽はエイフェックス・ツインやコーネリアス。
デザイナーのアトリエ探訪
『MR』では毎号、デザイナーのアトリエを訪ねる企画が連載されました。今号はマイケル・タピア。
マイケル・タピアは確か、デビュー当時はパンツのみを展開していたと記憶しています。
デザイナーの仕事場だけでなく、プライベートも垣間見える良い連載でした。
この連載では他にも人気デザイナーが多数登場しています。まとめて一冊の書籍にして欲しいけど、無理でしょうねぇ。
MR99年2月号エディスリマンインタビュー。サンローラン時代。 pic.twitter.com/hkyovBJJAl
— 山田耕史 ファッションアーカイブ研究 (@yamada0221) 2018年5月23日
MR02年10月号。ポールハーデン。 pic.twitter.com/XgkvvqIHRK
— 山田耕史 ファッションアーカイブ研究 (@yamada0221) 2018年4月15日
読み応えのある連載の数々
“男の覚え書き”という著名人インタビューページ。今号は立川談志。
こちらも連載の“三十男の昨日、今日、明日”。中原昌也。
僕が楽しみにしてた連載がこちらの“かばんの中身”。スタイリストの馬場圭介。
この連載はこんな人も登場。
MR1996年12月号。
— 山田耕史 ファッションアーカイブ研究 (@yamada0221) 2021年7月13日
かばんの中身。高橋盾。 pic.twitter.com/0xIoeCZrAw
MR00年8月号。NIGO。 pic.twitter.com/dR9Hc9vH2P
— 山田耕史 ファッションアーカイブ研究 (@yamada0221) 2018年4月5日
スタイリスト、祐真朋樹の連載。
アートページ。
こういう記事も非常に充実していたので、知識と興味に広がりを与えてくれました。
『MR』の素晴らしさはまだまだ語り尽くせていないので、今後も折を見てご紹介できたらと思います。