山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

ラルフ・ローレン“徹底解剖”第一章クリエーション編。「ファッション」ではなく「ライフスタイル」をデザインした、初めてのデザイナー。

目次

 

ラルフ・ローレンは世界で8番目に売れているブランド

ラルフ・ローレン

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ファッション好きはもちろん、ファッションにあまり興味がない人にも名前を知られている、数少ないファッションデザイナーではないでしょうか。

こちらは、ユニクロやGUなどを展開するファーストリテイリング社のサイトに掲載されている、「世界の主なアパレル製造小売業との比較」。

1位はZARA、2位はH&M、3位はユニクロと、世界中に膨大な店舗を構えるグローバルブランドが並ぶ中、なんとラルフ・ローレンは8位にランクインしています。2022年4月の決算で、売上高は8,400億円

www.fastretailing.com

大雑把に言うと、ラルフ・ローレンは世界で8番目に売れているブランドです。

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ファッションブランド、特にカジュアルファッションブランドが大きな売上を必要とする場合、より多くの顧客を対象にしなければなりません。

ZARAやユニクロなどの売上ランキング上位のブランドは、一般的な消費者をターゲットにするために、低価格であることをウリにしています

ですが、それらのブランドに比べると、ラルフ・ローレンの服は圧倒的に高価です。

例えば、日本のラルフ・ローレンの公式サイトだと、定番アイテムのオックスフォードシャツは22,000円で、ユニクロと比べると約10倍の価格です。

www.ralphlauren.co.jp

そんなに高価であるにも関わらず、ラルフ・ローレンはなぜ世界8位の売上を誇るファッションブランドになったのでしょうか。

それには、明確な理由がある筈です。

 

古着ではお手頃価格のラルフ・ローレン

当ブログでこれまでご紹介してきたように、ラルフ・ローレンの服は定価が高価であるにも関わらず、古着では比較的手頃な価格で入手できます

www.yamadakoji.com

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ラルフ・ローレンの古着が低価格な理由のひとつが、供給量が多いから

世界中でラルフ・ローレンの服が沢山売れているので、古着として二次流通市場に出回る数が多く、それだけ古着としての価格も安くなります。一部の希少性が高いアイテムを除けば、品質の割にかなり手頃な価格で手に入れられます。

普通、低価格で売られているファッションブランドは、そのブランドの価値が下がってしまいます。

例えば、エルメスやシャネルといったラグジュアリーブランドのアイテムは、二次流通市場でも非常に高値です。

ブランドの価値は価格の高低と密接な関係があります。

というか、価格そのものがブランドの価値と言っても過言ではありません。

ですが、ラルフ・ローレンは手頃な価格で二次流通しているにも関わらず、今もファッションの玄人から絶大な支持を受け続けているのです。

 

玄人からも支持され続けているラルフ・ローレン

例えば…と引用したい良い記事があったのですが、運営元のサービス終了により、見られなくなってしまっています。

日本を代表する古着屋である原宿のベルベルジンの元スタッフで、現在は自身でウェブショップ「InstantBootleg」を運営する坂本一さんのインタビューです。

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幸い、当ブログ過去記事に要点部分を引用しているので、そこから再引用します。(強調引用者以下同)

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―そもそも、坂本さんにとってラルフローレンってどんなブランドですか?

うーん、ていうかラルフはずっと“アリ”なブランドなんですよ。

例えば、70年代のアイテムでさえヴィンテージとは見なさないような、骨太なアメカジの古着屋さんでもラルフローレンはセレクトされるんです。そんなに古い年代のラルフのアイテムじゃなくてもね。ジャンル問わず、いろんな古着屋さんに置かれることが許されるブランドなんです。

古着屋さんって、アメカジのファッションに憧れた人たちが店主をやっている事が多いので、やっぱりみんなラルフローレンをリスペクトしているし、単純に愛されているんですよね。

レッドウィングのようなアメカジが好きなお父さんも、若いスケーターやBボーイも等しく着られるアイテムを探してみると、選択肢って意外となくて。そんな中、ラルフのポロシャツは胸を張ってみんなに薦められるんです。アメカジとの親和性が高いことに加えて、ファッションの系統の垣根がないというのが一番のポイントですね。

それってオーセンティックってことだと思うんですよ。僕にとって、オーセンティックという概念はいろんなカテゴリーが重なり合う部分に成立するイメージ。似た言葉でベーシックという表現もあるけど、ベーシックはあくまでひとつのカテゴリーの中の根っこの部分を指す言葉ですよね。その言葉の対比で言うと、ラルフのポロシャツは誰が着ても成立するオーセンティックなアイテムだと思っています。

・世界トップクラスの売上

・その道のマニアにも支持される

このように、普通な両立不可能な芸当を実現させているブランドは、ラルフ・ローレンだけだと思います。

ではそれを実現させている理由は?

様々な文献を調べてみると、創業者であり、デザイナーであり、経営者であるラルフ・ローレン自身にその理由があったことがわかりました。

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着る人のライフスタイルを想像してデザインする

まず参考としてご紹介するのが「ELLE HOMME」1992年5月号です。

1945年創刊のファッション誌「ELLE」の男性版。その創刊号の特集に選ばれたのが「輝ける、アメリカの夢の具現者ラルフ・ローレン」です。

「ELLE HOMME」編集長による、ラルフ・ローレンのインタビュー。

「21世紀には、環境問題は解決しているだろう」と考えていたラルフ・ローレン。

このインタビューで、ラルフ・ローレンブランドの魅力の源泉が、彼自身に口から語られています。

私は、今までずっと、いわゆる流行や、ワンシーズンで光を失ってしまうようなものに影響されることなく、 自身の仕事に確信を持ち、自身のヴィジョンに正直に仕事をしてきましたし、自分の信念を貫くために戦ってきました。 そして広告やショップを通じて顧客の方々とコミュニケーションをとるよう努力してきました。 私は自分自身が世に送り出すウェアは単に 「モノ」であるとは考えていません。それは人間が生きている世界の一部だと考えています。ですから私はジャケットをデザインするときには、それを着る人のライフスタイル、 つまり、その人が乗るクルマ、同伴する女性、 週末の過ごし方、その人の住んでいる家などを想像してワークを進めます。

引用した全文を強調してしまったくらい、重要な一節です。

その中でも特にポイントとなるのが、「着る人のライフスタイルを想像してデザインする」ということでしょう。

また、商品の価格についての質問にはこう答えています。

プライスが高いというのは、ほかのものと比べていう表現です。 ある人が、あるものを手に入れるのに、より多く支払って、しかもそのものはデザインもよく、丈夫で長もちし、それを持っていることによって楽しくなったとすれば、その買い物は、払った金額と同等か、 それ以上の価値があるということになります。 それは高いかもしれませんが、高すぎるとい うことにはなりません。私は、私の商品が高すぎることを望んではいません。品質がよく、それに持つ価値があることだけを望んでいます。

このあたりについては、後ほど深掘りしていきます。

 

バブル景気とイタリアンブランドブーム

ここからがラルフ・ローレンのブランド紹介ページ。

ラルフ・ローレンを象徴するモチーフである星条旗…ですが、そのイメージづくりのために、ラルフ・ローレンの様々な苦闘がありました。そのことについても後ほど。

そして、ここでこの「ELLE HOMME」が発売された、1990年代初頭ならではのファッショントレンドが垣間見える一文があります。

今、あきらかにファッションの流れがかわってきています。日本での今までのイタリアン・ファッションもどき(もちろん有能なデザイナーの手になる、正統のイタリアン・ファッションの素晴らしさはいうまでもありませんが…)の不思議なウェアは、現在では嘲笑の対象とすらなっています。

ここで、1980年代から1990年代の日本でのファッショントレンドの流れを確認しておきましょう。

ヨウジヤマモト、コムデギャルソンによる「黒の衝撃」が1982年

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その後、DCブランドブームが到来。日本中に広がる大ブームとなり、その勢いは1987年頃まで続きます

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↑のDCブランドについての過去記事でも触れていますが、1980年代終盤に訪れたバブル経済で、日経平均株価が頂点を迎えたのが、1989年末

https://www.cool-susan.com/2018/01/03/%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%B4%A9%E5%A3%8A/

ですが、一般的にバブル景気の象徴とされるジュリアナ東京がオープンしたのは、1991年です。

全盛期は、平日でも1000人以上の集客があり、台風で山手線が止まった月曜日であっても、約800人が来店した。1991年年末頃の金・土・日曜日は2000人以上、3000人を超えることもままあった。そのため、店内が鮨詰め状態であり、周囲の他人と触れることなく、店内を移動することは不可能であった。

ja.wikipedia.org

このように、1991年の時点でバブル経済が崩壊したという認識は、世の中にはあまりありませんでした

ジュリアナ東京での浮かれっぷりからもわかる通り、右肩上がりの時代ならではのゴージャスなファッションが人気を集めました。

その後、1990年頃に到来したのがインポートブランドブームでした。

中でも、デザイナーの頭文字を取って「3G」と呼ばれた、ジャンニ・ベルサーチ、ジョルジオ・アルマーニ、ジャンフランコ・フェレに代表されるイタリアンブランドが人気を集めます。

こちらが1991年のジャンニ・ベルサーチのキャンペーンビジュアル。いかにもイタリアンな派手派手ファッションです。

https://www.pinterest.jp/pin/591238257345998667/

こういったのは、「有能なデザイナーの手になる、正統のイタリアン・ファッション」でしょう。

ですが、当時はこういったデザインのコピー商品が数多く出回っていた筈です。

そういった服を「日本での今までのイタリアン・ファッションもどきの不思議なウェア」と呼び、「現在では嘲笑の対象」になっていると、指摘しています。

しかし、この文章が掲載されている隣のページが、ジャンニ・ベルサーチのセカンドラインであるヴェルサスの広告なのは、偶然なのか、わざとなのか…

 

湾岸戦争と「強いアメリカ」を象徴する星条旗

そして、↑の文中には「湾岸戦争以来、強いアメリカのイメージのひとつのシンボルとしてボタンダウンシャツが改めてホッとアイテムとしてファッション界で新しい評価を与えられている」とあります。

1990年前後は、第二次世界大戦後ずっと続いてきたアメリカとソビエト連邦の対立が終焉し、世界の仕組みが大きく変わろうとしていた時代でした。

1989年12月に、アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が初の会談、マルタ会談が行われ、東西冷戦の終結と新時代の到来が確認されます。

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1990年2月にはベルリンの壁の撤去が始まり、8月には統一ドイツが成立します。

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そんな中、1990年8月にイラク軍はクウェートに侵攻し、イラクはクウェートとの国家統合を宣言。11月に国連安全保障理事会はイラクに対する武力行使を認める決議を採択し、翌1991年1月17日に、多国籍軍はイラクに攻撃を開始。湾岸戦争が始まります。

多国籍軍は、圧倒的な軍事力を持つアメリカ軍が中心となって組織されていました。

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多国籍軍はイラク軍を圧倒し、開戦から1ヶ月後の2月27日には多国籍軍がクウェート市を開放します。

こちらはそのことを報じる「TIME」誌。このように、当時は「強いアメリカ」の象徴として、星条旗を目にすることが多くありました。

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で、前置きが長くなりましたが、それに代わる新たな潮流として、ラルフ・ローレンに代表される「アメリカン・コンサヴァティヴ・ファッション」が「確信的復活」し、「世界中のファッション・デザイナーたちがアメリカン・モチーフに熱い視線を送って」いたのが、1992年という時代だったということです。

「パーフェクト・ラルフ・ローレン」と題されたブランド紹介ページのビジュアルでは、ラルフ・ローレンの世界観を表現することがかなり重視されています。まずはクラシックなボートの船上での、アイボリー×ホワイトのカジュアルコーディネート。

続いては、スポーツウェア。

説明文を引用します。

’92年のサマー・コレクションはアイテムの革新性にあるのではなく、カラーそのものがテーマである。ラルフ・ローレンの持つクラシック志向は安易にデザインの自由度を認めることなく、現代のライフスタイルとのタイムラグをカラーで表現しようとしている。それにより従来のアイテムには見られないビビッドなカラーが採用され、コーディネートそのものを楽しむスポーツウェアの提案が見られる

この「従来のアイテムには見られないビビッドなカラー」、そして「1992」といデザインモチーフは、ラルフ・ローレンとカルチャーとの関わりを語る上で欠かせない要素となっています。これについても、また後ほど詳しくご紹介します。

今の感覚からすると、ごく一般的なカジュアルファッションに見えますが、当時はかなり革新的なデザインだったのでしょう。

このページでも星条旗が印象的に用いられています

ビビッドな色合いのボーダー柄。

目を引く大柄のマドラスチェック。

次ページも、ビビッドなレッドのキャップが目立ちます。

 

ラルフ・ローレンが魅了されたカサブランカ

上掲のラルフ・ローレンのインタビューでも語られている、アンティークカーを背景にした、リゾートウェア。

「ラルフ・ローレンの考えるリゾートウェアのコンセプトはカサブランカにある」

「カサブランカ」は1942年に公開された、アメリカの恋愛ドラマ映画です。主な出演者はハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマン 。

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「君の瞳に乾杯」という台詞は、実はカサブランカが出自です。

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その題名の通り、「カサブランカ」の舞台はアフリカ北部の国、モロッコの都市カサブランカです。

カサブランカは1912年にフランスの保護領となっており、アフリカとヨーロッパの文化が入り混じった、美しく個性的な街並みや建築を目当てに、世界中から旅行者が集まっています。

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ラルフ・ローレンも、そんなカサブランカに魅了されたひとり

 

ホームコレクションに見る圧倒的な世界観

その影響は、次ページからの特集「HOME COLLECTION'92」からも伺えます。

「家は、個人の好みやスタイルを表現できる重要な場所。皆が自分のライフスタイルに気を使うようになってきた。「衣」と「住」とは、切り離して考えられない。服装にはそれぞれふさわしい背景があるからだ」という、ラルフ・ローレンの言葉が掲載されています。

そしてこちらが、モロッコをテーマにしたインテリア。ラルフ・ローレンの言葉を具現化させたような、圧倒的な世界観です。

次はクラブカルチャーの聖地としても知られるスペインのリゾート地、イビサ

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地中海に浮かぶ島、サルディニアにあるコスタ・パラディソ

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カリブ海の小国、ベリーズ

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それぞれの土地の雰囲気を的確に捉えた上に、ラルフ・ローレンならではの英国の上流階級の雰囲気をプラスした完成度の高い世界観を作り上げる

こんな芸当ができるファッションブランドは、ラルフ・ローレンの他にはないでしょう。

 

「ファンタジー」を売ったラルフ・ローレン

1990年に発売された「ラルフ・ローレン物語」という半生記には、ホームコレクション(=家庭装飾事業)がどう企画され、どのように販売れていたのかが詳しく書かれています。

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