目次
- シンプルなSimple
- シュプリームの元ネタブランド「チャージ」
- 95年のLAで1番人気はエアウォーク
- 70年代に存在していた日本のスケートシューズブランド
- リアルな70sLAスケーター
- 藤原ヒロシも参加した?スケートナイトinツバキハウス
- ’70sスケーターの足元はCONSだった
- プロケッズと言えば「ロイヤル」
- ツウはナイキをはいた
今回ご紹介するのは、「Boon」1995年6月号です。
この号は「ページ端っこ広告」の歴史を振り返る以前の“ファッションアーカイブ”の記事でもご紹介しました。
↑の記事は広告について。誌面の内容にはほとんど触れていませんでしたが、特集は「L.Aスケーターは新型エアウォーク19oz☓アーネットで’70sSurf」。
ロサンゼルスのサンタモニカで撮影したガチのスケーターたちのスナップが多数掲載されているので、相当な資料的価値があります。
シンプルなSimple
今回はその中から、スケートシューズにフォーカスを当ててご紹介していきます。
リップシティスポーツというショップでは「スニーカーの売れ筋はエアウォーク、シンプル、エトニーズ」。
シンプルは一度ブランドが終了し、2015年に復活、2020年には日本でも販売されていたようです。(強調引用者以下同)
1991年アメリカ カリフォルニア州で誕生したシューズブランドSimpleは、2011年に幕を下ろしブランドとして終了になりました。多くのSimpleファンの声にお応えし2015年、アメリカで復活。そしてここ日本では1990年代初頭に日本に初導入したスタッフが、約30年の時を経て2020年、もう一度 導入し再販売を復活させました。
ですが、日本での販売はすぐに終了。
2019年10月 クラウドファンディングで多くの応援を頂き、2020年3月より再販売してきました simpleshoes.jp は、2020年夏 米国Simple®︎ブランド保有企業変更と新ブランド保有社の意向により、現在販売中の在庫を以って終了となりました。
アメリカ本国のサイトでは展開されている型数は限られているものの、今も購入できるようです。
インスタグラムのヴィジュアルもクール。
エトニーズはスケートボード専門のインスタグラムアカウントもあり、今もガチスケーター向けのシューズを生産&スポンサードしています。
オーセンティックなスケートシューズやMTBシューズ、アパレルなどを幅広く展開しています。
シュプリームの元ネタブランド「チャージ」
「ママは日本人なんだ」と語るマイヤンさん15歳が着用しているのもエトニーズ。
エトニーズよりも目が行くのが、「CKをパロった「チャージ」のTシャツ」では。
こちらは通称「Kermit Clein」。プレミアが付いている人気古着のひとつです。
「Changes」のタグ。「チェンジズ」と読む筈ですが、誌面では「チャージ」となっています。「n」を「r」を読み違えたのでしょうか。
カーミットはアメリカの子供向け教育番組「セサミストリート」に登場するキャラクター。
https://www.pinterest.jp/pin/647322146453544943/
今はYouTubeに日本公式アカウントがありますが、僕が子供の頃はNHKで放送されており、僕もよく観ていました…が、内容はあんまり覚えていません笑。
ただ、このオープニングソングは非常によく覚えています。
そんなカーミットとシュプリームが2008年にコラボして、話題になりました。
https://www.pinterest.jp/pin/566398090650317743/
このシュプリーム☓カーミットのコラボヴィジュアルを撮影したのは、アメリカの写真家テリー・リチャードソン。
https://www.pinterest.jp/pin/390194755191947326/
レディ・ガガのシュプリームのヴィジュアルも、彼によるもの。
https://www.pinterest.jp/pin/33425222219662247/
話は前後しますが、「Kermit Clein」の元ネタは、80年代から90年代のカルバン・クラインのヴィジュアルです。
https://www.pinterest.jp/pin/487162884673525660/
ブルース・ウェーバーによるセクシーなヴィジュアルは話題となり、カルバン・クラインのイメージを強く印象付けました。
https://www.pinterest.jp/pin/299841287676760830/
90年代カルバン・クラインのアンダーウェアや香水が大ヒットした大きな要因のひとつに、ブルース・ウェーバーのヴィジュアルによる強いブランドイメージの形成があったと思います。
https://www.pinterest.jp/pin/146789269080628736/
そんなブルース・ウェーバーの作品がプリントされたTシャツは、現在バンドや映画、アニメなどの古着Tシャツが軒並み高騰していその中でも随一と言えるくらいの人気を誇っており、目を疑うような価格になっています。
そして、シュプリームのカーミットのヴィジュアルは、このカルバン・クラインのヴィジュアルをカーミットでパロった「Kermit Clein」を、更にパロったものと言われています。
こちらはテリー・リチャードソンがカーミットを撮影する動画。なかなかシュールです笑。
こちらはサルバービアというモデルは、スケーターブランドeSのもの。
こちらは当時の映像だそうです。
eSもインスタグラムにスケートボードラインのアカウントがあります。
ボリューミーなシルエットが特徴的。
こちらはナイキ。ですが、こちらのGTSはテニスシューズです。
ナイキのGTSは今でも比較的手軽に入手可能。
ナイキのスケートボードブランド、NIKE SBは当時まだ展開されておらず、上掲の過去記事でもご紹介したように、エアジョーダン1やダンクなどのバスケットボールシューズや、このGTSのようなテニスシューズを愛用するスケーターは少なくなかったようです。
こちらのコンバースもバスケットボールシューズ。
こちらもコンバースです。
また、スケートボードシューズの代名詞的存在であるヴァンズはごく少数しか取り上げられていませんでした。
95年のLAで1番人気はエアウォーク
最も人気を集めていたブランドが、ヴァンズでもナイキでもなく、エアウォークです。
”L.A.での1番人気はエアウォークだった。しかもほとんどがONE。”
エアウォークのアメリカ本国サイトに掲載されている過去のシューズ一覧を見ると、エアウォークはかなり個性の強いデザインを特徴としたブランドだったことがよくわかります。
そんな中、1992年に発売されたONEはそのシンプルなデザインで人気を博し、スケーター以外にも支持されるようになりました。
1990年初頭は日本でもアクションスポーツが注目を集め始め、その流れを受けてヴァンズを筆頭にエアウォークやヴィジョンといったスケートボードに特化したブランドのフットウェアがストリートの足元として支持されるようになりました。中でも、独創的なデザインのプロダクトを多くリリースしてきたエアウォークは、スケシューブランドの異端児的存在で、それまでコアなスケーターを中心に人気を博していましたが、ワン(1992年)の登場をきっかけにあらゆるシーンに浸透していきました。スタイリングに取り入れやすい汎用性の高いシンプルなデザインが受け入れられ、1990年代中頃にはクラブで遊ぶ若者やダンサーといったファッションにこわだりを持つ人たちからも絶大な支持を得ていましたね。ライフスタ イルシューズの新たな定番としての地位を確立した、まさにエアウォークというブランドの知名度を押し上げたモデルです。
また、当時は19OZというモデルも人気だったようです。
70年代に存在していた日本のスケートシューズブランド
ということで、これまでご紹介してきたのは、1995年のロサンゼルスで人気のスケートシューズ。
そして次にご紹介するのが、「スケートスニーカー30年史」という特集ページ。
見開き2ページのみですが、かなりの情報量です。
1960年代は「スケーター草創期」。
「まだスケートスニーカーというカテゴリーはなかったが、’66年、ポール・バン・ドーレンによりバンズが創立され、BMXライダーにも評判となった。その後スケーター達にも飛び火し、ここからスケートスニーカーの伝説が始まる。
そして1970年代は「キャンバス全盛の時代」。
そして当時、「仙台の靴メーカー、弘進ゴム」から「バンクライダー」なる「国産シューズ」が発売されていたとのこと。
つまり、1970年代に日本のスケートシューズブランドが存在していたということです。
調べてみると、弘進ゴムという会社は今も存続しています。
創業は1935年。
製造していたのはレインコートや長靴。
「バンクライダー」は1978年のカタログに掲載されていたそうですが、弘進ゴムの社史にはスケートシューズについては記載されていませんでした。
弘進ゴムは現在、レインブーツやワークシューズなどを製造販売していますが、残念ながらスケートシューズはラインナップからは外れているようです。
store.shopping.yahoo.co.jpネットで検索してみても、現時点では「バンクライダー」についての目ぼしい情報は見つけられませんでした。
そして、1960〜70年代を象徴するスケートシューズと言えば、やはりヴァンズ。
1966年、カリフォルニア州アナハイムで創業されたヴァンズが世に送り出した初めての商品がオーセンティックです。分厚くて丈夫なダックキャンバス生地と、グリップ力に優れたラバーソールがスケーターからの支持を集めました。
1976年、Z-BOYSのメンバーであるトニー・アルバやステイシー・ペラルタのアイディアを参考に、履き口にパッドが入れられるなどよりスケーター向けに開発されたモデルがエラです。 ↑のオーセンティックと比べると履き口が分厚くなっているのがわかります。
リアルな70sLAスケーター
ここで1970年代のアメリカのスケートボードシーンがどんな雰囲気だったのか、参考資料として「POPEYE」1977年11月10日号をご紹介します。
カリフォルニアにオープンしたばかりのスケートボード・ワールドのレポートです。
ヘルメット着用。
これがLAの70年代のリアルなスケータースタイル。
イエローやオレンジといった原色のTシャツ、かなり短いショートパンツorジーンズ、レッド、ネイビーのライン入りソックス、そして足元はやっぱりヴァンズ。レッド×ネイビー、レッド、ネイビー。ナイキ、コンバースもいます。
上掲の1995年のスケーターの雰囲気とは大きく違います。70年代はスポーツだったスケートは、90年代にはもうライフスタイルの一部のようになっていたのでしょう。
藤原ヒロシも参加した?スケートナイトinツバキハウス
「Boon」に戻ります。1970年代のエリアには「スケートナイトinツバキハウス」という気になる文言も。
新宿のディスコ、ツバキハウスでは大貫憲章さんが主催する「ロンドンナイト」というイベントがあり、そこで行われたファッションコンテストで優勝したのが藤原ヒロシさん。パンク少年だった藤原ヒロシさんは「LONDON NITE」で開催されたファッションコンテストで優勝し、ロンドン行きのチケットをその優勝賞品として手に入れてロンドンに渡り、マルコム・マクラーレンらと親交を交わすなど、音楽的、ファッション的に大きな経験をしています。
もし、 ツバキハウスがなければ、後の裏原系のムーブメントも生まれていなかったのかもしれません。
https://www.pinterest.jp/pin/22095854406361778/
ツバキハウスでDJをしていた藤原ヒロシさんは、スケーターでもありました。
https://www.pinterest.jp/pin/1115063188968705823/
そんな藤原ヒロシさんの半生が描かれた書籍が「丘の上のパンク」です。
藤原ヒロシさん本人の他、多数の関係者への膨大なインタビューをまとめた「丘の上のパンク」ではツバキハウスについても多くの記述がありますが、「スケートナイト」については触れられていませんでした。ツバキハウスで開催されたスケートイベントなら、スケーターである藤原ヒロシさんは参加していたとは思うのですが、調べてみても実際はどうだったかはわかりませんでした。
そして、「レザーハイカットの時代」である1980年代でピックアップされているのが、エアジョーダン1。
藤原ヒロシさんもエアジョーダン1
当時は<エアジョーダン1>の黒☓グレーや<コートフォース>の黒☓白をよく履いていました。あとはコンバース、ヴァンズ、エアウォークも。ソールが薄くてスケートがしやすければなんでもいいって感じでしたね。
1990年代は「キャンバス復権の時代」。
ここからは、ブランドごとの深掘りページです。
まずはコンバース。
’70sスケーターの足元はCONSだった
スケートシューズ=ヴァンズというイメージが強いと思いますが、「’70sスケーターの足元はCONSだった」とのこと。
その理由は「当時コンバース社は契約スケーターにシューズを提供したり、スケーター向けの広告を作成するなど精力的にスケートをバックアップしていた」からだそうです。
オールスターのバリエーション。
「生成りデッキシューズ+素足履きは’70年代サーファー流」。こういったタグなどのディティールによる分析、分類は当時の「Boon」のお家芸。他にもヴィンテージジーンズやスウェット、ミリタリーウェアなど様々なアイテムが分析、分類されていました。
ちなみにこちらの記事では80sサーファーのリアルなファッションをご紹介しています。
「スターナシ系」。
次ページもコンバース。「「ジャックパーセル」に始まる、シグニチャー7選手モデル」。
大定番モデルのジャックパーセルやチャックテイラーは、スポーツ選手の名前が由来であることはよく知られていますが、それ以外のアイスホッケーなどのマイナーなモデルもピックアップされています。
当時のフリーマーケット模様。
プロケッズと言えば「ロイヤル」
お次はプロケッズ。
パッチやロゴなどを細かく分析。
プロケッズを代表するモデルはロイヤルプラス、と思っていたんですが、一番ベーシックなモデルは「ロイヤル」という名称。
ロイヤルプラスは派生モデルで、他にロイヤルチャンピオンやロイヤルエースなども存在していたようです。
ツウはナイキをはいた
続いてはナイキ。
「’70s基本バッシュはブレザー」。
ナイキのスケートシューズブランド、ナイキSBがスタートしたのは2002年。それまでは上掲のエアジョーダン1やダンク、ブレザーといったバスケットボールシューズがスケートシーンで着用されていました。
スケートシューズとしてはメインストリームのブランドではなかったので、「ツウはナイキをはいた」ということになったんでしょう。’70sキャンバスナイキ、格好良いですね。
アディダス。
「スーパースター」ならぬ、「スーパースケート」というモデルがあったとは、知りませんでした。
ヴァンズ、と慣れた表記をしたいところですが、ここは誌面に倣ってバンズとしましょう。
「クラシカルな形状」の「デッキタイプ」。
色柄のバリエーションが豊富なバンズ。70年代にはサーフカルチャーの影響が感じられるレインボー柄のモデルなどもあったようです。ここでも、ヒールパッチの変遷についての分析が。
ハイカット。
古着屋でもよく見かけますが、こういう楽しい柄はヴィンテージならでは。
左ページの坂井真紀さんの広告も気になりますが、右ページのエアウォークに注目しましょう。
バンズに負けず劣らず個性的な柄があしらわれたモデルの数々。
ここらへんのデザイン、今だったら結構な人気になるんじゃないでしょうか。
特集最後のページは「マニアックブランドを掘り当てろ!」。
ポロシャツで知られるブランド、フレッドペリーのテニスシューズ。