流行通信1992年10月号のヘルムート・ラング特集のご紹介です。レディスがメインの雑誌です。
これまで5回に渡って、ヘルムート・ラングへのインタビューをご紹介してきました。
ヘルムート・ラング本人によるファッションヴィジュアル
インタビューは前回で終わり。
で、次の左ページは”これが私のファッション・イメージ デザイナー本人によるデザイナー本人のデザインのための4頁”。
”あと4ページ分の誌面を欲しいというリクエスト”による、”デザイナーが自ら、自身のイメージを具体的に提案してくれる”企画。
つまり、ヘルムート・ラング本人によるヴィジュアルページということでしょう。
”ラング前”と”ラング後”のファッション
そして、次の企画は”ラングの世界を支える素晴らしき友人たち”。ヘルムート・ラングの仕事仲間の紹介ですね。
1人目はプレスのミッシェール・モンターニュはこう語ります。(強調引用者)
ここしばらくファッション界に新しい世代が登場していなかった感じがします。ヘルムトは久しぶりの新しい才能です。私はいつも”ラング前”と”ラング後”という言い方をするんですよ。ラング前のファッションは、女性の外見を見せるためのファッションだった。そして、ラング後のファッションは、女性の内面を映し出すためのファッションになった、と。すなわち、ヘルムトが”内面美を表出する女性”を理想の女性像として提案したことによって、ファッションが変わり始めたと思うのです。
この内容は、前回の記事でご紹介したヘルムート・ラング本人のインタビューでも触れられています。ヘルムート・ラングは自身の服について、”美しいファッションで、様々な人々によって着られ、その様々な人々の各々異なったパーソナリティを表現するような服”と語っています。
山本耀司と川久保玲のデザインの背景にあるもの
ミッシェール・モンターニュはこう続けます。
’90年代に入って、そうした新しい考え方のファッションが台頭して来たと思うのですが、その口火を切りファッションの主流にまでした勇敢なデザイナーがヘルムト・ラングだった、と私は見なしています。もちろんのこと、彼以前にヨージやカワクボたちが、シンプルに見えても背景には文化がしっかりとある、ということを既に常識として広めてくれていたことを絶対に忘れてはならないでしょう。
ここで山本耀司と川久保玲の名前が出てくるとは思いませんでした。
こちら↓の記事でも詳しくご紹介していますが、1980年代の山本耀司と川久保玲による「黒の衝撃」は、当時のファッション界に文字通り大きな衝撃を与えました。
ただ、僕にとって意外だったのは、山本耀司と川久保玲が”シンプルに見えても背景には文化がしっかりとある、ということを既に常識として広めてくれていた”と評されている点。
80年代はカラフルな色使いや極端に強調された肩や絞られたウエスト、そしてきらびやかなアクセサリーといった、装飾的なファッションが主流でした。
https://www.pinterest.jp/pin/827466131522689809/
それに比べると、コムデギャルソンやヨウジヤマモトのほぼ黒一色のデザインは非常にシンプルだと言えるでしょう。
https://www.pinterest.jp/pin/344947652683130433/
https://www.pinterest.jp/pin/595812225687679061/
そして、 ミッシェール・モンターニュはこのような山本耀司、川久保玲の”シンプルな”デザインの背景には文化がしっかりとある、と指摘しています。
軽薄なトレンドワードになっていた”シンプル”
この流行通信1992年10月号のヘルムート・ラング特集の冒頭に掲載されている文章から、当時”シンプル”が表層的なブームになっていたことが伺えます。
気がついてみれば、”シンプル”という言葉が、ファッション界に氾濫していた。いつの間のことだろう?
とりあえず、”シンプル”の文字をテーマにつけてさえおけば、ファッションは”今”の輝きを持つようになった。
つまり、当時の”シンプル”は、2022年の今で言うSDGsのような、軽薄なトレンドワードになっていた、ということでしょう。
そして、おそらくですが当時は”シンプル”を謳いながらも、「何もしていないだけ」の”似非シンプル”が跳梁跋扈していたと思われます。
ですが、ヘルムート・ラングの”シンプル”はそんな”似非シンプル”とは一線を画していました。
ラングの”シンプル”が単なる”シンプル”でないことは、周知の事実。一見”シンプル”に見えるラングのデザインだが、それは盛り込まれた様々な要素が蒸留され、濃縮されて、そして過剰な要素が省かれた結果として”シンプル”に見えるだけなのだ。彼のファッション・デザインは、しっかりとした文化的な背景によって支えられている。
言い換えると、文化を背景にして過剰な要素を省いたデザインが”シンプル”だということなのでしょう。
”シンプル”な服づくりに必要なこと
以前の記事で、コムデギャルソンのデザインが時代を経ても色褪せない理由について、パターンやディティールなど、服づくりの基本を絶対に外さないから、という栗野宏文さんの指摘をご紹介しました。
このヘルムート・ラング特集の冒頭の文章でも、似たような指摘がされています。
それに”シンプル”な服そのものにしても、よく見れば微妙な色使いや素材選び、繊細な仕上げといったワザが見いだされる。
つまり、”シンプル”なデザインをプロダクトで成立させるには、卓越したものづくりの知識と技術が必要だということでしょう。
仕事仲間が語るヘルムート・ラングのデザイン
脱線が長くなってしまいましたが、誌面の”ラングの世界を支える素晴らしき友人たち”に戻って、ヘルムート・ラングの仕事仲間の言葉から、ヘルムート・ラングのデザインの特徴について更に深堀りしてみましょう。
まずは、ヘルムート・ラングのファッションイメージの撮影している写真家、エルフィ・セモタン。
デビュー当時は、ヘルムトのアイデアがどこから来たのかが、とても分かりやすかったと思います。オーストリアという地方の持つ伝統的な世界の色が強く出た、シンプルで美しいデザインをベースにしていることが直ぐに感じ取れました。しかし、今のヘルムトのデザインはより抽象的になってそのルーツが一目では分からなくなりました。よりソフィスティケートされた、といってもよいでしょう。もちろんのこと、年々自分自身のファッションスタイルに自信をつけていることはよく分かりますし、より個性的なデザインになっていることも、はっきりと見てとれます。
続いては、ヘルムート・ラングのアシスタントを務めるクリスチャン・ニーセン。
僕が素晴らしいと感じるのは、ヘルムトの控え気味な表現の仕方です。何かの主張があっても、それが必ずしも見える形として提示されることはない、どこかしら控えた感じ、それはヘルムト独自の世界です。あと、ヘルムトほど、彼自身のパーソナリティに近いところからファッションを創り出しているデザイナーはいません。
アーティストのクルト・コーヘルシェットはこう語ります。
彼のデザインするファッションには、何かしら引っ掛かるところがあります。デザインのどこをとっても素晴らしいというのではなく、どこかしらに何かしらの違和感がある。だから、退屈なデザインとは一線を画するものになっています。それは私がアートで試みていることとまるで同じなのです。色彩とフォルムを可能な限りそぎ落とす作業をしているのです。彼も私も。
この流行通信が発売された1992年の11月に亡くなってしまったクルト・コーヘルシェット。現在、彼のインスタグラムアカウントに作品がアップロードされています。やはり、どことなくヘルムート・ラングのコレクションに通ずる雰囲気が感じられるのではないでしょうか。
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次回に続きます。