ヒッピーの誕生の背景を歴史的にご紹介する「歴史から知るヒッピー」。これまでの記事はこちら。
前回は1967年にヘイト・アシュベリーに中心として生まれた社会現象がサマー・オブ・ラブ、そしてその中心となった既成社会の保守的な価値観を否定し、非暴力的かつ精神的な方法で世界を変えようとした若者たち、およびそのムーブメントをヒッピーと呼ばれるようになったことまでをご紹介しました。
とあるヒッピーの一日
ヒッピーたちはヘイト・アシュベリーでどんな生活を送っていたのでしょうか?一例をご紹介します。
朝食は玄米。”ブラウン・ライス”と称して主食としています。おかずは魚粉のふりかけ。
その後、車のあいのりやヒッチハイクで電話のオペレーターや郵便局の仕分けなどのパートタイムの仕事に向かいます。
仕事をしていない人は、ギターを弾いたり、詩を書いたり、裸で日光浴をして日中を過ごします。
夕方になると”オープン・ハウス”と呼ばれる一軒の家に集まり、マリファナを吸ってくつろぎます。
マリファナはヒッピーを語る上で欠かせない要素です。マリファナは吸ってから3、4時間の間、次から次へと素晴らしいアイデアが浮かぶ”トリップ”という精神状態になります。味覚が鋭くなり、甘いものを食べるととても美味しく感じ、音声を消してテレビを見ると万華鏡のように美しく見えるようになります。
そうしてヒッピーたちは寝そべり、部屋に積み上げられたボブ・ディランやドノヴァン、モビー・グレープなどの当時の流行のロックアルバムを聴き、ボンゴやタンバリンを鳴らして雰囲気を盛り上げ、何人かは裸で踊ります。
興が乗ると、フリー・ラブになだれこむこともありました。60年代半ばはピルが一般的になったこともその背景にあります。
そうして、翌朝まで過ごします。
ヒッピーたちは愛を重んじました。
前回、前々回でもご紹介したように、当時のアメリカはベトナム戦争など国家間の対立に加え、国内では資本主義社会による競争が激化していました。
そんな争い事に対し、ヒッピーたちは男性と女声が自然に愛し合う「LOVE」を合言葉に、自然に優しい共同体、コミューンを形成し、平和で調和に満ちたユートピアを夢見ました。
多彩なヒッピーのファッション
ヒッピーのファッションはネイティブアメリカンをはじめ、インドやアフリカ、東欧、中近東などの民族衣装が多く取り入れられています。これは、物質中心のアメリカ的志向からドロップアウトし、自然回帰を求める意識が基になっています。
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男性も女性も髪を長くし、瞑想やヨガなどを生活に取り入れる者も多くいました。
ヒッピーのファッションの要素は実に多彩です。
・自然に摂理に従い長く伸ばした髪をまとめるヘアバンド
・花やアラベスク模様のメイク
・既存社会からのドロップアウトを表す長いひげ
・タイダイ染めやペイズリー柄のサイケデリックなTシャツ
・政治スローガンをプリントしたメッセージTシャツ
・物を大切にするという姿勢を表現するパッチワーク
・平和を表す花柄
・裾をほぐしてフリンジ状にしたベルボトムのジーンズ
・裸足の足首に貝のブレスレット
・究極のナチュラルを表現する裸
ウッドストック・フェスティバルとヒッピームーブメントの収束
1969年には3日間に渡り、40万人以上を集めた野外フェス、ウッドストック・フェスティバルが開催されます。
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ウッドストック・フェスティバルはヒッピームーブメントの象徴としてよく取り上げられますが、実際にはこの頃のサンフランシスコではヒッピームーブメントは下火に向かっていました。
新聞やテレビで報道されることで、アメリカ全土からヒッピーのライフスタイルに共感する若者たちがヘイト・アシュベリーに集まり、夏休み期間には何万という学生たちが残留するようになりました。
そのうち、ヘイト・アシュベリーではヒッピーたちを収容しきれなくなり、同時に観光地として注目されたことで、街は荒廃し「愛と平和の街」だったヘイト・アシュベリーは「犯罪とセックスの街」に成り下がってしまいました。
Stay hungry. Stay foolish.
ウッドストック・フェスティバルの前年の1968年、編集者のスチュアート・ブランドより、ヒッピー向けの雑誌「ホール・アース・カタログ」が発刊されます。
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ヒッピーが共同生活を送るコミューンの生活を支えるための、野外生活や自然科学の知識、それから精神世界まで幅広い情報が掲載されていました。
ホール・アース・カタログの1974年10月に出された最終版、ホール・アース・エピローグの裏表紙には「Stay hungry. Stay foolish.」という言葉が綴られています。
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これを引用したのが、アップルの創業者スティーブ・ジョブズによる2005年のスタンフォード大学卒業式の、伝説とも呼ばれるスピーチで、このスピーチではホール・アース・カタログについても言及されています。
私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。
スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。
ハングリーであれ。愚か者であれ。
こちらに全文訳のテキストが掲載されています。
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