少し前から、70年代のファッションがリバイバルするのではないかと話題になっています。
70s、リバイバルするかなぁ…https://t.co/92zMd9ybel pic.twitter.com/s1GQrsmqmi
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」(KADOKAWA)発売中! (@yamada0221) 2019年8月5日
70s!難易度が高いアイテムが多いと思ってるんですが、こういうプリントだと取り入れやすいですね。
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」(KADOKAWA)発売中! (@yamada0221) 2021年3月29日
どこまで広がるか楽しみです。 https://t.co/tRZ58741bI
先日のスペースで「70sは来るのか?」という話題がありましたが、00年にはこんな感じのが流行ってましたね。パッチワークデニム、でかい襟、ベルボトム、チロリアンテープ。
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」(KADOKAWA)発売中! (@yamada0221) 2021年5月10日
これ系が当時どんな流れで人気になったのかとかも調べてみたいですね。 pic.twitter.com/QSz6kmkjSx
70年代を代表するファッションと言えばヒッピー。とはいえ、僕自身もヒッピーについてはあまり知識がないので、その誕生の背景にある歴史の流れを勉強しつつ、執筆していると、かなり文章が長くなってしまいました。
今日のブログではヒッピーをご紹介するつもりなのですが、その前段階の第二次世界大戦〜ベトナム戦争の内容を書くだけで既に2時間を費やしてしまっています。
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」(KADOKAWA)発売中! (@yamada0221) 2021年6月24日
いつになったらヒッピーについて書けるのか笑
今回は第二次世界大戦から1950年代のビートまでをヒッピー誕生前夜を前編してご紹介します。
世界のリーダーになったアメリカ
1939年9月1日のドイツ軍のポーランド侵攻に端を発した第二次世界大戦は、1945年9月2日に日本がポツダム宣言を受諾するまでの6年間に渡り、ほぼ全世界を巻き込んだ戦争となり、その犠牲者は6000万人とも8000万人とも言われています。
その結果、日本、ドイツ、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国が敗戦国、イギリス、ソ連、フランス、中華民国、アメリカを中心とする連合国が戦勝国となりましたが、敗戦国はもちろん、戦勝国となったイギリス、ソ連、フランスなどの大国もいずれも本国が戦場になり、大きく疲弊しました。
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特に、20世紀初頭は世界の半分の土地を自国の領土とし、世界の経済、文化を索引していたイギリスとフランスは第一次世界大戦で大幅に国力を落とし、その後の第二次世界大戦終結後は自国の復興に専念せざるを得ませんでした。その代わりとして世界のリーダーとなったのがアメリカです。
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こちらは1900年から1970年までの主要国の国民1人あたりのGDP(国内総生産=定期間内に国内で新たに生み出されたモノやサービスの付加価値)の推移を表したグラフですが、アメリカ(United Stats)は第二次世界大戦中にイギリス(United Kingdom)を抜さりました。
冷戦の始まり
このように、第二次世界大戦後、破竹の勢いで成長するアメリカの驚異となったのが、ソビエト連邦です。
ソ連は第二次世界大戦中はアメリカと共に連合国として戦いましたが、共通の敵である枢軸国を倒した後は、資本主義のアメリカと社会主義のソ連というイデオロギーの違いから、敵対するようになります。
1945年、アメリカは初の核実験を行い、日本の広島と長崎に原子爆弾を投下しますが、ソ連もその4年後の1949年に核実験を成功させます。
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アメリカとソ連はお互い直接的には戦闘をせず、凄まじい威力を持つ核兵器を背景に睨み合いを続けるようになります。冷戦の始まりです。
資本主義、自由主義の盟主を自認し、反共産主義を唱えるアメリカは、アジアや東ヨーロッパで次々と成立する共産主義政権のさらなる拡大を食い止めるべく、各地の紛争に深く介入するようになりました。
泥沼にはまっていくアメリカ
第二次世界大戦中日本が統治していた朝鮮半島は、第二次世界大戦終盤にアメリカ、イギリス、ソ連の3国で開催されたヤルタ会談により、第二次世界大戦後は北緯38度線を境に北側がソ連、南側がアメリカが占領していました。
ですが、1950年6月にソ連の支援を受けた北朝鮮が大韓民国へ侵略を開始し、朝鮮戦争が勃発します。国連加盟国が国連軍として参戦しますが、その中心はアメリカ軍で、1953年の休戦まで48万人に上る将校と正規軍を送り、3.3万人を超える戦死者を出します。
連合国であるフランスの植民地で、第二次世界大戦中は日本軍が進駐していたベトナムは、戦後に東南アジア最初の社会主義国家、ベトナム民主共和国として独立します。
ベトナムの旧宗主国であるフランスはそれに反発し、第一次インドシナ戦争が勃発。フランスは1949年にベトナム民主共和国に代わるベトナム人国家としてベトナム国をサイゴンに成立させ、アメリカやイギリスからの承認を受け、それに対しベトナム民主共和国は1950年にソ連と中華人民共和国から承認を受け、両国の援助を受けながら交戦を続けます。アメリカは1950年にベトナム援助計画を発表し、武器や弾薬の援助、ベトナム国軍の教育訓練などを行います。これが後に泥沼と言われるベトナム戦争に繋がります。
このように、反共産主義の戦いを通じてアメリカは多大な損失を重ねていきます。
こういった世界情勢の中、アメリカ国内では政府や軍内部から共産主義者を追放する赤狩りが起こり、無実の政府高官や軍の将官だけでなく、チャールズ・チャップリンのような有名人も共産主義者のレッテルを貼られ、解雇されたり国外追放されたりしました。
ビート誕生
このような世界情勢の中、アメリカでは政治談義すら自由にできない息苦しい雰囲気が蔓延し、経済的な豊かさを享受しながらも、経済的自由と同義である競争の中で、自分が生き残って行けるかどうかという不安を抱く人が増えていました。
そんな現代社会を否定し、アメリカ開拓時代の純粋なフロンティアスピリッツを見直すことを根本理念にしたのがビートです。その中心人物が詩人のアレン・ギンズバーグや、
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作家のウィリアム・バロウズ、
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そして同じく作家のジャック・ケルアックです。
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1957年に出版されたジャック・ケルアックの「路上」はビートのバイブル的な小説です。作者自身の実体験を反映した内容で、酒とドラッグとセックスに翻弄されつつアメリカ大陸4,000マイルを放浪していく旅を描きました。
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アレン・ギンズバーグは自らの同性愛を公にするなど、ビートは旧世代がつくった社会制度や道徳を否定し、個人の魂の開放を訴えました。
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当時、アメリカでは広い家に自動車を2台持つことが価値とされていましたが、ビートはそういったアメリカ的生活や西欧文明を否定し、東洋文明に生き残りの道を求め、自分たちの精神を主張するには毎日髭を剃り、白いシャツを着て提示に出社するような社会からドロップアウトするしかないと説きました。
そういったビートの思想に染まった若者は、ビートジェネレーションまたはビートニクスと呼ばれるようになりました。
1956年から57年にかけて、ビートジェネレーションは「TIME」や「LIFE」といった全国紙に取り上げられ、広く知られるようになります。1959年にはアメリカ中の大学で、黒のタートルネック黒のジーンズやタイツといった服装でギターを爪弾く若者たちが大量発生し、安いカフェで強いエスプレッソを飲んだりマリファナを吸ったりしていました。
次回に続きます
1950年代まではこのような流れがありました。1960年代に入り、アメリカを中心とした世界情勢は更に混沌としていき、そこからの開放を願うムードが広がります。
次回に続きます。
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参考文献: