目次
- ポリネシアで生まれハワイで育ったサーフィン
- 米軍と日本のサーフカルチャー
- サーフファッションのカリスマ達
- 80sサーファーのリアル冬ファッション
- サーフ×DCミックスの80sサーファー
- 毎朝湘南で波乗りをしているスポーツギャルのワードローブ
- 令和にもいそうな古着女子
- サーフ×DCブランドスタイル
- サーファーが着るコムデギャルソン
- 流行の先端をいくスタジオダルチザン
- 潮の香りを感じながらルンルンショッピング
- イッセイスポーツでジャズダンス
- 私の夜遊びワードローブ
- インパクトの強い髪型特集
- ヴィヴィッドカラーが目立つ読者スナップ
- 1985年の上野アメ横
- スタジャンカルチャー全盛期
今回の【ファッションアーカイブ】でご紹介するのは、「Fine」1985年2月号です。
現在はサーフ、アウトドア系メンズファッション誌となっている「Fine」。
その創刊は1978年。
創刊号の見出しには「シティ・ギャルズのライフ&トラベルマガジン」とあり、表紙の女性はスケートボードを抱えています。
以下の目次から伺えるように、創刊当初はサーフィンを強く押し出しているのではなく、アメリカ西海岸をメインとしたライフスタイルを提案していたようです。
Fine Life in California
San Francisco City & Bay-Area Map
いま小麦色の肌を優しく包んでくれるベイエリアからのメロウな風たちの話題
たった25セントでサンフランシスコのすべてをモノにできるというウソのようなホントの話
Fine Plaza
いま気になる男性雑誌の独断的解析
Fine Cats
日本のPunk野郎がこの秋京都で爆発するぞ
My Fine car:かまやつひろし
チャー:オレ、ホントは芸能界から足を洗いたいんだ その真意は?
ファッショナブル神戸はシティ・ギャルズのパラダイスだ
シティ・ギャルズのためのKobe Fine Map
宝塚は昔も今も青春の街だ
神戸カウンティ・カタログ
東京イロハ様々 絵と文・矢吹申彦
ディスコ・フィーヴァーを夏の思い出に終わらせてしまうなんて、あまりにつまらないよ
アイリッシュ・コーヒーを彼につくってあげよう 酒巻薫
ポリネシアで生まれハワイで育ったサーフィン
誌面のご紹介に入る前に、サーフィンの歴史について、触れておきましょう。
日本サーフィン連盟のサイトには、サーフィンの歴史がわかりやすくまとめられています。
↑から要点をピックアップしてご紹介します。(強調引用者以下同)
サーフィンの起源はあまりに古くていまのところいつ始まったのかははっきり解っていませんが少なくとも西暦400年頃にはサーフィンの原形のようなものがすでに存在していたようです
海の民といわれる古代ポリネシアの人々は大航海時代といわれたコロンブスやマゼランの時代よりもはるか以前から大洋を航海する高度な技術を持っていました。
ポリネシアはオセアニアの海洋部の分類の一つで、ざっくり表現すると、ハワイとニュージーランド、そしてモアイで知られるイースター島を結んだ三角形の中にある諸島のことを指します。
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そのような彼らの発明の一つにアウトリガーカヌーがあります。カヌーの片側を支持する浮の着いたこのカヌーは転覆に強く、彼らはこのカヌーで珊瑚礁の外へ漁に出かけました。珊瑚礁には毎日のように波が押し寄せていますから、カヌーが漁から帰るときに必然としてその押し寄せてくる波に乗ってしまうわけです。きっと波に乗るのが上手な漁師はみんなに尊敬されたことでしょう。漁業の技術の一つであったその”波乗り”が、いつのまにかあまりの楽しさのためにが娯楽として一人歩きを初めて、そしてカヌーは次第に小さくなり、オロとかアライアと呼ばれるサーフボードの原形が誕生したのだと思われます。
アウトリガーカヌーはこのようなの。今もマリンスポーツとして楽しまれています。
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ヨーロッパ人で初めてサーフィンを目撃したのはイギリス人の探検家ジェームス・クック船長です。彼はタヒチとハワイでサーフィンを目撃してそのことを航海日誌に書き残しています。しかし残念なことに彼の発見によってポリネシアの島々にヨーロッパの文化や宗教が押し寄せました。宣教師たちは布教の妨げになるためサーフィンを禁止してサーフボードを取り上げて燃やさせてしまったのです。ここに古代サーフィンはここに終焉を向かえたのです。
20世紀初頭になって再びサーフィンをする動きがハワイで起こりました。再び教会の人々はこれを阻止しようとしましたが、ワイキキの海岸だけは黙認しました
これがきっかけとなりハワイアンだけでなく移住してきた人達もサーフィンを楽しむようになります。
ハワイも急速な観光地化に伴ってライフガード組織が必要になりました。
その主要な役割を担ったカハナモク家の長男が「近代サーフィンの父」と呼ばれるデューク・カハナモクです。サーファーとしてそしてスイマーとして卓越した技術を持っていたデュークは1912年にストックホルムオリンピックのアメリカ代表として出場し 100mm自由形で世界新記録を容易に達成します。しかもそれから17年間世界一の座を維持し続けました。一躍世界的なスターとなったデュークは世界の水泳競技大会に招待されるようになります。デュークは招かれた国々でチャンスがあればサーフィンをしてこの素晴しいスポーツの普及に努めました。
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特に1915年の1月15日にオーストラリアのシドニーで行ったエキジビションは有名で、それによりオーストラリアではサーフィンは国民的なスポーツとして大きな発展を遂げています。デュークの偉大な功績により近代サーフィンの礎が築かれたといっても過言ではないでしょう。彼の偉業を称えるためにハワイのワイキキ海岸とオーストラリアのフレッシュウォーター海岸には彼のブロンズが建てられています。
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こうして産声をあげた近代サーフィンは世界の各地で急速に発展します。とくにハワイ、カリフォルニアそしてオーストラリアではサーフィンクラブがいくつも組織されて独自の個性を持ったサーフィンスタイルが確立されていくようになります。サーフボードも、熱心で独創的なアイデアを持ったサーファーたちの試行錯誤によって発達していき、第二次世界大戦の後には現在も主流をなすグラスファイバーとウレタンフォーム製のサーフボードが誕生します。そのサーフボードの発達に伴ってサーフィンのライディングテクニックも高度になり現在もさらに進化しています。
米軍と日本のサーフカルチャー
↓の過去記事でも詳しくご紹介していますが、日本にアメリカのカルチャーが根付いた最大の要因が、第二次世界大戦後に日本に駐留したアメリカ軍の存在です。
それはサーフィンも同様でした。
日本では、1960年頃に駐留アメリカ人が湘南や千葉の海でサーフィンをはじめ、それを見ていた少年たちが模倣して自作のボードで初めたのが起源と言われています。
セレクトショップ、ビームスの書籍「WHAT'S NEXT? TOKYO CULTURE STORY」では、日本のサーフカルチャー黎明期についてこのように記されています。
アメリカの兵士たちが鵠沼海岸に持ち込んだサーフィンが 地元の少年たちを日本で最初のサーファーにした。湘南学園の佐賀兄弟たちは 1962年には日本初のサーファー組織「シャークス」を結成する。国内でもボードを削るシェーバーが誕生、サーフショップが増え、サーフィンは新しもの好きの男たちを虜にする。1966年には「第1回全日本サーフィン選手権大会」が千葉県鴨川市のサーフィンビーチで開催された。これが第1次サーフィンブームだった。
そして、次なるサーフィンブームは1970年代に訪れます。
映画史上、初めて「波」というキャラクターが主役になった映画、それが「ビッグウェンズデー」だ。伝説の大波は水曜日にやって来る。 「ビッグ・ウェンズデー」は、その伝説の大波をメイクすることを夢見る3人の男たちの青春ムービーだ。1978年の作品で、3人の男たちは、マット、ジャック、リロイ。 その3人の憧れであり理解者であり協力者であるベアも重要な狂言回しで、実は監督のジョン・ミリアス自身が、その役を自分で演じようとしていたが、脚本イメージより自分の体重が重すぎて断念したという。日本では1979年のゴールデンウィークに公開。実は、本国アメリカでは大ヒットとならなかったのだが、当時の日本は第2次サーフィンブームの真っ只中、配給会社が黄金週間の目玉映画と決めたのは当然だった。そんな公開当時の解説には「ふるさと、青春、仲間、友情、この作品には心洗われるような懐かしさがある。これはジョン・ミリアスが限りない愛と優しさをこめて謳いあげた青春へのノスタルジー である」と記されていた。サーフムービーではなく、青春映画だったのだ。 映画公開の頃、日本でのサーフィンブームは異常だった。湘南や千葉だけでなく、新島に乗り込むサーファーとガールフレンドの数は、数えることを断念したくなるほど多かった。
こちらが「ビッグ・ウェンズデー」の予告編です。
この頃のサーフファッションについては、「ストリートファッション 1945‐1995―若者スタイルの50年史」に詳しく記されています。
カリフォルニアはハンティントン・ビーチ、あるいはハワイはマカハ・ビーチからの直輸入ファッションであることがプレステージだった。代表的なアイテムは、背中にビーチの絵がプリントされたTシャツ(夕焼けの図が多かった)、全面に南国調のハワイ柄がプリントされた脱色アロハ (つまり、潮焼けした雰囲気のアロハ)など。シャツは裾を出して着る。ジーンズより、「夏は涼しく、冬は暖かい」コーデュロイパンツが好まれた。 ビーチでの遊び、フリスビーやスケボーもファッション化した。
77~78年頃には、「サーファーファッション」の男女が大手を振って渋谷や六本木の街を闊歩する。典型的なスタイルは、女性なら細い肩ヒモやランニングタイプのタンクトップ、もしくはフレンチスリーブのTシャツ、これにショートパンツか綿のフレアパンツ(モモから裾にかけて一様に裾広がりの太いパンタロン)を合わせる。ウエストにビ ーズのベルト、あるいはウエストを綿の組みヒモで絞るストリングタイプのフレアパンツが主流。 厚底で鼻緒がレインボーカラーの「ゴムゾーリ」を履く。きれいに日焼けし ていることが必須。この頃、ヘアスタイルも「サーファーカット」として完成した。 ストレートのレイヤード(段カット)、肩より少し長いセミロングである。潮風にさらさらとなびくイメージ。
このように、サーフィンのスタイルがファッションとして広がっていった1978年に発表されたのが、サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」です。
サーフファッションのカリスマ達
そして同じ頃に、ライフスタイルやスポーツとしてのサーフィンとは無縁の、ファッションとしてのサーフスタイルが誕生します。
そして、新しいサーファーが出現する。陸サーファーだ。街のサーファーが生まれた。 ジェリー・ロペスなマッシュルームカットに口髭の青年が、サスーンのデザイナージーンズにサンローランの厚底サンダル を履いたファラ・フォーセットなJJガールと「メビウス」で大騒ぎしていた。 記念撮影時にハングルーズなポーズをする男子は、ムスクで雄の香りを漂わせた。とんでもない匂いが街を覆った。
固有名詞が数多く登場しています。
ジェリー・ロペスはカリスマ的な存在のサーファーです。
10歳の頃からサーフィンをはじめた彼は、建築士を目指してカリフォルニアに大学に入学するものの、より良い波を求めてハワイ大学に再入学します。
より早いスピードが出るボードを追求し、彼が開発したショートボードは世界中に普及します。
そして、1972年に彼が設立したのが、サーフブランドのライトニングボルトです。
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ライトニングボルトの古着はサーフブランドらしいポップなグラフィックや柄使いが魅力的。70年代のアイテムはなかなか見つかりませんが、80年代、90年代のアイテムなら、比較的手頃な価格でも手に入れられます。
上掲の映画「ビッグ・ウェンズデー」にも、本人役として登場。
現在はアウトドアブランド、パタゴニアのサーフィンアンバサダーを務めています。
参考:
ファラ・フォーセットはアメリカの女優です。
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彼女の出世作となったのが、1976年に放送が始まったテレビドラマ「チャーリーズ・エンジェル」です。
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セックスシンボルとしても知られますが、そのヘアスタイルは「ファラ・カット」と呼ばれ、ファッションアイコンとして、日本でも数多くのTMCMに出演していました。
テニスの腕前はプロ級。また、チャーリーズ・エンジェル劇中も含め、様々なスポーツに興じるファラ・フォーセットの写真が残されています。70年代、80年代ならではの色合いが魅力的なスポーツアイテムを着こなすファラ・フォーセットは、今の感覚から見ても相当スタイリッシュです。
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80sサーファーのリアル冬ファッション
このように、黎明期の1960年代、発展期の1970年代を経てきた日本でのサーフカルチャー。
そして改めて当記事の主題である「Fine」1985年2月号のご紹介に入ります。「Fine」のロゴの上に「Magazine for Surfer Girls」と冠されていることから、メインターゲットは女性だったことがわかります。
目次です。
特集は「’85年版サーファーワードローブ大図鑑」。右ページの可愛いうさぎのイラストは、ヤマハのスキー板の広告です。
「今月のベスト・サーファーガールズ&ボーイズ」という、連載と思われるスナップページ。全員20歳前後の若者たちです。2月号ということで、これが80sサーファーのリアル冬ファッションということでしょう。
女性は全員、赤やピンクなどの目を引くカラーのアイテムを着用。スカート丈は総じて膝上で短め。「ヘルシーなミニスカートがお気に入りなんだ」。
「中途半端な丈のスカートは、キライなの」と、ミニ丈の人気が高かったようです。
ポップな印象の女性に対し、男性はネイビーやホワイトといったベーシックが中心。右側の彼は「イッセイの黒のセーターが決まってるね」と、DCブランドブームの頃らしく、サーフ×DCコーディネート。
右側の彼は、ハンティングワールドのクラッチバッグや、トレトンのデッキシューズ
サーフ×DCミックスの80sサーファー
ここからは「’85年版サーファーワードローブ大図鑑」特集ページ。
「今年のオシャレ作戦はこれで決まり!」「素敵なサーファーガールズ&ボーイズのために、1年間の基本ワードローブを大集合させたので、ぜひ参考にね」ということで、秋冬だけでなく、春夏も含めた丸一年分のスタイル提案です。
右ページは春、そして左ページは夏。
どういった理由があったのかはわかりませんが、写真とイラストのハイブリッドな誌面。そして、非常にアジのあるイラスト。この雰囲気、当時はスタイリッシュだったのでしょうか。
ピンクのウエストバッグは、DCブランドの代表格、パーソンズのもの。
夏は「ザ・サマーガールは小麦色の肌でセクシーに演出しよう」ということで、アニマル柄をはじめとした、派手な柄物が目立ちます。
秋冬。
「スポーツの“秋”は、やっぱりアクティブにキメたいね」ということで、この頃随一の人気アイテムだったスタジャン(後のページで出てきます)を軸にしたコーディネート
冬の軸となるアイテムはなんと「この世にたった一枚しかない、手編みニット」。掲載されている手編みニットはどれも3万円オーバー。景気の良い時代ならではのチョイスといったところでしょうか。
お次はメンズです。
「ポカポカ陽気の季節には、スプリングニットがお似合い」ということで、軸となっているVネックニットの空きがめちゃくちゃ深いです。
イラストのニットはパーソンズ。
「たくましく焼けた体を見せるのが何よりもおしゃれだね」という、まさにごもっともなフレーズ。
ブルーのTシャツはハリウッドランチマーケットのもの。ハリランは当時サーファーに人気だったのか、今号では頻出しています。
秋冬。
空きはジャケットスタイル。インナーはポロシャツとパーカの攻めたレイヤード。
冬はスタジャンにチノパンツ、キャンバススニーカーのアメカジスタイル。イラストということもあるでしょうが、こういうオーソドックスなアメカジは普遍性があるので、古臭くなりにくいですね。
毎朝湘南で波乗りをしているスポーツギャルのワードローブ
以上は雑誌が提案するスタイル。
そしてここからは「読者のワードローブ大公開」という特集。
「関東と関西の読者代表9人の秘蔵のワードローブを大公開」ということで、この特集を読むと1985年のサーファーのリアルなファッションがわかるでしょう。