山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

世界のファッションを制した「裏原系」は、「黒の衝撃」を超えるセカンドインパクトなのかもしれない。

NIGO®氏が「毎日ファッション大賞」を受賞したという、少し前のニュース。

www.wwdjapan.com

この受賞のニュースを知ったとき、僕はちょっと違和感を覚えました。

なぜなら、NIGO®氏が世界のファッションに与えた影響は、日本人ではトップクラスだと思うからです。

 

ストリートファッションはファッション界のメインストリートではなかった

なぜ、NIGO®氏が評価を受けるのようなったのか。

その理由は、NIGO®氏がKENZOのアーティスティック・ディレクターに就任したからでしょう。

そのことは、受賞に際してのNIGO®氏本人のコメントからも伺えます。

この度の毎日ファッション大賞受賞、身に余る光栄です。
ただただファッションが大好きだっただけの素人が手探りで服作りを始め、気づけば30年の時が経ちました。ある意味ファッション界とは別軸の、いわゆるストリートファッションと言われるジャンルで活動してきました。今まで評価を得たいと思ったことはありませんが、今回の受賞は、何か自分のしてきた事が、報われたような気持ちでいっぱいです。

隠居を考えていた時期に、盟友であったヴァージル・アブローに誘われ、ルイ・ヴィトンから2度のコレクションを発表させて頂いたり、LVMHからは偉大な先輩である高田賢三さんのKENZOを任せられたりと、もう少しファッションの世界でお役に立てそうです。

パリに行ってKENZO、東京に戻ってHUMAN MADEと未だかつて無いハードな生活を送る日々が続き、体力的にも、時代についていく事も、なかなか大変になってきました。ファッションの世界が大きく変わりつつある中、いつまで続けられるか分かりませんが、これからも少しでも日本のファッション業界の力になれるよう、引き続き活動していきたいと思います。

特に印象的なのは、「ある意味ファッション界とは別軸の、いわゆるストリートファッションと言われるジャンルで活動してきました」という一節。

ストリートファッションはファッションではない、とも言い換えられると思います。

そのことは、毎日ファッション大賞の過去の受賞者からも見て取れます。

過去の大賞と新人賞は、全てデザイナーズブランドのデザイナー

https://macs.mainichi.co.jp/fashion/

NIGO®氏が選出された理由にも、KENZOでの活動が主だったことがわかります。
「A BATHING APE」や「HUMAN MADE」、そして音楽活動などで、これまで世界のファッションに多大な影響を与えてきたNIGO®氏ですが、NIGO®氏が歩んできたストリートファッションは、ファッション界のメインストリートではなかった、ということです。 

www.instagram.com

 

NIGO®氏が歩んできた、ストリートファッションの道

NIGO®氏のプロフィールについては、こちらのページがコンパクトにまとまっています。

1970年、群馬県出身のファッションデザイナー、音楽プロデューサーであり、ファッションブランド『ABATHINGAPE®』の創業者。1990年、文化服装学院在学中にファッションスタイリスト、ライター、DJとしてキャリアをスタート。1993年雑誌の連載をきっかけに高橋盾(アンダーカバーデザイナー)と、ショップ「NOWHERE」をオープンし、同年自身のブランド『ABATHINGAPE®』を立ち上げる。

www.vogue.co.jp

一般的には、NIGO®氏はやはり1990年代を代表するファッションのムーブメント、「裏原系」の最重要人物のひとり、という印象が非常に強いのではないでしょうか。

ビームスが創立40周年を記念して2016年に出版した書籍「WHAT'S NEXT? TOKYO CULTURE STORY」では、裏原系ムーブメントについてこう書かれています。

Jリーグが開幕した93年は、ファッションシーンにおいても忘れてはならないトピックが生まれた年だ。原宿の竹下通りをくだり、明治通りを挟んだ向こう側の”裏原宿”と呼ばれる地区にひとつのお店がオープンする。それが日本を代表するデザイナー、高橋盾とNIGO®がつくった「NOWHERE」だ。やがてこのショップから<アベイシングエイプ>が登場し、爆発的な人気を博すこととなる。また、高橋と日本を代表するクリエーターのひとりである藤原ヒロシによる伝説的なブランド<AFFA>が設立したのもこの年。これらを皮切りに、後に”裏原系”と呼ばれるブランドが次々と誕生し、一大ムーブメントとして成長していく

その後、NIGO®氏は活動の場を海外に広げていきます。

2003年にアメリカの音楽プロデューサー、ファレル・ウィリアムスとファッションブランド「BILLIONAIRE BOYS CLUB」を設立。

https://www.pinterest.jp/pin/7459155619045387/

2004年にはヒップホップグループ、TERIYAKI BOYZ®としての活動を開始。

www.youtube.com

2007年にはカニエ・ウェストのプロデュースによる楽曲をリリースします。

https://www.pinterest.jp/pin/596304806930015211/

2010年にはファッションブランド「HUMAN MADE」を開始。

https://www.pinterest.jp/pin/814588651344538125/

ヴィンテージコレクターとしても知られるNIGO®氏。

www.yamadakoji.com

「HUMAN MADE」はその知見が反映された、アメカジをベースにしたブランドで、海外でも高い評価を受けていますが、こちら↓の記事のタイトルにも「ストリートウェアの先導者」とあるように、やはりNIGO®氏が歩んでいたのはストリートファッションの道でした。

www.gqjapan.jp

 

メインストリートを席巻する裏原系チルドレン

そんなNIGO®氏が、2021年にKENZOのアーティスティック・ディレクターに就任します。

 
 
 
 
 
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つまり、NIGO®氏がファッションの傍流であったストリートファッションの道から、メインストリートであるモードファッションの道を歩み始めたということです。

ですが、それよりも先に、裏原系チルドレンとも言うべき才能たちが、ファッションのメインストリートを席巻していました

こちらは、2021年5月に公開された、NIGO®氏の盟友、アンダーカバーの高橋盾氏との対談記事。

www.gqjapan.jp

ここでも、1990年代の裏原系ブームのときのNIGO®氏たちを、ファッション界が「認めてくれなかった」ことが語られています。(強調引用者以下同)

─こうして生まれた「裏原」発のストリートカルチャー。Tシャツを主軸としたそのスタイルに、当時、抵抗勢力はいなかった?

NIGO ® いや、もう敵だらけ(笑)。

高橋 そうだったけど、僕らからしたらなんにも意識してなかったね。

NIGO ® ファッションの先人たちとは関係ないところから発生したしね。ただ、僕はぜんぜん取り上げられてなかったなぁ。盾くんは、94年からコレクションも始まって雑誌にも出ていましたけど。僕は、93年に「A BATHING APE ®」をスタートして、97年ぐらいに「ファインボーイズ」が特集を組んでくれたのが初めて、実は。

高橋 自分たちで発信ができていたからね。

NIGO ® うん、ある程度ね。だから、あまり認めてくれなかったんだよね、業界は。

高橋 いや、それは俺はいまでも感じているよ。やっぱり日本のファッション業界って、僕らがノリで出てきたと思っていて。しかもファッションだか情報屋だかなんだかわからないヤツらで「どうせ裏原でしょ!?」みたいな。

日本のファッション業界からは冷遇されていた裏原系ですが、2000年代からNIGO®氏らの活動に影響を受けた世界中の裏原系チルドレンたちが、ファッションのメインストリートで大活躍するようになります。

その代表格が、ヴァージル・アブローです。

NIGO ® 結局、お客さんは僕らより下の世代だから、そんなしがらみは関係ない若いコが熱狂的になっていった。それで、シーンができていく。

高橋 いまのヴァージル・アブローたちは、そもそももっと広い目で見ている。僕らのカルチャーが好きだっただろうしね。だから、あまり当時の抵抗してきた人って、関係ないね。

NIGO ® 現在、ヴァージルがルイ・ヴィトンのアーティステックディレクターという事実が、もし僕らが撒いた種からだとすると、開花してるよね。

イリノイ工科大学大学院で建築を学んだヴァージル・アブローはカニエ・ウェストのクリエイティブディレクターを務めるなどの活動の後、2013年に自身のファッションブランド「オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー」を設立。

https://www.pinterest.jp/pin/964966657633911500/

特にストリートファッションに影響を与えたのは、ヴァージル・アブローとナイキとのコレボレーションプロジェクトである「THE TEN」でしょう。

カニエ・ウェストがアディダスとコラボレーションした「Yeezy」や、デムナ・ヴァザリアが率いるバレンシアガなどと共に、2010年代のハイプスニーカーブームを牽引しました。

そして、2010年代から、ストリートファッションとラグジュアリーファッションの融合が始まります。

ハイプなスニーカーをキーアイテムとしつつ、随所にラグジュアリーブランドの要素を取り入れたストリートファッションはラグジュアリーストリートと呼ばれ、2010年代後半のストリートを席巻しました。

https://www.pinterest.jp/pin/1013802566093860878/

https://www.pinterest.jp/pin/44473115054638256/

NIGO®氏と同じく、ストリートファッションの道を歩んでいたヴァージル・アブローでしたが、2018年3月に、1854年創業の老舗高級バッグブランドであり、現在ではラグジュアリーブランドの代名詞とも言える、ルイヴィトンのメンズ・アーティスティック・ディレクターに就任します。

それは黒人初のラグジュアリーブランドのディレクターという点でも、歴史的な事件でした。

ヴァージル・アブローが手掛けるルイ・ヴィトンが初めてお披露目されたパリコレクション。

そのフィナーレでの感極まったヴァージル・アブローが、盟友であるカニエ・ウェストと交わした抱擁は、ストリートファッションがファッションのメインストリートになった瞬間なのかもしれません。

https://www.pinterest.jp/pin/907686499873397606/

 

裏原系がヴァージル・アブローをつくった

そんなヴァージル・アブローは、裏原系ブランドに大きな影響を受けていることをインタビューで語っています。

デザイナーとしてのあなたの話を聞かせてください。キャリアのスタートは、遡れば〈パイレックス・ヴィジョン〉だと思います。当時の、自身に近しい友人にプレゼントして浸透させるスタイル、そして先に伺った様々なブランドとコラボレーションするスタイルは、日本の裏原ブランドを彷彿とさせます。日本からの影響は少なからず受けているんですか?
ヴァージル:100%だね。ぼくはアメリカ人として日本にやってきて、ここでインスパイアされて自分のプロジェクトを始めたわけだから、原宿、青山、渋谷のような日本のストリートカルチャーのシーンをリスペクトすることが一番大切だと思っている。

特に影響を受けた日本人がいれば教えてください。
ヴァージル:(藤原)ヒロシとNIGO。この偉大な2人がいまの僕をつくったと言っても過言ではないね。彼らがいなかったら、ぼくのキャリアは存在していなかったかもしれない。人々が昨日今日で目にしていることではなく、彼らが最初に始めたスピリットが重要なんだ。ぼくはシカゴで生まれてニューヨークに住み、ファッションの都にストリートカルチャーを持ち込みたいと思っていた。当時は、ここまでファッションとストリートカルチャーが密接になるとは予想していなかったけど、例えばパリのファッションシーンよりは、ヒロシやNIGO、髙橋盾のような存在により共感し、親しみを感じていたからね。つまり、彼らがぼくがパリでファッションビジネスをやる基礎をつくってくれたようなもの。ヒップホップやロックといった音楽、スケートにアメカジなどの異なる要素をファッションに落とし込んでいるのを目にして、ストリートウェアはぼくのなかでアートとなった。だから、まずはヨーロッパに行くより、東京に来ることでグローバルになる選択をしたんだよ。

girl.houyhnhnm.jp

そう語るヴァージル・アブローは、2020年にルイ・ヴィトンでNIGO®とのコラボレーションラインを展開します。

www.fashionsnap.com

冒頭に引用した毎日ファッション大賞でのNIGO®氏のコメントで、「隠居を考えていた時期に、盟友であったヴァージル・アブローに誘われ、ルイ・ヴィトンから2度のコレクションを発表させて頂いた」と語っています。

ヴァージル・アブローは自らの師とも言えるNIGO®氏に現役でいて欲しくて、オファーをしたのかもしれません。

https://www.pinterest.jp/pin/656470083196043941/

そして、このコラボレーションラインが発売された1年後に、KENZOはNIGO®氏をアーティスティック・ディレクターに任命するのです。

 

「モードの帝王」の後継者は裏原系チルドレン

ファッションのメインストリートであるラグジュアリーブランドで活躍するもうひとりの裏原系チルドレンが、キム・ジョーンズです。

https://www.pinterest.jp/pin/1029354058557604461/

2021年、キム・ジョーンズはイタリアのラグジュアリーブランドであるフェンディのアーティスティック・ディレクターに就任

www.elle.com

キム・ジョーンズの前任者としてフェンディのアーティスティック・ディレクターを55年の長きに渡って務めていたのは、シャネルやクロエといったラグジュアリーブランドの数々を手掛け、「モードの帝王」とも呼ばれるカール・ラガーフェルド

https://www.pinterest.jp/pin/1618549853332233/

2019年のカール・ラガーフェルドの死去し、その後任者として就任したのが、キム・ジョーンズです。

つまり、キム・ジョーンズは「モードの帝王」の後継者として指名されたとも言えるでしょう。

フェンディのアーティスティック・ディレクターに就任する前は、キム・ジョーンズはフランスを代表するラグジュアリーブランド、ディオールのメンズアーティスティック・ディレクターを、そしてその前はルイ・ヴィトンのメンズアーティスティック・ディレクターを務めていました。

このように、ラグジュアリーブランドのアーティスティック・ディレクターを歴任する、キム・ジョーンズも、裏原系ブランドに多大な影響を受けています

こちらは2004年のメンズノンノに掲載されたインタビュー記事で、キム・ジョーンズはこう語っています。

在学中からギミー・ファイブで仕事をしていたから、日本に関心はあった。ロンドンのヒステリックグラマーにもいたしね。

www.yamadakoji.com

ギミーファイブはマイケル・コペルマンがロンドンで展開していたセレクトショップ。

 
 
 
 
 
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キム・ジョーンズはギミーファイブで裏原系ブランドと出会い、強い影響を受けるようになります。

キムはロンドンのオールドストリートの、マイケル・コペルマン率いるGimme 5でデザイナーとして働いていた。ストリートウェアのパイオニアでGimme 5の創業者コペルマンは、Stüssy、A Bathing Ape、Neighbourhood、Visvim、 WTaps、Supremeなど著名なブランドのディストリビューターとして長年活躍しており、インターネットもSNSもDover Street Marketもない時代にアートとビジネス双方の才能を発揮。まさに先見の明を備えたリテールの神だ。そんな彼がキムのデザインの才能を見出し、彼を育成した。

ブライトン時代、キムはスケートシーンにたむろするストレートエッジやポストパンク・ハードコアキッズたちとつるみ、不良少年に少々ゲイ的なスパイスを加えたような格好をしていた。Capital Eのリーバイスをはき、お気に入りは初期のUndercover、 Supreme、A Bathing Ape、Neighborhood、Good Enough

「若い頃、僕はマイケルを通して、藤原ヒロシ、高橋盾、NIGOに出会った。彼らは確かな知識に基づき、これまでにない服を生み出していた。彼らの思考プロセス、使用するハードウェア、細かい技術などすべてが、昔の自分にとってすごく大事だったし、それは今も変わってない」

i-d.vice.com

「『グッドイナフ』の藤原ヒロシ、『ア・ベイシング・エイプ』のNIGO®、『アンダーカバー』の高橋 盾といった人たちに出会えたのは、僕がまだ本当に若い頃だった。イギリスで知られるようになる前に、彼らの作品を見たんだけど、それが驚くほど見事なクオリティでね。“ストリートウェア”ってたまに見下した感じで使われる言葉だけど、彼らの服は多くのデザイナーズものよりずっと丁寧に作られていたよ」。

こうして彼も、同じように“斬新なのにウェアラブルな服”を作ろうと心に決めた。

www.tjapan.jp

ルイ・ヴィトン、ディオール、フェンディといった名だたるラグジュアリーブランドを手掛けるキム・ジョーンズの創作の原点は、裏原系ブランドにあったのです。

 

「裏原系」の影響力は「黒の衝撃」を超えるセカンドインパクトなのかもしれない

以前、僕はコムデギャルソンとヨウジヤマモトによる「黒の衝撃」が、モードにおける最後の革命的な事件であった、という内容の記事を書きました。

www.yamadakoji.com

ですが、2021年現在のモードの状況を見ていると、裏原系ブランドがモードに与えた影響のほうが、「黒の衝撃」よりも広く、深いのではないか、という思いが僕の中で強くなってきています。

1980年代、コムデギャルソンの川久保玲や、山本耀司、そして三宅一生ら日本人デザイナーは、それまでヨーロッパが中心だったファッションの世界に、新しい価値観を提示し、強い衝撃を与えました

ファーストインパクトです。

1990年代に大人気となった裏原系ブランドは、どれも原宿の裏路地にある小さなお店が出発点でした。

ですが、そんな裏原系ブランドの影響を受け、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなど世界中で育った裏原系チルドレンたちは、2010年代には強い発信力を持つようになります。

そして、ヴァージル・アブローやキム・ジョーンズらのように、ファッションのメインストリートを牽引する才能も生まれます。

「裏原系」ムーブメントは、「黒の衝撃」のような爆発力はなかったものの、その影響力が時間をかけて世界中に広がりました。

セカンドインパクトです。

そして、今後「裏原系」は更にその影響力を増していく可能性も十分あります。

 

「裏原系」のゴッドファーザー藤原ヒロシ

ヴァージル・アブローやキム・ジョーンズのインタビューにもその名前が挙がっている、「裏原系」のゴッドファーザーが藤原ヒロシ氏です。

https://www.pinterest.jp/pin/579134833347997027/

アメリカ国外では、NIGO®や藤原ヒロシといった世界的人材が独自の世界で活動を展開している。彼らがヤバイアジア人であることは意図的、作為的に知られないようになっているが、ステイプルの言葉を借りれば彼らは「ヤバくてヤバイ」人材だ。

highsnobiety.jp

NIGO®は元々「藤原ヒロシ2号」を意味するニックネーム。

NIGO®氏が藤原ヒロシ氏に似ていることから付けられました。

藤原ヒロシ氏について語ることなく、「裏原系」を語ることは不可能です。

ですが、藤原ヒロシ氏について語るには、当記事は少し長くなり過ぎました。

ですので、藤原ヒロシ氏についての記事は、また機会を改めて公開できたらと思っています。

最近発売された、藤原ヒロシ氏が手掛けたこちらのムック本。まだ未読なので、これから読み込んで理解を深めるつもりです。

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また、藤原ヒロシ氏について知るには最適なこの書籍も、久し振りに読み返そうと思っています。

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お楽しみに。