少し前から気になっていた書籍にようやく手を付けました。
めちゃくちゃ分厚いヴィヴィアン・ウエストウッドの自伝を読み始めてみました。
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」発売中 (@yamada0221) 2022年11月28日
当然かなり重いので、僕の主な読書場所である電車内で読むのはちょっと難しそう… pic.twitter.com/mLKbhuR3hA
ファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドの自伝です。
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90sおじさんの永遠の憧れ、ヴィヴィアン・ウエストウッド
現在42歳の僕にとって、ヴィヴィアン・ウエストウッドは憧れのブランド。
1990年代終盤はデザイナーズブランドが今とは比べ物にならないくらい人気を集めていましたが、その中でもヴィヴィアン・ウエストウッドは頭がひとつふたつ抜け出た存在でした。
コテコテのヴィヴィアン男子ってやっぱりかわいい👼そしてしゅうさんのコレクションも凄い。 pic.twitter.com/YWlUjy8tph
— Tajimax🌺平成ガールズカルチャー論。 (@rainbow_wool) 2021年2月1日
とはいえ、その頃僕が一番熱中したのは、川久保玲のコムデギャルソンオムプリュスや、田中啓一のコムデギャルソンオム。
インポートもののヴィヴィアン・ウエストウッドはコムデギャルソンよりも更に高価だったので、服にはなかなか手を出せませんでした。
なので、当時の僕が愛用していたヴィヴィアン・ウエストウッドのアイテムは、ライセンス商品で1,000円くらいで手に入るハンカチくらいでした。
ヴィヴィアンのスカーフ(というか多分ハンカチ?)を巻くの、流行ってましたねぇ。 https://t.co/zYl0wgCEpr
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」発売中 (@yamada0221) 2022年4月25日
当時はヴィヴィアン・ウエストウッドの服だけでなく、小物も人気。やはりヴィヴィアン・ウエストウッドの服を着ている人は限られていましたが、ハンカチの他、マフラーや財布などを取り入れている人はかなり多かったと思います。
永遠の憧れ、ヴィヴィアンのマフラー。3,960円https://t.co/qM7BeOnaq4#今日のBIG2nd
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」発売中 (@yamada0221) 2019年12月20日
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「NANA」のシンが着るヴィヴィアンの格好良さ
また、僕がヴィヴィアン・ウエストウッドで連想するのが漫画「NANA」。
特に「NANA」の登場人物で、美少年キャラクターのシンが着用するヴィヴィアン・ウエストウッドの格好良さには今でも惹かれています。
NANAのシン。オーブのアクセサリーも懐かしい。こんな格好超絶美少年しか似合わないですねぇ笑 pic.twitter.com/bmAxWn6X43
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」発売中 (@yamada0221) 2017年6月20日
NANAでのヴィヴィアンといえばやっぱりシンちゃんですよねー。 pic.twitter.com/dV5CtJxkfW
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」発売中 (@yamada0221) 2019年1月8日
「NANA」は服飾専門学校時代に友達と一緒に夢中になって読んでいましたが、つい最近全巻セットを大人買いしてしまいました。
この前、イケアバッグ(大)いっぱいの漫画断捨離をやったっていうのに、NANA全巻セット買ったった!笑
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」発売中 (@yamada0221) 2020年10月28日
もちろん電子書籍じゃないです!https://t.co/nzXXOmMsOW pic.twitter.com/yo0eVWd9K9
超今更ながらNANA読了。パリ留学中は、当時、どこまで読んだんでしょう。最新巻の内容は初見でした。
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」発売中 (@yamada0221) 2021年1月1日
諸々事情はあるんでしょうが、いちユーザーとしては続きが読みたくて読みたくてたまらないすね。 pic.twitter.com/S0nEeuL7EQ
今もたまに読み返している、僕のファッション史に残る作品です。
パンクファッションの生みの親、ヴィヴィアン・ウエストウッド
さて、そんなヴィヴィアン・ウエストウッドは、パンクファッションの生みの親として広く知られています。
ウィキペディアにもある通り、パンクは音楽を中心に様々な分野に派生したカルチャーです。
パンクは、パンク・ロックを中心に発生したサブカルチャーである。
当初はロック音楽、イデオロギー、ファッションを中心としていたが、後にアート、ダンス、文学、映画などが含まれるようになり、独自のサブカルチャーを形成した。
今回読んだ「ヴィヴィアン・ウエストウッド自伝」でも、やはりパンクファッションの誕生について多くのページが割かれています。
そもそもパンクファッションがどういったファッションだったのか。
それは、1970年代当時のヴィヴィアン・ウエストウッド本人を見れば、一目瞭然でしょう。めちゃくちゃ格好良いです。
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そして、ヴィヴィアン・ウエストウッドの格好良さは今も変わっていません。
ヴィヴィアン様格好良いですねー。着てる人のキャラクターが強いから奇抜なデザインのジーパンの印象が残らない。 pic.twitter.com/kmHO7HA1r5
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」発売中 (@yamada0221) 2019年3月21日
ヴィヴィアン・ウエストウッドのデザインのルーツ
そんな、40年以上にも渡って芯が貫かれているヴィヴィアン・ウエストウッドのクリエイションのルーツは、彼女の生い立ちにありました。
例えば、ヴィヴィアン・ウエストウッドを象徴するアイテムのひとつである、パラシュートシャツ。
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パラシュートシャツのルーツは、彼女の幼少期に起こった第二次世界大戦と、それに翻弄された両親の仕事にありました。
(「ヴィヴィアン・ウエストウッド自伝」から引用 強調引用者 以下同)
ヴィヴィアンの父ゴードンは、戦争がはじまったとき、トラフォード・パークにある軍需品や航空機を製造する工場で働くことになり、そのせいで、招集を免れた。父親が勤めていた会社、A・V・ロ ーはランカスター爆撃機を製造した会社で、ゴードンは戦後になってから、工場の正門の向こうにあるダーウェント・ダムでダム破壊爆弾の実験を行なった話を得意げに語っていたそうだ。父方と母方の家族は代々靴屋と八百屋の家業を受け継いでいた。ドラは1928年から地元の綿工場で織工とし て働いていたが、1939年以降は事業内容が変わり、制服やパラシュート、迷彩服や安全ベルトの 帯ひもやテントを製造するようになった。
必然性があるから、格好良い
また、同じくヴィヴィアン・ウエストウッドを象徴する素材と言えるのが、ツイード素材。
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ツイードはヴィヴィアン・ウエストウッドにとって子供の頃から馴染みのある素材でした。
ヴィヴィアンが布地のことに精通しているのは、子どもの頃からさまざまな布が身近にあったことが少なからず影響している。 機能服に使われていたギャバジンのレインコートや、糊のきいたコットン、梳毛織物、ツイード。 ツイードは戦前に彼女の実家の周辺の製造所で織られていた布で、戦後になり、改めて製造が再開された。いずれの生地も、ヴィヴィアンがデザインする服に定番素材として使われている。ヴィヴィアンの子ども時代、布は戦争の一部であるだけでなく、小さな女の子にとっての生活の一部だったのだ。
このように、幼い頃から慣れ親しんだものから生み出されたヴィヴィアン・ウエストウッドのデザインは、まさにヴィヴィアン・ウエストウッドそのものと言えるくらい、彼女と一体感があるのでしょう。
付け焼き刃ではなく必然性があるから、その格好良さは揺るぎ無いのではないでしょうか。
「DIY精神」の生みの親
第二次世界大戦終結目前にイギリスで政権を取ったのが、クレメンス・アトリーが率いる中道左派の労働党でした。
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労働党の政策を表すキャッチコピーとして有名なのが「ゆりかごから墓場まで」。
アトリー政権は石炭や鉄道、通信などの重要基幹産業の国営化を行い、社会保障制度の確立に多大の努力を払いました。
1945年から1951年まで政権を取っていたアトリー政権による第二次世界大戦後の国民の生活水準を目標とした経済政策は、1941年に生まれのヴィヴィアン・ウエストウッドの思想や嗜好に少なからず影響を与えていたようです。
緊縮経済の世界とは、いうなれば「自分でつくる」とか「代用する」とか「修理する」、そして、「必要ならばリサイクルする」ということを当たり前と考える世界であり、その精神は、今日までヴィヴィアンに影響を与え続けている。これは、エリザベス女王を含めて、彼女と同世代の人々に共通する感覚で、その時代を共に生きた人々はみな、誇りと郷愁をもって、色を失ったイギリスの緊縮経 済の背景にあった高潔な志に想いを馳せる。「むやみに買わない。上手に買い物をして、それを長く使うこと」。これはヴィヴィアン・ウエストウッドと彼女の会社が21世紀に掲げるスローガンであるが、アトリー政権によって生まれた言葉であることはまちがいない。これはすなわち実用性の意義を謳った言葉であり、当時の内閣は、エコ活動として、女性の服装を政治的に制限して貯蓄を増やす運動をことさら熱心に推進した。
「DIY精神」「DIY主義」は、パンクの基本となる精神性のひとつ。
ヴィヴィアン・ウエストウッドが手掛けた「LET IT ROCK」「SEDITIONARIES」、そして、ヴィヴィアン・ウエストウッドのアイテムには、まさにその「DIY精神」が色濃く反映されたデザインが施されています。
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こういったデザインも、当時ヴィヴィアン・ウエストウッドが直面した非常事態に対応するために「必然的」に生まれたものでした。
「せっかくお金をかけてロックンロールTシャツを制作していたのに、おかげで全然売れなかった。 とんだ災難よ。それで、そのままつくってもあまり売れないから、新しい試みに挑戦するようになったわけ。たとえば、わざとTシャツに穴をあけるとか、リメイクするとか。最初はそんな感じで、ニッカーズをつくったりもしたわ。それでもあまり売れなかったから、今度はそこにスタッズをつけてみたの。そしたら売れた。黒地のニッカーズには、白抜きでデザインを入れたりもした。そのときのロゴが 「Let It Rock」 だった」
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「ニッカーズの前か後ろにリトル・リチャードの写真を入れたりしたわ。白バージョンもつくって、おしまいにはそこに穴まで空けたの。次に目を付けたのがTシャツだった。袖口をロールアップできるように縫ってみたら、それを真似して袖をロールアップにしたスタイルのTシャツが大流行しはじめた。結構手間がかかる作業だったけど、そこがわたしらしいでしょ。その次は、かわいいモデルたちを連れてきて、写真を撮ったの。 モデルもTシャツの一部ってわけ。いかにも50年代風よね。ラクエル・ウェルチ風の女の子たちを集めた。それで、酔っぱらってる姿とか、海岸に打ち上げられた姿とか、まあ、はっきりいえばやや挑発的なポーズばかりカメラの前でとらせた。わたしたちはそういうモデルたちをどんどん増やしていったの。まるで、タバコの箱に入っているピクチャー・カードみたいに。 そうなの、当時はそういうものがタバコの箱に入ってたのよ。それから、Tシャツにビニールのポケットをつけてみたりもした。 まずTシャツに穴をあけて、ビニールを買ってきて、大抵は色付きだったけど、それでTシャツの上に小さなポケットをつけるの。そして、本から適当な写真を切り抜いて、だいたいはピンナップ写真だったけど、それをボ ケットに入れるわけ。そんなことをしてたわね。そのうちに、状況主義者風のスローガンをTシャツに入れたらどうかということになった。当時はそれがすごくかっこよく思えたのよ。」
穴を空けたダメージ加工や、メッセージプリント、そしてスタッズなどはパンクファッションの代名詞的存在。
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今もなおパンクファッションが輝きを失わないは、ヴィヴィアン・ウエストウッドの「必然性」によって生み出されたからなのです。
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続きます。