先日、ツイッターのタイムラインで珍しくファッションショーの動画がバズっていました。
コペルニのショーで、ファッション史の歴史的瞬間が誕生。フィナーレを飾ったベラ・ハディッドの全身にスプレーされた特殊な液体は、なんと見事なミディ丈ドレスへと変化!【2023年春夏 パリコレ速報】 https://t.co/pNwUwhOyjK pic.twitter.com/7H1p4lXKWg
— VOGUE JAPAN (@voguejp) 2022年10月9日
この動画を見て、僕がふと思い付いたのがこんなこと。
フセイン・チャラヤンぽいなーと思ったんですけど、もしフセイン・チャラヤンの全盛期に今みたいにSNSがあれば、大バズりしてたのかもしれませんねー。 https://t.co/hkadxKMmwM
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」発売中 (@yamada0221) 2022年10月9日
僕が大好きなデザイナー、フセイン・チャラヤン
フセイン・チャラヤンはキプロス生まれのデザイナー。
イギリスに移住し、ジョン・ガリアーノやアレキサンダー・マックイーン、ステラ・マッカートニーといった名だたるファッションデザイナーを輩出した名門セントラル・セント・マーチンズでデザインを学びます。
僕がファッションに熱中していた1990年代終盤はデザイナーズブランドが大人気。でしたが、当時僕が心酔していた川久保玲と肩を並べるくらい、大好きだったのがフセイン・チャラヤンでした。
一時期は川久保玲よりも熱中していたデザイナー、フセイン・チャラヤン。
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」発売中 (@yamada0221) 2022年10月10日
そういやブログで取り上げたことがなかったので、復習すべく手持ちの資料を引っ張り出してきました。 pic.twitter.com/EIcKLMuqAb
デニムってくくりで言えば、当時の僕にとって一番衝撃的だったのがこの一枚。フセイン・チャラヤンです。
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」発売中 (@yamada0221) 2021年4月16日
この画像はピンタレストで見つけたんですが、出典はなんなんでしょうね。
多分何かの雑誌だと思うんですが、コピーした紙を今でも持ってます。
この感覚、今でも大好きです。 pic.twitter.com/2enEZovwv8
当時のフセイン・チャラヤンに対する評価は非常に高く、例えば1995年に発売されたビョークの名盤「Post」で着用されているのも、フセイン・チャラヤンのものでした。
このジャケットのジャケットってフセイン・チャラヤンのだったんすねー。知らんかった pic.twitter.com/Yc3URAopEm
— 山田耕史 書籍「結局、男の服は普通がいい」発売中 (@yamada0221) 2020年7月2日
現在もチャラヤンという名称に変更されたブランドは継続中ですが、残念なが最近の活動はそれほど話題になっていないようです。
以前、当ブログでご紹介したコムデギャルソンオムの田中啓一同様、フセイン・チャラヤンはもっと評価されるべきデザイナーだと僕は思っています。
なので、微力ながらもフセイン・チャラヤンの魅力を後世に残すべく、その素晴らしいコレクションをご紹介していきます。
フセイン・チャラヤン2000年秋冬コレクション
まず今回最初に紹介したいのが、フセイン・チャラヤンの2000年秋冬コレクション。
現在はチャラヤンの公式アカウントから、ファッションショーの動画の全編がYouTubeにアップされています。
百聞は一見にしかず。
18分のこの動画を観てもらえればフセイン・チャラヤンの素晴らしさをご理解いただけると思いますが、僕のように動画を観るのが億劫という人もいるでしょう。
なので今回は動画から切り出した画像を使わせてもらい、コレクションの背景と僕なりの見どころをご紹介します。
コソボ紛争とキプロス紛争、そしてフセイン・チャラヤン
その前に。
こちらは2005年にオランダのフローニンゲン美術館で開催されたフセイン・チャラヤンの展覧会の図録です。
フセイン・チャラヤンのデビューから2004年までのコレクションが収録されているのですが、この中に今回ご紹介する2000年秋冬コレクションの解説文があったので、和訳して引用します。
コソボからの驚くべき写真が世界中を駆け巡った頃、チャラヤンは戦争時に故郷を追われることに焦点を当てた「アフターワーズ」コレクションを発表した。キプロスのトルコ系住民に生まれたチャラヤンにとって、この出来事は彼自身の過去、つまりキプロスにおけるトルコ系住民とギリシャ系住民の対立の時代に言及するものであった。その後のトルコの介入により、1974年にキプロス島は分割された。
(強調引用者)
冒頭に登場する「コソボ」とは、コソボ紛争のこと。
ユーゴスラビアでは、長年アルバニア人とセルビア人との民族間の対立が続いていました。
1980年代から急激に高まっていたその緊張は、1996年には武力衝突、そして1998年には紛争に発展。
1999年3月にはNATO軍によるセルビア空爆が行われるなど、2000年秋冬コレクション開催時にはまだ激しい混乱の真っ只中でした。
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ユーゴスラビアと同じように、フセイン・チャラヤンのルーツであるキプロスでも、民族間の対立が長年続いていました。
19世紀からキプロスで続いていたギリシャ系住民とトルコ系住民との対立は、1960年代には内戦に発展。
フセイン・チャラヤンが生まれた1970年代にはコソボ同様NATO軍が介入するなどし、国際的な解決方法が模索されるも、その後も現在に至るまで平穏は訪れていません。
フセイン・チャラヤンの作風は非常にコンセプチュアル。
コレクション発表当時のコソボ紛争による混沌とした世相、そして同じように混沌とした自らのルーツが相まって生まれたこの2000年秋冬こそ、フセイン・チャラヤンの最高傑作のひとつだと僕は思っています。
ひざ掛けがドレープに
さて、コレクションを観ていきましょう。
まず登場するのは、部屋を模した舞台に座っている家族。
座った状態ではひざ掛けのように見えますが、立つとスカートやコートの美しいドレープになるという、このテーマだけでもひとつのコレクションになりそうな素晴らしいルック。ですが、これは今回のコレクションのイントロに過ぎません。
家族が退場するとスタッフが登場。
家族が座っていた椅子を片付けます。
ここから、コレクションが本格的にスタート。
部屋の中がランウェイになっています。
こういった造形的なフォルムのドレスも、フセイン・チャラヤンが得意とするアイテム。
部屋から持ち去られていく調度品
部屋の奥の棚には花瓶などの調度品があります。
当時のスーパーモデル、デヴォン青木(世界的人気DJ、スティーブ・アオキの娘さん)が着用しているのは、ポケット部分が手袋のようなフォルムのコート。
デヴォンは棚にある調度品を手に取り、部屋から去っていきます。
その後続けて登場するモデルたちも、調度品を部屋から持ち出していきます。
奥のモデルが着用する、ベージュのコート。
逆L字でてっぺんが弧を描く、独特なフォルムのポケットです。
モデルは棚にある折りたたみ傘を手にし、ポケットに入れます。
このポケットは折りたたみ傘がぴったり入るように作られたポケット、ということです。
その次のモデルが棚から手にしたのは小さなショルダーバッグ。
彼女はコートの内側にポケットを入れ、部屋から出ていきます。
次々と外される椅子カバー
ここからが今回のコレクションの山場です。
ここまでのショーは部屋の向かって左側を中心に展開されていましたが、ここで椅子やテーブルが置かれた場所にフォーカスが当てられます。
登場するのは、シンプルなスリップドレスを着た4人のモデル。
モデルたちはそれぞれテーブルの周りに置かれた椅子の後方に立ち、椅子のカバーを外していきます。
カバーが外されて現れるのは、木製の椅子。
そして、モデルたちは外した椅子のカバーを身にまとっていくのです。
椅子カバーの表地は全てグレーでしたが、裏地はレッドやパープルといった鮮やかな色。
椅子カバーの直線的なフォルムから生まれた、独特なシルエットのスカート。
椅子カバードレスの完成です。
スタッフが登場。
モデルたちがカバーを外した椅子を折りたたんでいきます。
椅子を折りたたんでできたのは、旅行かばん。
椅子カバーは服になり、椅子自体もバッグになりました。
部屋に最後に残された木製テーブル
最後に登場するのは、ブルーのトップスをまとったモデル。
部屋に残されているのは、木製の丸いローテーブルのみ。
テーブルの中央部分を取り外します。
テーブルとモデルの足元が映されます。
そして、テーブルの中央に足を踏み入れるモデル。
モデルがしゃがんでテーブルの中心部を持ち上げると…
実はテーブルは木製の輪が同心円状となって形作られていたものでした。
その同心円状の木の輪が、円錐形のスカートに一瞬で早変わり。
テーブルスカートの完成です。
まるで芸術作品のような美しささえ感じる、綺麗なフォルム。
調度品は服のポケットにぴったり収められて持ち去られ、家具である椅子やテーブルまで服となりました。
ここで暗転し、ショーは終了です。
冒頭に引用した図録の解説には続きがあります。
チャラヤンは難民というテーマを、貴重な財産を隠したりカモフラージュしたり、あるいはそれらを持ち運ぶというアイデアと結びつけた。コレクションは、椅子と1950年代風の丸いコーヒーテーブルが置かれた、白を基調とした空間で行われた。その背後には、半透明のスクリーン越しにブルガリアの女声合唱団がぼんやりと見えている。その歌声は浸透力があり、「リビングルーム」のモニターに合唱団の姿がはっきりと映し出された。
このコレクションのテーマは難民。
このような現実の悲劇的なテーマを、美しい服として表現できるデザイナーは、フセイン・チャラヤンの他にはまずいないと、僕は思っています。
世が世ならバズの連続だったフセイン・チャラヤン
で、話を冒頭のバズったファッションショーの話に戻します。
こうやってコレクションが生まれた背景を知ってしまうと、ちょっと軽薄な表現になってしまうかもしれませんが、フセイン・チャラヤンのコレクションは、今の時代ならめちゃくちゃバズっているのではないか、と思うのです。
特に、今回ご紹介したテーブルスカートはかなりSNS映えすると思います。
試しにGIF動画を作成してみました。
こちらは現在のフセイン・チャラヤンの公式サイト。
今回ご紹介したコレクション以外にも、過去の名作が見られるようになっています。
2000年秋冬コレクション以外にも、絶対にバズるであろうフセイン・チャラヤンのコレクションはまだまだあります。
順次ご紹介していくつもりですので、お楽しみに。