山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

移動式古本屋「tuneless melody bookstore」が語り継ぐ、90年代カルチャーの遺伝子。

10年以上住んでいるにもかかわらず、まだまだ知らない場所ばかりの東京を僕なりにディグ(掘り起こし)って、いく【トーキョーディグ】

僕は東京が世界一ファッションの多様性がある街だと思っています。

そんな東京のファッションの素晴らしさを多くの人に伝えるために、この【トーキョーディグ】をベースにした英語ブログ「TOKYO FASHION DIG」の執筆を始めました。

tokyo.yamadakoji.com

【トーキョーディグ】のこれまでの記事はこちらです。

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この記事でご紹介しているお店などは、グーグルマイマップで共有しています。

 

生まれて初めての昆布ラーメン

今回の目的地の最寄り駅は東日本橋駅

普段はなかなか訪れることがない場所なので、電車内で昼食に良さげな店を探しました。

で、選んだのがこちらの昆布の塩らー麺専門店Mannish東日本橋店

 
 
 
 
 
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昆布ラーメンって食べたことありませんからね。興味津々です。

平日の12時前に到着して、待たずに入れました。入り口を入ってすぐ右手に券売機があります。現金のみ使用可能。

お水はセルフサービスで、券売機の反対側にウォーターサーバーがあり、その上に紙エプロンが置かれています。

席にあった説明書き。「食べ進める途中で、卓上にある【昆布酢】を少しずつ入れていただくと、まろやかになりまた違った味を楽しんでいただけると思います」とのこと。

今回選んだのは、昆布の塩らー麺(850円)。

スープを一口飲むと…確かに、昆布のスープ。ラーメンのスープとしては初めての味ですが、美味しいです。

チャーシューは鶏もも肉。

チンゲン菜。

食べごたえのある麺。

8割方を食べ終えたところで、説明書きにあった昆布酢を入れてみました。すると、「もっと早く入れておけば良かった!」と思うくらい、美味しい味に変化。最後までとっても美味しくいただけました。

 

横山町、馬喰町の問屋街をブラ散歩

食べ終えてお店を出ましたが、まだ目的の場所がオープンするまで少し時間がありました。

ラーメン屋さんの近くにあったのが、この渋いワークウェアショップ。

この雑多な雰囲気がたまりません。

そう言えば、と思い出したのが、この東日本橋駅周辺の横山町や馬喰町は繊維関係の問屋街だったこと。

こちらは横山町の問屋街マップ。

横山町、馬喰町が問屋街になるのは、以下のような歴史があったそうです。

江戸時代から商人の街として知られる横山町。そのルーツは江戸時代初期、横山町の大層を占めていた寺(築地に移転した西本願寺もありました)が明暦の大火(1657年1月に江戸市街の大半を焼いた大火事)の後に浅草他に移転し、その跡地に商家が開かれたことに遡ります。

明暦の大火後の復興計画の一環で、横山町の中央を通る奥州街道(本町通り)は江戸のメインストリートとして幅7間(13.8㍍)に広げられ、両国橋の袂の中央区側には、後に江戸一番の繁華街と称される両国広小路が設けられ商業が活発になりました。

横山町も、和装小物、薬種、書物などの各種問屋が軒を並べ、堀留と並ぶ江戸の代表的な問屋街となっていきます。

その発展には馬喰町も欠かせない存在でした。

馬喰町は当時、公用馬の確保のための馬場が設けられた旅宿の町。馬喰町に宿泊して横山町の問屋街でじっくり品物を選ぶという流れができ、地方からの集客がうまく進んでいったのです。その後、交通網の発達により馬喰町にも問屋街がのびていきました。

昭和初期の大恐慌時に現金問屋が誕生。主に繊維を中心とする問屋が主流となり、現在では日本最大級のファッション問屋街として、1690年創業の老舗から、事業をはじめたばかりの新店まで切磋琢磨しています。

www.tonya-town.tokyo

せっかくなので、辺りを一周りしてみました。このように、店頭にダンボール箱が並んでいるところに、問屋らしさが感じられます。

こちらは大きいサイズの紳士服店として知られるサカゼンの日本橋本店。

こちらはタオル専門店。

こちらはアクセサリー専門店。このように、様々な

このように、様々なジャンルの問屋が軒を連ねているので、歩いていても飽きません。

一番多く感じたのはこういったいわゆる婦人服の問屋。

問屋街らしく、小売り不可のお店もありました。

ですが、多くのお店はこちらのように、一般人でも普通にお買い物ができるようです。

 

移動式古本屋「tuneless melody bookstore」

散歩している間に時間になったので、今日の目的地であるstopover tokyoに向かいました。

stopover tokyoはカフェバーのお店。

 
 
 
 
 
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その2階で開催されていたのが、今回の僕のお目当てであるtuneless melody bookstoreです。(注:stopover tokyoでのtuneless melody bookstoreの今回の開店期間は既に終了しています)

tuneless melody bookstoreは堀田勇人氏による移動式古本屋

 
 
 
 
 
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野外フェスやライブハウスなど、様々な場所に移動して古本を販売しています。

 
 
 
 
 
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こちらは堀田勇人氏のインタビュー記事。移動式古本屋を開店するきっかけなどが語られています。

fumufumunews.jp

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↑のインタビューからも分かる通り、tuneless melody bookstoreのキーワードは90年代

そんなtuneless melody bookstoreに僕が出会ったのは2年前のことでした。

そのときは、現在かなり高値になってしまった90年代のBoonを手頃な価格で売っていただきました。

その後、様々な場所でtuneless melody bookstoreは開店していたのですが、兼業主夫である僕にはハードルが高い週末だったり夜だったりの営業だったので、なかなか行くことができずにいました。

が、今回のオープンはは金曜日と土曜日に開店。

ということで、金曜日のオープン時間、12時過ぎに伺いました。

 

部屋に山積みになった90年代

2年前同様、tuneless melody bookstoreが開店しているのはstopover tokyoの2階の一室。

あまり広いとは言えないスペースですが、オープン直後だったら比較的空いているかな?と思っていたら、既に沢山の人で賑わっていました。

店内はまさに90年代一色

smart、Boon、POPEYE、MEN'SNON-NO、COOL TRANCE、an・an、CUTiE、Olive、FRUiTSなどなど、90年代のファッションシーンを牽引したファッション誌が文字通り山積みとなっています。

その他に、90年代のムック本や写真集なども取り揃え。

左下にあるBRUTUSは、90年代ファッション好きにとっては驚愕の内容。でしたので、僕が購入しました。そのうち気が向いたら僕のツイッターの#ファッションアーカイブでご紹介するつもりです。

左上は、ポンプフューリーを着用したビョークが表紙のCut。ポンプフューリーブレイクの一因となった、スニーカー史に残る一冊です。

 

pradaの靴が欲しいのダッフルコート

最初の写真にも写っていましたが、今回のtuneless melody bookstoreの目玉はこちらではないでしょうか。

1995年に発売された小沢健二さんの「痛快ウキウキ通り」のシングルCDジャケットで着用されていたダッフルコートです。

Amazon | 痛快ウキウキ通り | 小沢健二, カラオケ, 小沢健二 | J-POP | ミュージック

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なんと!あのダッフルコートはジェネラルリサーチのものだったとは、今回初めて知りました。

確かに、このトグルボタンがベルトに変更されているのは、パンクの影響が色濃いジェネラルリサーチらしいデザイン。

このダッフルコートは、売り切れとなったようです。

 

90s J-POP Tシャツも販売

今回初めて堀田勇人氏にご挨拶して、少しお喋りさせてもらいました。堀田氏はとっても気さくで、他のお客さんにも90年代当時のファッションや音楽などの話を楽しそうにされていました。

こうやって90年代の遺伝子が語り継がれていくのだな、と感じました。

僕が店内に入っていきなりに堀田勇人氏ツッコまれたのが、この日僕が着ていたお気に入りのJ-POP Tシャツ。1994年のTMNの解散ライブTシャツです。

このライブの模様は当時NHKで放送され、僕は多大な影響を受けました。

www.youtube.com

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僕が着用していたTMNのTシャツ、なんと以前tuneless melody bookstoreしたことがあるとのこと。しかも、同じTMN解散ライブで発売された別バージョンのTシャツも、この日販売されていました。

このTシャツは僕も持っているんですが、結構着ているので、ボディの色落ちなどが気になっていました。

ストック用に購入しようかな、と一瞬思ったのですが、それよりもこれをきっかけにTMNに興味を持ってくれる人がいれば、と思いスルーしました。

90年代J-POP Tシャツを楽しんでくれる人がひとりでも増えてくれれば、と思います。

magazine.mercari.com

tuneless melody bookstoreでは古本の他にも、Tシャツを中心に90年代のファッションアイテムを数多く扱っています。

最後に記念撮影をさせてもらいました。名刺代わりに差し上げた僕の著書を掲げていただくというサービスっぷり。ありがとうございました。

今後もtuneless melody bookstoreは様々な場所で開店されるようなので、インスタグラムツイッターをチェックしてみて下さい。

 

受け継がれる90年代

上掲の堀田勇人さんのインタビュー記事にもある通り、tuneless melody bookstoreには僕と同年代やそれより上の年齢の人だけでなく、若い人も多く訪れているようでした。

僕は自分の青春時代を送ったので、なおさら90年代に対する思い入れが強くなってしまいますが、今の若い人にとっても90年代は刺激の多い時代で、その刺激の一部を味わえるツールとして当時のファッション誌が今も読まれていることは、非常に興味深いですね。

90年代の刺激を受けた若者が創造する新しい時代を楽しみにしていたいと思います。