90年代のファッション誌を中心に、昔のファッション誌のアーカイブを兼ねてご紹介する企画、ファッションアーカイブ。
これまでの記事はこちらから。
今回ご紹介するのはポパイ1977年11月10日号です。
これまでファッションアーカイブでご紹介してきた中で一番古かったのが1978年11月10日号のポパイ。図らずも、今回はちょうどその1年前のポパイをご紹介します。
1977年ってどんな年?
まずは1977年がどんな年だったのか、見ていきましょう。
経済
1973年のオイルショック(第一次石油危機)が起こり、その翌年の1974年には第二次世界大戦後初のマイナス成長を記録するなど、景気の下降局面にあった日本経済が持ち直し始めたのが1975年。今号が発売された1977年は景気回復局面にありました。
オイルショックの教訓を活かし、日本企業は積極的に省エネルギー投資をするなど合理化を推し進めることで、国際的な競争力は飛躍的に伸び、その結果国際収支は大幅な黒字となり、円相場も急騰。
日本の製品の輸入規制や日本市場での農作物の開放を迫られるなど、国際的な圧力を受けることとなりました。
日本の出来事
『ドリフ大爆笑』が放送開始
『コロコロコミック』が創刊
「マイルドセブン」を発売
気象衛星「ひまわり」打ち上げ
キャンディーズ解散宣言「普通の女の子に戻りたい」
王貞治選手がホームラン世界新記録756号達成
ヒット曲トップ5
1位 ピンク・レディー:「渚のシンドバッド」
2位 森田公一とトップギャラン:「青春時代」
3位 ピンク・レディー:「ウォンテッド (指名手配)」
4位 沢田研二:「勝手にしやがれ」
5位 小林旭:「昔の名前で出ています」
洋楽ヒット曲
セックス・ピストルズ 「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」
ザ・クラッシュ 「White Riot」
イーグルス 「ホテル・カリフォルニア」
クイーン「We are the champions」
セックス・ピストルズやクラッシュのヒットからわかるように、パンクムーブメントが本格化したのも1977年でした。
ヒット映画(日本公開)
ロッキー
八甲田山
八つ墓村
充実のフォルクスワーゲン・ビートル特集
さて、誌面に戻りましょう。表紙はスキー板やトランク、ボストンバッグを積んだフォルクスワーゲン・ビートルのイラスト。アラスカナンバーです。
前年の1976年に創刊されたポパイの第18号。セレクトショップ、ビームスが創業されたのも1976年です。
ナショナル(現パナソニック)のストロボ広告。
海外ニュースのページ。サイゴン陥落によりベトナム戦争が集結したのがこの2年前の1975年だったので、ベトナム戦争はまだまだ馴染みのある言葉だったのでしょう。”トルコ風呂”という言葉が普通に使われているのにも、時代が出ています。
当然まだ”ソ連”の時代。”ジャズ・キチ”なんて言葉も。
こちらのページでは”売春宿”。
表紙にもあった、フォルクスワーゲン・ビートルの特集。
”日本仕様車は今年いっぱいで生産中止”ということなので、この特集が組まれたのかもしれません。
全部で6ページの充実っぷり。
いいモノをカッコよく着るために自分の体を削る
右ページ、アディダス広告…じゃなくて、伊勢丹の広告でしょうか。左ページからは特集の”SHAPE-UP”。”服をいいカンジに着るためには中身をシェープアップしなければならない、という提言。”だそうです。
”シェープアップって、いったいどういうこと?”と、シェープアップの定義やアメリカでのその人気についての紹介。
”道具いらずの運動アイソメトリクスはいかが”
”いいモノをカッコよく着る!そのためには自分の体を削る。アメリカのボーイズたちはすでに10年前からコレを実行している。彼らがカッコよくて、ボクたち日本人がなぜカッコよくないのか。その理由がこれで分かっていただけただろう。”
右ページ、UCLAのウェア広告。
デサントグループの企業が展開していたようです。
”エアロビクスとは?”
プロテイン。
ビッグジョン広告。
ストレートで3,600円〜。
”抽せんで30,000名さまをこの陽気なパーティにご招待!”
右ページ、”実戦用フィッシングウェア-タラス・ブルバ”。
アシックスが展開していたアウトドアブランドです。
現在はスポーツオーソリティのオリジナルブランドとして展開されているようです。
アイソメトリクス講座。
ロフトジャズという新しいジャズのムーブメントがニューヨークで起こっていたそうです。
記事で紹介されているAirというグループのデビュー作がYouTubeで見つかりました。
他に、以下の楽曲が記事で紹介されています。
Art Ensemble Of ChicagoのThe Spiritual
Oliver Lake/Electric Freedom Colors
Hamiet Bluiett/Endangered Species
Human Arts Ensemble/Under the sun
セディショナリーズの店構えはいたって殺風景
”次号はスウィンギン・ロンドン現地取材の特集だ。”ということで、大貫憲章さんによる予告の記事で、ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンによるショップ、セディショナリーズ、そして現地のライブハウスで見たパンクスについて触れられています。
前述したように、この1977年はセックス・ピストルズの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」がヒットするなど、パンクに最も勢いのあった時代の貴重なロンドンのレポートです。
”キングス・ロードは長い通りだ。その一番はずれの方に、かの有名なパンク・ファッションの店<セディショナリーズ>があり、<スマッツ>があった。しかし、意外なことに、話に聞いていたほどパンク人間には会わなかった。普通の観光客がひしめく普通の街の風景だった。<セディショナリーズ>の店構えはいたって殺風景。曇りガラスのドアにはさむウィンドウ部分にはベニヤ板がはりつけられていた。例のパンクスに対抗するテッズの連中にこわされたのだという。「ヘェー」ってなもんだった。やっぱり萌えてるんだなって、そのベニヤ板から感じられた。”
”そして、ぼくは見た。ロンドンの大通り、オックスフォード・ストリートに面する<ヴォーテックス>というライヴ・ハウスで、500人からの、サカ毛をたて、安全ピンに鎖のパンクスたちを。連中は若く、エキサイティングだった、ビールを飲み、身体を動かす。叫び、腕を振り、他人より少しでも高く、激しく飛び跳ねようとする。すごい熱気とエネルギーだ。その異様な光景に、しばらく茫然としていた。ほとばしる汗、耳を裂くフルスピードのハードなロックンロール。”
大貫憲章と「LONDON NITE」
大貫憲章さんの本業はDJ、そして音楽評論家ですが、日本のファッション史を語る上で欠かせない人物です。
特に、大貫憲章さんが新宿のディスコ、ツバキハウスで主催していたロックイベント「LONDON NITE」には大川ひとみ(MILK)、藤原ヒロシ、高橋盾、NIGOなど、後に世界的評価を受ける重要人物が足繁く通っていたことで知られています。
特に、パンク少年だった藤原ヒロシさんは「LONDON NITE」で開催されたファッションコンテストで優勝し、ロンドン行きのチケットをその優勝賞品として手に入れてロンドンに渡り、マルコム・マクラーレンらと親交を交わすなど、音楽的、ファッション的に大きな経験をしています。
もし、大貫憲章さんの「LONDON NITE」がなければ、後の裏原系のムーブメントも生まれていなかったのかもしれません。
次回に続きます。