窪塚洋介さん。
やっぱり格好良いですね。現在はレゲエミュージシャンとしても活動されていますが、俳優として人気だった時期も数多くの雑誌に登場していた00年代のファッションアイコンのひとりです。
ほぼ日刊イトイ新聞に窪塚洋介さんのインタビューが掲載されており、そこでファッションについて語った一節が興味深かったので引用します。
──服、お好きなんですね。
窪塚 好きですね‥‥ファッション誌によく出してもらってたころ、スタイリングなんかも、自前でやらせてもらってましたし。
──そういえば、降谷建志さんと共演した映画『アリーキャット』で、窪塚さんの着ていたジャンパーが、すごいカッコいいなあと思ったんです。
窪塚 ああ、あのドカジャン。
──どこかのブランドのものなんですか。
窪塚 いやいや、ちがうと思いますよ。ただの、警備会社から支給されたジャンパー。
──服がカッコよく見えるかどうかって、やっぱり「着る人」なんですかね。
窪塚 安いボロボロの服なのに、超カッコよく見えるみたいな人って、ジャマイカに多いんです。右足と左足でバラバラの靴を履いて、もうなんだったらサイズもちがってんじゃねぇかみたいな、でもそれが、カッコよくて。
──それって、もともとバラバラの靴しかないんだけど、それを逆手に取って、おしゃれに変換してる的な感じですか。
窪塚 たぶん。父親からもらったジャンパー羽織って、派手なシャツをインして、穴の開いてそうなハンチングかぶって、それで、何で、あんなにカッコいいんですかと。
──‥‥何でなんでしょうね?
窪塚 やっぱそいつが「いる」んでしょうね。そこに、ちゃんと「自分」が、いる。
──着せられてない、というか。
窪塚 「何を着るか」じゃなくて「誰が着るか、どう着るか」‥‥って、よく言ったりしますもんね。
──ええ。
窪塚 全身作業着だって、カッコいいやつはカッコいいわけだし。逆に、いくらブランド着てても、カッコ悪いの、いくらでもいますよね。
(太字引用者)
「服よりも人」はファッションの真理
以前当ブログでご紹介した大御所スタイリストの野口強さんと同じ意見ですね。
──「ファッション業界」全体に目を向けると、かつて雑誌が牽引(けんいん)していた時代から、SNSや通販サイトの拡大、ファッションアイコンの変化などで業界全体が移り変わっています。こうした時代の変化とともにメンズファッションにおける「格好良さ」も変わってきていると感じますか?
野口 それは難しいよね。結局、洋服だって着る人を選びますから。
──やはりモデルがいいと服も似合う。
野口 いや、そうではなくて、例えばリーバイスの501なんか細いモデルが着ても全然似合わなくて、どっちかというとガッチリした背の低い人の方が似合ったりするわけ。でも、結局突き詰めるとその人のキャラクターなんじゃないかな。どんなにスタイルが良くったって中身が薄っぺらいと洋服着せても薄っぺらいんだよね。
──つまり、その人の中にあるキャラクターがにじみ出たもののひとつがファッションであって、本質的にその人がカッコいいかどうかで決まると?
野口 そうやって言っちゃうと終わっちゃうんですけど(笑)。でも本当はそうなのかなって思う。洋服なんておまけみたいなもんで。
(太字引用者)
なんかもうここまでの大物が口を揃えて言ってるんだから、「服よりも人」はファッションの真理なんでしょうね。
「全身作業着だって、カッコいいやつ」になるには?
あなたの周りにもいるんじゃないでしょうか。「全身作業着だって、カッコいいやつ」も「ブランド着てても、カッコ悪いの」も。
文中の「映画『アリーキャット』で、窪塚さんの着ていたジャンパー」はおそらくこれでしょう。確かに格好良いです。
アリーキャット
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もちろん窪塚洋介さんが元々超絶男前ってのもありますが、やはり「そこに、ちゃんと「自分」が、いる」んでしょう。
以前からご紹介していますが、ころころと移り変わるトレンドの服を着ていたら自分らしさを育むことは難しいでしょう。ブランドの服や流行りの服なんて誰だって着ていますからね。いわゆる「量産型」ですね。
「オシャレだと思われる人」にはなれるでしょうが、「個性がある人」にはなかなかなれないでしょう。
それよりも、自分にしか持ちえない自分だけのライフスタイルをベースに服を選べば、その服装は自分だけの個性的なスタイルになると思います。
意外と義理堅い「裏原」の人たち
おまけというかついでというか。ファッション業界との繋がりも深い窪塚洋介さん。同じインタビューで「裏原」の人たちについて、こう語っています。
──窪塚さんが東京に住んでいた期間て、
かなり短かったみたいですね。
窪塚 19、20、21、22‥‥5年?24には、もう横須賀に戻ってるんで。
──じゃあ、好き勝手やってた20代って、主に20代前半までですか。
窪塚 うん‥‥東京に住んでいたころは、毎日毎日、スポンジみたいに吸収してました。10代のフラストレーションだとか、まわりの大人たちへの憧れとか、そういう、いろんな何かを感じながら。
──当時は、原宿のファッション業界がすごいことになってましたけど、人気ブランドが新作入荷する日とか、えらい行列ができたりして。
窪塚 そうそう、なつかしい。いわゆる「裏原」の最盛期ですよね。
──あの時期、窪塚さんも、あの場にいて。
窪塚 うん、あの時代の原宿に原宿のみんなといっしょにいられたことは、俺にとって、すごい財産です。今の自分を支えてくれる、ひとつの大きな原動力になってますね。
──原宿って街には、時代時代で、ピカピカしてる人たちが集まりますね。
窪塚 楽しかったな、毎日。
──横須賀から出て来た窪塚さんが、原宿のファッション関係の人たちとは、どうやって友だちになるんですか。
窪塚 もう、クラブとかで紹介されたりして。知り合ってすぐに「明日ヒマ? 事務所に遊びにきなよ」みたいな感じで、バーっとみんなとつながって今に至る。
──なるほど。
窪塚 俺が怪我したとき、ババーッといなくなった人たちなんてたくさんいたけど、変わんなかったのはあの人たちだった。
ファッション業界というと何故か軽薄な印象が強いようですが、裏原の人たちは意外と(失礼)義理堅かったようです。
最後までご覧いただきありがとうございました!