7年経っても全く古臭くならないPOPEYE
みんな大好き、POPEYE。特に2012年のリニューアル後の面白さは多くの人が認めるところではないでしょうか。最近僕は昔のPOPEYEを改めて読んで勉強しているのですが、めぐるましく変わるファッションの世界で発売後7年も経つ雑誌で、提案しているファッションも書いてある内容も全く古臭くなっていないことに驚きました。
思うことがあってメルカリで昔のPOPEYEを何冊か落札。これは落札したなかで一番古い2012年11月号。
— 山田耕史 ファッションをカンタンに。 (@yamada0221) September 7, 2019
リーバイス、ラコステ、グローバーオール。どれも全く古臭くないですね。エバーグリーンな魅力。 pic.twitter.com/8J6MIdnTJG
特に2014年11月号 の内容がとても興味深かったので今回ご紹介します。
この号の特集「unFASHION」はこちらの写真集が元ネタ。
(un)Fashion
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今まで当ブログでご紹介してきたmister mortや鬼海弘雄さんの作品のように、いわゆるファッション的ではない人のファッションが紹介されています。
「野暮」の対局は「粋」ではない
その特集の内容はどれもとても面白いのですが、なかでも特集冒頭に掲載されている文章が秀逸でした。
2014年11月号の特集は「アン・ファッション」。この号、読み応え超あります。ミスターモートみたいな、いわゆるファッション的ではないファッションの視点から紐解くファッション。特集イントロの文章だけでも読む価値あり。 pic.twitter.com/JMDk1bqE3Y
— 山田耕史 ファッションをカンタンに。 (@yamada0221) 2019年9月8日
4ページにわたるかなり長い文章のなかから一部引用します。(太字は引用者)
そう、ここは大事なところだ。「”おしゃれ”とは一体何だ」なんてこれまた難しすぎて簡単に答えられない問いだけれど、仮に現代の”おしゃれ”という概念を日本の古くからある言葉に当てはめるとすれば、江戸の市民に尊ばれた「粋」という概念になるんじゃないか。
粋とは何か。粋とは「野暮」の反対だろう。野暮ったいとは今風に言えば「ダサい、冴えない」ってところか。つまり野暮の対局にある、かっこよくて洗練されている様子が「粋」ということ……なんて思っていたら、どうやれこらがまたそう簡単じゃないんだな。
「野暮」の対局は「粋」ではないらしい。これ、わかりますか?野暮の対局、それは気障(引用者注:きざ)。国語辞典で「気障」と引いてみると、「服装や言動などが気取っていてイヤな感じをもたせること。また、そのさま」とある。江戸っ子たちはこの「気障なふるまい」を「野暮以上の野暮」とみなし嫌っていたのだそうだ。
つまり「キメすぎ」は「気障」であって「粋」じゃない。キメすぎない、少し引いたスタンスのハズし、その余裕のある様こそ「粋」の本質というわけだ。
何とややこしいニッポンの美意識よ。
以前の記事で「オシャレな人」には「身だしなみがきちんとしている人」「他人からオシャレだと思われる人」「独自の個性がある人」という3つの種類があるのではないかという考え方を提案しました。
いわゆる「街のオシャレさん」である2つ目の「他人からオシャレだと思われる人」を見ても(あくまでも個人的には)格好良いと思えないのは、キメすぎている人が多く、「気障」な印象になってしまいがちだからでしょう。
では、自分らしいファッションとは?同じく「unFASHION」特集の冒頭分から引用します。(太字は引用者)
自分らしさを表現することは必ずしも他人と違う格好をすることじゃないし、合理性とは必ずしも機能的であることだけではない。自分が自分であることに自信と誇りを持ち、自らの頭で考えて、選択すること。アン・ファッションとは個々の表層的なファッションセンス以上に、そうしたインディペンデントな人間のスピリット、哲学であり、僕たちはそんな彼らの心のあり方にどこかで本能的に惹かれてしまうのかもしれない。
ファッションメディアの多くで「他人と差を付ける」なんて表現を目にしますが、そんな意識なんて野暮の極みでしょうね。
スタイリストの野口強さんも語っていますが、やはり大事なのは服よりも自分。「洋服なんておまけみたいなもん」です。
まぁそもそも「他人と差を付ける」ファッションとして提案されているのは単なるトレンドファッションで、そんな言葉を鵜呑みにしたらトレンド服で個性を消された量産型になってしまう可能性が非常に高くなってしまいますが。
考えすぎは野暮?
で、冒頭の文章はこのように結ばれています。
…なんて、こんなふうにファッションについてクドクドと考えすぎるなんてのはそれこそ野暮じゃないかって?そりゃ痛いところを突かれたな。まさにそのとおりだ。でもさ、野暮と知りつつ野暮をやるのもまた粋ってもんさ。君も僕らと一緒に、これからちょっとだけ頭の中をクラクラ、揺らしてみようじゃないか。
そうなんですよねー。ファッションについて考え過ぎること自体がダサいという矛盾状態になってしまいます。
以前も書いたのですが、こうやって色々試行錯誤していることをできるだけ表に出さないよう、「さりげなく、ありたい」。
まぁ僕の場合↑の記事にも書いた通り、こんなことをブログに書いた時点で表に出まくりなんで「さりげなく」なんてなれそうにないんですが笑。
とりあえずは「自分が自分であることに自信と誇りを持」てるように日々精進することなのかなーと思います。
最後までご覧頂きありがとうございました!