山田耕史のファッションブログ

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ギャル男と関東連合は日本のモッズとロッカーズ?

こんにちは。兼業主夫/ファッションアナリスト/ワークマン公認アンバサダーの山田耕史(@yamada0221)です。
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最近改めて見直している、2000年代に流行したお兄系

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今はお兄系が生まれるまでの経緯について、資料を集めて調べているんですが、その中の一冊として読んだこちらの「不良録 関東連合元リーダーの告白」で、面白い記述がありました。

著者は1981年生まれ。僕は1980年生まれなので1つ違いです。

関東連合として活動しはじめたのは、16歳の終わりのことだった

つまり、1997年の街の様子やファッションに関して、こう書かれています。(強調引用者以下同)

当時は、渋谷や池袋などの街では「チーマー」や「ギャング」と呼ばれる集団が全盛期の時代だ。『東京ストリートニュース!』や『egg』などのいわゆる”ギャル・ギャル男系”ファッション雑誌が10代の間で大流行している。”コギャル”という言葉が生まれ、同世代の奴らがこぞって髪を伸ばし、お洒落をすることがかっこいいという時代だった

僕が通っていた神戸の高校でもギャルファッションを代表するアイテム、ルーズソックスが大流行していたことをよく覚えています。

 

パンチパーマはビジュアル優先

著者が所属していた関東連合のファッションは、そういったギャル男系ファッションとは一線を画していたようです。

関東連合に入ると、まずファッションやヘアスタイルについて先輩から厳しいチェックが入った。髪型はパンチパーマが基本、あるいは丸坊主だった

パンチパーマは「ビジュアル面のカッコ良さを優先」したヘアスタイルだったようです。

タック入りのスラックスを履いて(ママ)出動したところ、「タックが入ってるじゃねえか!スラックスはノータックじゃなきゃ駄目だ。細身じゃねえと駄目だからな!」と頭をひっぱたかれた。まわりが黒のスラックスばかりだったため、赤や白、青のスラックスがカッコイイとされた。靴はエナメルか革靴が基本であり、スニーカーやバッシュなどありえない。雨や雪の日は滑るため、エナメルや革の靴は決して実用的ではなかった。だが、あくまで関東連合はビジュアル面のカッコ良さを優先し、ファッションにこだわった

そんな関東連合ファッションの入手先は、今もよく見かけるお店だったようです。

ノータックで細身のスラックスはサカゼンにいいものが置いてあった。先端がとがった白のエナメル靴など、レアな商品は靴流通センターが一番だった。バックルがついた派手なベルトなど締めていようものなら、先輩からヤキを入れられてしまう。だから紳士用のシンプルなベルトをつけていた。

先輩の言うことが絶対で全て、というような組織だったので、トップクラスの数人、あるいはひとりの趣味趣向が全員に押し付けられていたのではないかな、というのが僕の予想です。

派手なアクセサリーをつけることもはばかられた。金ネックにコインをつけていたところ、「ダサい。そんなものはつけるんじゃねえ」と怒られた。だからコインははずし、金ネックだけにしたのだが、今になってみると、なぜこのスタイルになったのか、本当に謎だ

 

チーマーを消滅させた関東連合

そんなファションの関東連合のメンバーは、ギャル男やチーマーを敵視するだけでなく、本当の意味での「攻撃」もしていたようです。

当時は『東京ストリートニュース!』や『egg』のようなファッション雑誌のマネをしらチャラ男たちが、街にあふれ返っていた。彼らは女の子をナンパする目的で、パーティーだのサークルだのを企画していたようだ。ああいう手合いには日頃から虫唾が走っていたため、街で見かけると必ずブッ飛ばしてやった

ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』を見ていた人なら知っているかと思うが、「カラーギャング」や「チーマー」と呼ばれる連中も街中にウヨウヨしていた。赤や青などチームカラーを決め、バンダナや帽子などでカラーを統一してカツアゲや襲撃をする連中のことだ。

渋谷センター街でそんな奴らを見かけたときにも、必ずブッ飛ばしてやった。

ナンパばかりしているような連中は、敵の数に入らない。自分たちのはるか下にカラーギャングやチーマーがいるという感覚だった。暴走族、いや関東連合がすべてのピラミッドの頂点に君臨していたのだ。

渋谷であれば宇田川警備隊やイラプション、新宿であればダムド、ジャックスといったチームを片っ端からブッ飛ばし、原付をもっていれば取り上げた。さらに、街を荒らした迷惑料として100万円や200万円といった大金を請求した。

そして、関東連合がチーマーを消滅させたのかもしれない、と結ばれています。

一時期隆盛を誇ったチーマーたちは、いつの間にか街から消滅してしまった。その理由はマスコミの世界でも謎に包まれているようだが、ひょっとすると、チーマーの歴史に終止符を打ったのは、オレたち関東連合だったのかもしれない

 

メンズエッグモデルが語る”モデル狩り”

この著書で語られている事を、裏付けられる資料も最近入手しました。

お兄系雑誌として長年人気を誇っていたメンズエッグの事実上の最終号となった2013年11月号です。

当時僕のブログでもご紹介したように、この最終号ではメンズエッグ創刊後からのギャル男ファッションの歴史がまとめられています。

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”創刊から現在に至るまでの主要モデルが総登場!ギャル男カルチャーとメンエグ魂の全てを伝えます!!”と表紙にも記されているように、メンズエッグの思い出を振り返る歴代のモデルの対談が時代ごとに収められています。

その中の「創刊世代」と銘打たれた小野寺尊充さん、照井憲宇さん、植竹拓さん、鈴木浩之さんの対談の”恐怖のモデル狩り時代。それを乗り越えたから、今がある!!”という項で以下のように語られています。

ヒロム:eggモデルになってすぐくらいのころは、道歩くのすら怖かったよな〜。

ヒロユキ:ありましたね。モデル狩りやられた時代

タカミチ:俺もやられましたよ。撮影に行く途中にフツーに電車に乗ってただけなのに、ビンタされて。

ヒロム:そうそう。「調子のってんじゃねぇぞ。」って言われても、俺ら調子じゃなくてメンエグに載ってるだけだから。

メンズエッグが創刊されたのが1999年。ヒロム(植竹拓さん)が読者モデルとしてデビューしたのは1996年だったようなので、「不良録 関東連合元リーダーの告白」で語られていた時代との整合性も確認できます。

ヒロユキ:アレもヤバかったですよね。池袋のチーマーって名乗る人から電話かかってきたやつ。

ヒロム:そうそうそう!!モデルやってたかったら200万円持ってこいって(笑)!!まぁ、結局そのチームのトップの人に電話して確認したら、そんなヤツ知らねぇ!って一瞬で終わったんだよな。しかもそれを脅迫してきた相手に伝えたら、それっきり電話もつながれなくなっちゃって(笑)。

ケンウ:そういう脅しがイヤで、メンエグに出なくなったモデルもいたよな。モデルやってるとモテるし、ひたみやねたみは買ってもしょうがないと思ってたけど。

 

ギャル男と関東連合は日本のモッズとロッカーズ?

この、ギャル男が関東連合やチーマーからリアルに攻撃を受けていたエピソードを知ったときに、僕が連想したのは映画「さらば青春の光」でも知られる、モッズとロッカーズとの対立。

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ジャズメンのスーツスタイルをルーツとしたスマートなスタイルのモッズ。大胆にカスタマイズされたスクーターに見られるモッズの装飾性の高さは、「盛った」髪型が特徴であるギャル男と、装飾性の高さという意味では共通してると言えるでしょう。

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いかつい出で立ちで大排気量のバイクを乗り回していたロッカーズは関東連合のような暴走族の元祖と言える存在です。

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しかしながら、ロッカーズが愛用していたライダースジャケットやエンジニアブーツ、ジーンズなどは、どれもギャル男を代表するスタイルであるお兄系を象徴するアイテムでもあります。

モッズもロッカーズも、現在はファッションスタイルのひとつとして定着し、今も世界中に愛好者が存在します。

個人的にはギャル男(お兄系)も、モッズやロッカーズに負けない個性を持ったスタイルだと思っています。

今後、ギャル男(お兄系)はリバイバルするのか。

そして、2000年代の人気を超える流行になることはあるのか。

その歴史を調査すると共に、今後の展開にも引き続き注目してきたいと思います。