山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

日本のファッションは昭和から進化しているのか?【書評】格好よかった昭和



こんにちは。

先日スーパーで買ったとんこつ鍋の素が美味しくてびっくりした

ファッションアナリスト山田耕史(@yamada0221)です。




本日は図書館で偶然手に取った格好よかった昭和 東京オールウェイズ60'sのレビューです。





・「黒の衝撃」抜きの昭和日本ファッション史


本書は3人のデザイナーを通して昭和日本のファッション史が語られます。

VANの石津謙介。

KENZOの高田賢三。

そして中村乃武夫です。

昭和日本のファッション史を語る時、この3人が挙がる事はなかなかないでしょう。

中でも中村乃武夫の名前は本書で初めて見ました。

・日本のライフスタイル提案の始祖、石津謙介。


恥ずかしながら私の石津謙介に関する知識は

「VANを創ったトラッドの教祖」くらいのものでした。

「ええところのぼんぼん」として生まれた石津は学生時代からファッションにのめり込み、

その時に培った感性と天津の租界で衣料品会社で働いた経験、

そして終戦後に知り合ったアメリカ軍人との交流の中で知った

アイビーファッションを武器にVANを創業します。

私が驚いたのは石津の先見性。

「そのころから僕は、ヴァンは単にモノを売る会社ではなく、
モノを売る前にライフスタイルを提供する、
ライフスタイルを提供するためにはイメージを大事にする必要があると考えていたんです」P.53

と、今流行りのライフスタイル提案をこの頃すでに行っているのです。

・ファッションとは道具である。


また、

「チノパンは、カッコいいから人気が出たわけではない。
洗濯が簡単など、便利で値段が安いから広がったんです。
ファッションとは、人間が賢く生きるための道具といっていいかもしれません」P.71

と、今後日本のファッションが向かって行きそうな方向性も示唆しています。

参考:山田耕史のファッションブログ: 加速するベーシックデザイン×機能。

また、「TPO」や「Tシャツ」など今当たり前になっているファッション用語も

石津による造語というのは知りませんでした。

・行動力が切り開いた高田賢三の運命


日本のアパレルメーカーで働いた後、

アパートの立退き料を元手に渡仏した高田賢三。

フランス語も自信が無いレベルだった賢三は

自分をデザイナーとして売り込む為にファッション誌やオートクチュールメゾンに

デザイン画を売り込みに行きます。

この行動力が功を奏してフランスのワンピースメーカーの働き口を得ます。

そこから「ジャングル・ジャップ」設立、パリコレクションデビューと成功の階段を登り、

1989年には年商100億円、プレタポルテデザイナーの中では

サンローランに次ぐ売上げの規模を誇るようになります。

・江戸っ子パリコレデザイナー中村乃武夫


石津謙介、高田賢三の他に本書では

パリで初めてファッションショーを開いた日本人として中村乃武夫が紹介されています。

パリのバイヤーから大絶賛され、

バレンシアガから「一緒に店を作ろう」と誘われる程

パリでのショーを大成功させるものの

「パリなんかに住めるものか」という理由で日本に帰った中村。

その人生の痛快さは是非本書で読んでいただきたいです。

・日本のファッションは進化したのか?


本書を読み終えて一番心に残ったのは石津謙介の先見性です。

今、セレクトショップはどこもかしこもライフスタイル提案で

カフェを併設したり高価な醤油や盆栽を置いたりしていますが、

石津謙介はライフスタイル提案としてステーキハウスやパブ、家具なども手がけ、

果ては本社にホールを設け、

そこで映画、演劇、コンサート、寄席やボクシングなどを催します。

勿論昭和という時代だから可能だったのでしょうが、

今の日本のファッション業界は石津謙介の時代から

全く進化してない、もしくは退化してしまっているのではないかと思ってしまいました。


最後までご覧いただきありがとうございました!

ファッションネタはTwitter(@yamada0221)でも随時呟いていますのでよろしければフォローしてみて下さい。





このエントリを書いた人
山田耕史 詳しいプロフィールはこちら