山田耕史のファッションブログ

ファッションは生活であり、文化である。

「自分らしいファッション」とは何か、考えに考えたら意外と答えはシンプルでした。


あまりに良すぎて連日ご紹介している今月号のブルータス。
 ​BRUTUS(ブルータス) 2017年 10/1号[場所 人 服 似合うの決め手。]

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www.yamadakoji.com今回は第3弾です。
初回は

「生活感にしても、美意識にしてもその人がその服を着る必然性があるのなら、どんな服でもどんな人でも格好良くなる」​
そして第2回は
「着ている服がどうこうではなく、その人そのものが格好良さの基準になる」​
という結論に達しました。
そして今回は「自分らしさ」とは何かを考えてみます。
参考にさせてもらうのはもちろんブルータス。みんな大好き、ユナイテッドアローズの栗野宏文さんと、哲学者の千葉雅也さんとの「自分らしくあるために。」というタイトルの対談です。

・服の「次」ってなんだろう?

冒頭でファッションの歴史を振り返る栗野さん。現代ファッション流れと今の状況を端的に言い表している素晴らしい一節だと思うので、やや長いですが引用します。

1960〜70年代は社会が要求する「こういう服でなくてはいけない」や「こういった立ち居振る舞いであければいけない」といった規範が強くありました。それに反抗するカウンターカルチャーが生まれ、そしてファッションというものは、自分のあり方を規範からずらすための大きな武器だったわけです。しかし、資本主義の発展は、規範に対する抵抗のスタイルをどんどん取り込み、商品化していった。そして気づいたら、今日では、あらゆるものが不安定に変化し続ける流動化社会になってしまい、ファッションのずれを遊ぶことに、抵抗的な意味はほとんどなくなってしまいました。(中略)「私が私であるために服を着る」ことは破綻し、ファッションで自分の居場所を作るということがもはや成り立たない、という感じがあります。

いやはや、まさにその通り。ここまで簡潔にまとめるとはさすが栗野さんです。
つまり
今は服でファッションで人と差別化できなくなった​ということですね。
千葉雅也さんは”ポスト服”、つまり服に代わる新しい身体を使った差別化方法を探っているそうです。そのひとつが「筋肉」です。
例として栗野さんが挙げているのがイタリアのファッションエージェントの話。全員がゲイであるその会社のスタッフが最新の服を着ていてもモテず、筋肉を付けたほうがモテることに気づき、全員がボディビルにハマってしまった結果、扱う服が筋肉質な体に合う単純な服になり、栗野さんのようなセレクトショップのバイヤーが買う服がなくなってしまったそうです。


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・脱オタの苦悩

筋肉はひとつの例ですが、これと同じようにもはや服では表現できない「自分らしさ」をどう表現するかで、人は迷っている​ようです。
初回の記事に対してこんなリアクションがツイッターありました。

リンク先のブログ(脱オタクファッションの限界 - 30代からの脱オタク)の内容は、脱オタファッションに行き詰まりの苦悩です。結構な長文なので抜粋して引用します。

この4年間脱ヲタ道を邁進してきたけど、どうも限界を感じつつある。
確かにいい服は揃った。
着まわせる量もある。
ファッション雑誌を読み、ある程度の組み合わせはちゃんと出来るようにもなった。
でも、決定的に足りない部分がある。

何と言うか「リアル感」というか・・・
そしてそんな「リアル感」の根本は、断言すれば「音楽」と「スポーツ」じゃないだろうか。
確かに着こなし「知識」は増えた。
でも、ソレはあくまで「知識」でしかない。
つまりソコに「精神」が宿っていない。
「ライフスタイル」が宿っていない。

この苦悩、僕も理解できます。ご好評いただいた座談会でも強く感じたのですが、僕は音楽とファッションの関連性が全くありません。

雑誌で振り返る、おじさんたちの90年代ファッション座談会〜前編〜 | FACY
僕が10代のときに好きだったのは(今も大好きですが)槇原敬之、B'z、TM NETWORK、accessなどの、どうひいき目に見てもオシャレという存在ではないミュージシャン。
座談会では自分のファッションのバックボーンとして洋楽ミュージシャンの話題がポンポン出るおふたりに、少し劣等感があったりもしました。


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・自分らしさってなんだろう?

上掲のブログは、こんな風に結ばれています。

「オタク」でも「音楽」でも「スポーツ」でもない、新しいオレのライフスタイル・・・。
一体そんなのが本当にあるのかどうか分からない。
それを見つけ出すことが出来れば、さらに壁を突破することが出来るんだろうか・・・・・・。

つまり、自分らしさってなんだろう?ってことですよね。
僕は
「自分が好きな要素」(=美意識)や「自分が必要とする機能」(=生活感)が自分らしさになると思っています。

「自分が好きな要素」は初回の記事の一節、「生活感にしても、美意識にしてもその人がその服を着る必然性があるのなら、どんな服でもどんな人でも格好良くなる」の「美意識」に当たると僕は考えています。

つまり、「その人の美意識」が感じられるファッションは格好良いのです。

・自分の「好き」を自由にアピールできる時代​

「自分が好きな要素」を明確に他人にアピールすることを不安に思う人もいるかもしれませんが、今は多くの人が多様化した価値観に柔軟に受け入れるようになっています。
最近はセレクトショップやファッションブランドとのアニメコラボ商品も当たり前になっていますが、一昔前までは、アニメのTシャツを着ているのはいわゆるオタクだけでした。
たった10年ちょっとで世の中はアニメTシャツを普通に受け入れるようになったのです。そしてこれからは今マニアックとされている趣味も、どんどん受け入れられるようになるでしょう。
以前ご紹介した、TMNのTシャツ。

www.yamadakoji.com僕が高校生や大学生だった約20年前なら、僕はこのTシャツを街着としは着られなかったと思います。というか、J-POPを聴いていること自体が「ダサい」とされるような価値観の時代でした。

ですが、世間が、そして何よりも僕自身が多様な価値観を受け入れるようになったので、2017年の今なら「TMNのTシャツもアリだな」と感じられるようになったのです。


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・機能も自分らしさになる​

また、一見ファッションとは結びつきがなさそうな「自分が必要とする機能」でも、自分らしさは表現できます
例えば僕の場合。子供が生まれてから、僕の生活の中心は育児になり、服の選び方が大きく変わりました。僕が服を選ぶときにもっとも重視するのは「子供に汚されたり破られたりしても凹まないこと」です。子供を抱くときには靴の汚れやよだれ鼻水の危険性が常にありますし、公園などのアウトドアでは服の汚れを気にしてたら遊んでなんかいられません。
また、動きやすさも必須。おむつ替えや子供との会話など、育児をしていると、しゃがむ頻度がとても高くなります。
そういった視点で選んだアイテム、例えば動きやすさ満点なのにリーズナブルなグンゼレギンスパンツには僕の「自分が必要とする要素」が詰まっています。

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ゲームが好きならゲームがしやすい服、散歩が好きなら歩きやすい靴など、誰しもが自分が日常生活を送る上で「便利だなー」「重宝するなー」と思うアイテムはあるでしょう。そのアイテムは自分が着ることに必然性があるアイテムす。
「自分が必要とする機能」は、初回の記事の一節の「生活感」に当たるでしょう。「生活感」はその人らしさを強く表現します。
上っ面のファッションではなく、自分にしか表現できない格好良さが生まれます。


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・清潔感は必須です​

なんでもいいんです自分の好きなものってなにか、考えてみてください。現在は多様化した価値観を受け入れる社会になっています。よっぽどのものでない限り、あなたの「自分らしさ」が受け入れられないことなんてありえません。
ただ、ひとつだけ必要なことがあります。それは清潔感。清潔感は必須です。この記事にまとめてあるので、ぜひ読んでみてください。

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